ワイドショーで芸能人のバッシングが相次いだ94年。(前編の記事はこちら)

続いては、人気者に嫁いだゆえの悲劇というべきか。
いきなり派手に表舞台に出たことでバッシングの矢面にさらされてしまった女性から振り返りたい。

モデル時代の決め顔が原因!? 若花田婦人の悲劇


その女性は栗尾美恵子。と言っても誰のことか思い出せない方も多いのでは? 現在のタレント名は花田美恵子。そう、元・若乃花こと花田虎上(まさる)の元・婦人である。
中学生の頃からファッション誌『オリーブ』の読者モデルとして活躍。その後、JALキャビンアテンダントとなり、当時人気絶頂の力士、若花田(当時)を射止めた女性だ。

バッシングが始まったのは、金屏風をバックにしての若乃花と婚約会見がきっかけとなる。

ぽってり厚めの唇がぽわっと空いたままで、パッチリ大きな目もどこか焦点が合っていない感じの美恵子さん。モデル時代、人気を集めたガーリーな決め顔が突如バッシングの対象になってしまったのである
スポーツ紙は「美恵子さん、ポカン口!」とマイナス評価で報道。これを機に、ガーリーなファッション、たどたどしい話し方も年不相応として叩かれる対象となってしまう。
94年6月の結婚披露宴後の見出しは「美恵子さん、口真一文字!」。嘲笑の対象となったのは明らかだった。

一般女性である彼女を叩く風潮はエスカレート。
「名門・花田家の長男の嫁であり、二子山部屋のおかみさんが務まる器か?」と、バッシングは吹き荒れた。
もっとも、本人も「おかみさんになる気はない」と強気であり、実際家事をおろそかにしているとの報道もあったわけだが……。

今振り返ると、なぜここまで徹底的なバッシングが行われたのか疑問である。

不倫から自殺未遂? 激やせ状態が続いた宮沢りえ


94年9月、宮沢りえが京都市内のホテルで左手首から血を流してベッドに倒れているのが発見された。7針を縫う全治一週間のケガだった。
宮沢は「泥酔して室内で転んだための事故」とFAXで釈明したが、ワイドショーは追及の手をゆるめない。

なぜなら、別室には不倫交際が噂された中村勘九郎(後の勘三郎)が宿泊しており、交際のもつれによる自殺未遂ではないか、という疑惑が持ち上がったからだ。

勘九郎は記者会見で声を荒らげて不倫疑惑を全面否定したが、2人が親密な関係にあったのは事実。世間を騒がせた貴花田(現・貴乃花親方)との婚約破棄騒動以降、傷心の彼女を支えたのが勘九郎であることをマスコミはすでにマークしていたのだ。

派手な女性遍歴で名を馳せる勘九郎は、不倫自体もバッシングも芸の肥やしとしてしまった印象だが、宮沢は心労から拒食症と思われる激やせ状態が続き、見るからに不安定な状態となってしまう。

一度はアメリカに拠点を移し芸能界と距離を取っていたが、2000年頃には復帰。
復帰後は吹っ切れたように奔放な男性遍歴を披露。恋多き女として、ワイドショーを賑わしている。
このタフさ、やはり母親ゆずりなのだろうか?

2度の不倫スキャンダルから宗教結婚した斉藤由貴


94年12月、斉藤由貴が結婚を発表したが、結婚に至るまでの不倫経験がバッシング対象となっている。

91年には尾崎豊と、93年には川崎麻世との不倫騒動で世間を賑わした斎藤。当時、一家そろっての熱心なモルモン教徒であることも報道され、そのスキャンダル性に一層の衝撃を与えている。
モルモン教はアルコールやカフェイン、たばこなどに加え、婚前交渉や不倫も厳禁という戒律がある宗教。にもかかわらず2度の不倫。斎藤は「魔性の女」「不倫女優」として、ワイドショーの格好のネタとなっていた。


そんな中、同じモルモン教徒の一般男性との結婚が発表されたのだ。世間の好奇の目に応えるよう、ワイドショーはこぞって過去をほじくり返した。
アイドルがミュージシャン、俳優と不倫した上での宗教婚。今の時代だったら、サーバーが落ちる勢いでネットも大騒ぎとなっていることだろう。

ひとしきり叩き終えると、新たな生贄が捧げられる図式となった昨今の芸能界。次のバッシングのターゲットとなるのは一体誰だろうか……?


※イメージ画像はamazonよりROSEE