【鹿児島相互信用金庫】不祥事を乗り越えて……|“ご当地銀行”の合従連衡史

鹿児島県には3つの信用金庫がある。預金量・貸付高・店舗数・職員数などの業容の大きさから並べると、まず2025年3月末時点の預金量が5789億円の鹿児島相互信用金庫。

続いて同年10月末時点の預金量が3253億円の鹿児島信用金庫。そして同年3月末時点の預金量が887億円の奄美大島信用金庫だ。

自己資本比率を見れば奄美大島信用金庫が15%を超え圧倒的に高いのだが、それは島嶼部に本部を置き、自前の資金で運営する特異性もあるだろう。総合的な規模感からすると、店舗数58の鹿児島相互信用金庫が県内信金では一歩抜きん出ている格好だ。

同信金は鹿児島市泉町に本店を置き、本部は与次郎一丁目に置く。一般には「そうしん」と呼ばれている。

有限責任組合から保証責任組合へ

鹿児島相互信用金庫は1931(昭和6)年2月、有限責任鹿児島種苗信用利用組合として設立された。1935年4月には、保証責任鹿児島相互信用利用組合に改組。そして1947年6月には保証責任鹿児島相互信用購買利用組合に改称した。

有限責任と保証責任では何が異なるのか。有限責任は一般的には株式会社が多く、会社が倒産・破産した場合でも、出資者は出資したお金(株式の価値など)を失うだけで、出資者個人の財産は守られる。対して保証責任は、第三者(または企業)の債務について、その第三者が返済できない場合に代わりに返済する義務を負う。保証人は、主たる債務者が支払えない場合、元本、利息、損害賠償などすべての債務を自らの財産から支払う義務を負っている。

保証責任の信用組合は組合員がそれだけの責任を負って運営していくことになる。

保証責任鹿児島相互信用購買利用組合は1950年2月には、鹿児島相互信用組合に改組してM&Aに乗り出し、同年3月には鹿児島商工信用組合と合併する。この時期、信用組合である以上、営利を目的とする一般銀行とは異なり、組合員同士の「相互扶助」を理念としていた。信用金庫となって以降も「相互」と冠し続けたのは、その意図があったからだろう。

「相互扶助」の信用組合から信用金庫へ

鹿児島相互信用組合は翌1951年6月に信用金庫法が制定されたことに伴い、10月、鹿児島相互信用金庫に改組・名称変更した。

信用金庫になってからは、1955年1月に鹿児島企業信用金庫と合併する。その後しばらくはM&Aを行っていなかったが、2004(平成16)年2月、川内信用金庫を合併した。

なお、2011年7月には本部を鹿児島市与次郎一丁目に移転している。

“積年の不祥事”に激震が走る

鹿児島相互信用金庫を語る場合、触れるべきなのが不祥事からの脱却である。当時のニュース記事によると、2018年4月、17年間にわたり顧客の預貯金の着服や流用など約1600件もの不正行為を行っていたとして、職員144人を懲戒処分にする不祥事を起こした。また九州財務局からの事実確認に対し隠蔽を図ったとして、金融庁から業務改善命令を受けた。なお、一連の不祥事について考査契約違反があったと、日銀は同年6月にこのことを公表している。

加えて同信金では、2021年10月と2022年3月に同信金Webページの「お知らせ」で、計3件の不祥事が判明したと伝えている。

今は理事長をはじめ全職員が一丸となって、新たなビジネスの芽を育てている。たとえば、2017年8月には、慶應義塾大学SFC研究所と「連携協力に係る覚書」を締結し、「そうしん地域おこし研究所」を創設した。

同研究所では、県内企業・自治体・大学とも協力し、地域とのCSV(共通価値の創造)をめざし、地域創生などに関する研究活動とともに、地域・社会課題を収益の出るビジネスに転換する試みを行ってきた。今はこれらの地道な試みが実を結び始める時期だ。

文・菱田 秀則(ライター)

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