本日未明、窪塚洋介(36)が自身のTwitterにて、ダンサーのPINKYと近々結婚することを宣言した。
センセーショナルなオーラを放っていた彼は、精悍な顔つきで幅広い役柄をこなす演技派の俳優として特に、1990年代後半~2000年代前半にかけて活躍。
また、彼の世界観が炸裂しすぎたゆえのぶっ飛んだ発言や、マンション転落など、プライベートがクローズアップされることも多い。最近久々にテレビCMにも登場するなど改めて注目が集まっている窪塚洋介。そんな、窪塚のあの頃を振り返ってみたい。

2本の人気ドラマで大きく飛躍した窪塚洋介


俳優・窪塚洋介がテレビでまず脚光を浴びたのは、1998年に放送された『GTO』(フジテレビ系)だろう。優等生だが教師への悪戯を企む首謀者の一人という役どころ。主人公の鬼塚(反町隆史演じる教師)に対して最初は敵意をむき出しにするが、彼の人間性に触れるにつれ、良き理解者へと変わっていく複雑な役がらを見事に演じた。聡明な雰囲気を醸し出す窪塚は、優等生ならではの孤独や心の機微を表現するのが上手く、その高い演技力はすぐに注目された。


2000年放送された『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)で、窪塚の存在感はさらに引き立つ。宮藤官九郎脚本・堤幸彦演出と言うゴールデンタッグで制作されたこの“IWGP”。窪塚は、主人公のマコト(長瀬智也演じる青年)の親友で、ギャング集団「G-Boys」をまとめるリーダーのキング役で出演する。ひょうひょうと世渡りしながら、次に何をしでかすか分からない危うい雰囲気にも満ちたキャラクターが特徴的だった。「~なり」「死にますん」「パンチラみ~て元気だ~して」「おしぇわになりました(からの荒れ回る※ビリーがでてくる)」など数々の名言・名シーンを生み出し、一躍ファンを増やした。

高い演技力に女装もこなせるルックスの良さ


2000年代に入ってからは、ドラマよりも映画での活躍が際立った。行定勲監督の『GO』では在日韓国人の生きにくさやアイデンティティーを表現し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を当時最年少で受賞。
ここから『ピンポン』や『凶器の桜』の主演を務める。いずれの出演作も、何かの才能が突出したキャラクターが多く、天才ならではの苦悩を演じさせたら窪塚の右に出る者はいなかった。また、線が細そうに見えて実は筋肉質でモデルのような体型といったルックスの良さは、『溺れる魚』で見せた女装姿さえ美しかったくらいだ。

窪塚洋介のプライベートは? お騒がせエピソードも


俳優業以外でも、窪塚の言動はたびたび話題になった。なかでも有名なのは、自宅マンションの9階から転落した事故。当時“自殺未遂”かとも噂され、映画『ピンポン』で窪塚が「アイ キャン フラーイ!」と川に飛び込んだシーンと重ねたファンも多かったのでは? 窪塚は頭蓋骨の開放性骨折などを負ったものの、命に別状はなかった(本当によかった)。


この件については諸説もあるが、窪塚本人はその時の記憶がないと話している。ただ、卍LINE名義の楽曲「IKIRO」では“俺落っこた?(中略)記憶がねーぞ(中略)死ぬまで生きろよ”など、この転落事故を彷彿とさせる歌詞がある(ちなみに卍LINEは2006年に窪塚がレゲエアーティストとしてデビューした名前)。

2003年にはのんちゃん(一般人女性)との結婚も話題になった。子には未来への希望を表す「I’ll」になぞり「愛流」と名付けた。このときに出版した『PIECES OF PEACE』は彼独自の愛や平和へのメッセージが込められており、家族を持った窪塚の優しさがにじみ出た作品となっている。
幸せそうに見えた二人も2012年に“円満”離婚を発表、近頃は本日結婚宣言したPINKYとの親しい様子がインスタグラム等でオープンになっていた。


「お疲れサンボ」にも代表される窪塚流の発言は、時にトリッキーで変人扱いを受けることも多い。だが、鮮烈な活躍を残し、唯一無二の存在感を放っていた窪塚洋介のことは忘れない。彼が次にどんなアクションを仕掛けるか、これからも期待が高まるばかりだ。
(ミソ)