先日、イチローが地元紙マイアミ・ヘラルドにて、自身が受けた差別体験を告白。日本でもこの話題は翻訳され、大きな反響を呼んだ。

イチローが語った差別経験


記事内でイチローは、「過去に僕も差別を受けた。自分に向かって氷やコインを投げられ、実際に何度か頭に当たったこともある」と振り返っている。
イチローが語った差別経験……あの伝説的プレーは差別から生まれた!
※画像はTwitter(@Marlins)より

しかし、このように球場で受けた差別が、あの伝説的なプレーを生むきっかけになったのをご存じだろうか。

ファンからの差別行為……そしてあの伝説的プレーが生まれた


舞台はイチローがメジャーデビューしたばかりの2001年4月11日、敵地で迎えたアスレチックス戦。

当時、イチローが所属していたマリナーズとアスレチックスは、激しく優勝を争っていたライバル関係。このような背景もあってか、メジャー球団の中でも特に荒っぽいことで知られるアスレチックスファンは、メジャーデビューしたばかりのイチローを標的にし、激しい"攻撃"を始めた。

この試合、8回表に代打で出場後、守備についたイチローに対して、ライト側の敵地ファンは激しい罵声を浴びせた。さらには罵声だけにとどまらず、紙コップやボトルキャップ、コインをイチローに向かって投げ始めたという。

そして、あるファンが投げた一枚の25セント硬貨がイチローの後頭部を直撃したのだ。痛さとともにイチローは激しい怒りを覚えたことだろう。

そんな状況下で迎えた1死1塁。
打球はイチローが守るライト前へゴロが飛んだ。1塁ランナーが3塁へ向かったのを見たイチローは、3塁へと送球……。



このプレーこそが、あの「レーザービーム」だったのだ。
3塁へ完璧なノーバウンド送球でランナーをアウトにした場面は、アメリカでは「ザ・スロー」と呼ばれ、メジャー史に残るプレーとして知られている。今までのイチローのプレーの中で、これが最も印象的と語る現地ファンも数多い。

イチローは試合後に「あれをもう一度やれと言われても、もう見せられない」と語ったように、ファンからの差別的な行動による怒りがエネルギーとなり、このメジャー史に残る"神技"が生まれた一因となったといえる。

このように常人離れした精神力で、常に逆境をプラスの力に変えてきたイチロー。
メジャー移籍当初は差別を受けていたようだが、3000本安打をはじめとする数々の大記録を達成した現在では、多くの選手・ファンから「レジェンド」として尊敬を集めている。



(参考資料)
「イチローの流儀」 (小西慶三/新潮文庫)