警視庁本部のすぐ近くで、ロシア軍の工作員が活動していた可能性が浮上した。米ニューヨーク・タイムズは、西側情報機関の分析として、東京・虎ノ門にあったロシア国営航空会社の事務所が、軍事転用可能な日本の技術を調達するGRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の拠点だったと報じた。
警視庁本部から歩いて10分の虎ノ門琴平タワーでまさか
東京・霞が関に警視庁の本部がある。その建物から歩いて10分の虎ノ門琴平タワー。その一室が、ロシア軍参謀本部情報総局、通称GRUの工作拠点として使われていた可能性が浮上した。
表向きはロシア国営航空アエロフロートの東京事務所。目的は、西側の制裁で入手しにくくなった日本の技術や部品を集め、ロシアの軍需産業へ送り込むことだったという。
2026年7月、ニューヨーク・タイムズは、西側情報機関の現役・元職員や政府資料をもとにした調査報道を配信した。そこで浮かび上がったのが、GRUの秘密部門「第20局」である。
西側情報機関によれば、第20局の任務はロシアの兵器生産に必要な西側技術を調達することだ。工作員は外交官や企業社員を装い、軍事転用できる部品を探す。正規の取引を装い、輸送先を偽り、時には協力者から秘密情報を引き出す。
表向きはアエロフロートの社員だったが
ただし、第20局の詳しい組織構造は公表されていない。今回の報道も西側情報機関の分析に基づくもので、日本政府が公式認定したものではない。それでも、GRUが日本での技術収集に専門部門を投入していたとの指摘は重い。
ロシアが日本を二次的な標的ではなく、制裁を回避して先端技術を入手する主要な供給源とみていたことを示すからだ。
東京で活動の中心にいたとされるのが、マクシム・フィルチェンコフ。49歳のGRU上級将校だと西側情報機関は見ている。
表向きはアエロフロート(ロシアの航空会社)の社員だった。本人やロシア政府はGRUとの関係を認めていない。しかし、フィルチェンコフは以前にも日本で勤務し、日本の企業や物流業者との人脈を築いていたという。
東京へ戻ったのは2024年2月。ロシア軍がドローンの使用を急増させ、電子部品や精密機器の調達に追われていた時期と重なる。狙われたのは軍民両用、いわゆるデュアルユース技術だ。
日本の技術がロシア兵器に組み込まれている現実
半導体、センサー、通信装置、工作機械、小型モーター。普通の民間製品に使われる一方、ミサイルやドローンにも転用できる。
ウクライナ政府関係者によれば、同国が調査したロシア製の巡航ミサイル、弾道ミサイル、ドローンの種類の約90%から、日本企業製とみられる部品が確認された。
これは兵器100発のうち90発に日本製部品が入っていたという意味ではない。調査対象となった兵器の「種類」の約90%で見つかったという説明だ。
また、日本企業がロシア軍へ直接販売した事実や、軍事転用を知りながら供給した事実も確認されていない。民生品として流通した部品が、第三国の商社や中古市場を通じて渡った可能性が高い。
それでも、日本の技術がロシア兵器に組み込まれている現実は消えない。メーカーに違法行為がなくても、結果として兵器生産を支えてしまう。その流れをどう遮断するかが問われている。
GRUは部品をロシアへ直接送らず、第三国の企業や物流網を経由させる。報道で中継地として挙げられたのは、ベトナム、スリランカ、ウズベキスタンなどだ。
戦後から2024年12月までに、ロシア関係の諜報事件を30件検挙
合法的な貿易の巨大な流れに、軍需産業へ向かう部品を紛れ込ませる。日本から見れば第三国の民間企業への通常輸出にすぎない。
調査報道は、日本の物流会社Proco Airとフィルチェンコフの接点も指摘した。同社はアエロフロートの貨物業務に関係し、スリランカやウズベキスタンなどへの輸送を扱っていた。制裁対象のロシア人実業家が創業した製薬会社R-Pharmとの取引を示す文書も確認されたという。
ただし、これだけで同社が違法輸出や諜報活動に加担したとは断定できない。オーナーはフィルチェンコフとの面識を認める一方、GRUとの関係は知らなかったと説明し、禁止貨物の輸送も否定している。
ロシアによる技術収集は今に始まったことではない。警察庁によれば、警察は戦後から2024年12月までに、ロシア関係の諜報事件を30件検挙している。
2000年のボガチョンコフ事件では、GRU機関員とみられる在日ロシア大使館付海軍武官が、海上自衛隊の三等海佐から秘密文書を入手した。
ロシア側は「あなたの住んでいるマンションを知っている」と脅すような言葉
三等海佐は逮捕されたが、武官は外交官としての免責を持ち、出頭要請に応じず帰国した。
1997年に摘発された事件では、日本人翻訳家がSVR機関員とみられる通商代表部員から工作を受け、約7年間にわたりハイテク技術関係の情報収集に協力していた。
2008年には、元内閣事務官がロシア情報機関員とみられる元大使館二等書記官に、内閣情報調査室の秘密を漏らし、現金10万円を受け取った事件が摘発された。
2020年には、大手通信関連会社の元社員が、在日ロシア通商代表部の代表代理に唆され、会社の営業秘密を不正に持ち出した。
元社員が断ろうとすると、ロシア側は「あなたの住んでいるマンションを知っている」と脅すような言葉をかけたという。
そして2026年1月、警視庁公安部は、工作機械関連会社の元社員と在日ロシア通商代表部の元職員を、不正競争防止法違反の疑いで書類送検した。
元社員は2024年11月と2025年2月、新商品開発に関する営業秘密を元職員へ伝えた疑いが持たれている。ロシア側の元職員はすでに帰国していた。接触時には自分をウクライナ人と偽り、路上で道を尋ねるふりをして近づいたとも報じられている。
標的は同じだ。日本の技術である
ここに「日本人協力者の影」がある。
ロシアの工作員は、最初から秘密を盗めと要求しない。偶然の出会いを装い、会食を重ね、公開情報に謝礼を払う。相手が金銭と人間関係に慣れたところで、要求する情報の機密性を少しずつ高める。過去の事件では、この方法が繰り返されてきた。
ロシアの情報機関には役割分担がある。SVRは主に政治、経済、科学技術を扱い、GRUは軍事・防衛分野を中心に活動する。ただし、軍事転用できる民間技術をめぐっては、活動領域が重なる。標的は同じだ。日本の技術である。
日本には、外国のために情報を集める行為を一括して処罰する一般的なスパイ罪がない。捜査当局は自衛隊法、国家公務員法、不正競争防止法、窃盗罪、外為法などを使うしかない。工作員が外交官なら、免責によって本人を刑事裁判にかけることが難しい場合もある。
日本政府も輸出規制や企業への注意喚起を進めている。それでも、日本製部品がロシア兵器から見つかり、日本人が情報提供者として取り込まれる事件が繰り返されている。
東京からロシアの兵器工場へ向かう流れは、続いていく
警視庁から徒歩10分。西側情報機関の評価が正しければ、GRUの将校とされる人物は警察の目と鼻の先で、航空会社社員の日常を演じながら、日本企業や物流業者との関係を築いていた。
問題は1人の工作員ではない。正規の企業活動、国際物流、民生品の流通、外交官の身分、そして日本人協力者を組み合わせ、兵器生産に必要な技術を調達する仕組みそのものだ。
フィルチェンコフが去っても、別の人間が送り込まれる。日本が技術流出を止められない限り、東京からロシアの兵器工場へ向かう流れは、続いていく。
文/小倉健一 写真/shutterstock

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