あの作品から加勢の存在を知った人にとって、おそらく彼は少し古臭い顔をしたイケメンにしか見えないはず。ちょうど、笠置シヅ子をカネヨンのおばさん、定岡正二をとんねるずに罵倒されるおじさんと最初に認識した場合と同様、まさか昔はすごい人だったなんて思いもしないことでしょう。
しかし実際、彼はすごい人だったのです。
かつては、吉田栄作・織田裕二と並び称されていた
1990年、サザン桑田の初監督映画『稲村ジェーン』の主演オーディションに合格して、芸能界デビュー。同作の大ヒットで顔が売れた加勢は、一躍、注目の若手俳優となります。
その後は、『はいすくーる落書2』(TBS系)、『学校へ行こう』(フジテレビ系)、『ADブギ』(日本テレビ系)など、話題のテレビドラマに次々と出演。一時は、吉田栄作・織田裕二と並び称され「トレンディ御三家」(平成御三家)などと呼ばれていたものです。
独立騒動で事務所と揉めた加勢大周
1991年には、CM契約社数ランキング1位にも輝き、絶頂期ともいえる人気を誇っていた加勢でしたが、突如として暗雲が立ち込めます。
きっかけとなったのは、当時の所属事務所からの独立。加勢はかねてより、給与未払いをはじめとした事務所側の不誠実な対応に不満を抱いていました。このままでは未来がない……。そう考え、実母を社長に据えて個人事務所設立を画策したのです。
けれども、契約が1991年4月に自動更新されていたため、4月4日に送った契約解除の申請書は無効扱いに。意に介さず、加勢は個人事務所で活動を開始するも、そうはさせじと事務所側は、「契約解除の無効」「5億円の損害賠償」「加勢大周の芸名使用禁止」を求め、提訴してきたのでした。
裁判は1992年の1審で敗訴になったものの、翌1993年で勝訴。無事に「加勢大周」の名で活動することが認められたわけですが、判決の1週間後、予想のななめ上をいく出来事が起こります。
「新加勢大周」のデビューが発表される
なんと、事務所サイドが「新加勢大周」という名の新人タレントをデビューさせると発表したのです。「加勢大周」という芸名はもともと、同事務所社長が愛してやまない幕末の偉人・勝海舟からもじってつけた芸名。そのため、相当お気に入りだったとのことですが、まさかここまでするなんて……と思ったはずです。
この行き過ぎた事務所側の対応に、森繁久彌ら大物俳優たちが待ったをかけたおかげで、なんとかこの話はナシに。ちなみに、白シャツがトレードマークの細身な加勢に対抗して、黒いタンクトップに筋肉ムキムキのイメージで売っていこうと考えられていたその新人タレントは、後に「坂本一生」の名でデビューしました。
台湾の芸能界にも進出していた
長きに渡るイザコザのため、加勢のイメージは急落。そのせいか、以前はさわやかな好青年役を演じることが多かったのに、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』(1994年)でのサイコな悪役をはじめ、一風変わった脇役での起用が増えていきました。
それでも、台湾の芸能界へ進出したり、マニアックなカルト映画や先述のベタドラマにも出演したりと、地道に芸能活動を続けていたのですが、2008年に決定的な過失を犯してしまいます。
覚せい剤事件発覚……今は都内でバーテンダーとして勤務
2008年10月5日、世田谷区の自宅マンションで覚醒剤と乾燥大麻を所持していたとして、現行犯逮捕されてしまったのです。このスキャンダルにより、当時出演していた昼ドラ『キッパリ!』(TBS系)は、打ち切りの憂き目に。
裁判で「懲役2年6ヶ月・執行猶予3年」言い渡された加勢に、俳優業へカムバックする意志はなく、「田舎の親元に戻って一からやり直したい」と言い残し、芸能界を去って行ったのでした。
しかし田舎へ戻ることはなく、今では都内のバーでバーテンダーとして働いているという加勢。
(こじへい)
※文中の画像はamazonよりくりぃむしちゅーのたりらりでイキます!! ベタドラマDVD2 サスペンスドラマはなんだかんだあっても結局ラストは崖 編