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“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。

中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験では、親、それも母親が子どもに及ぼす影響力が大きいのであるが、この母親の導き方次第で、子どもの運命が天と地ほども変わるということをご存じだろうか。

 私見ではあるものの、中学受験は“賢くない親”は参入してはいけない世界だと感じている。抽象的な言い方になるが、子育てとは、我が子をまるごと観察し、認め、その時々の我が子に合ったサイズの箱を用意することであり、そして、箱の蓋は常に開けておかねばならない……と思う。しかし一方で、箱の装飾だけを気にして我が子のジャストサイズを見失い、親自身が勝手に作り上げた狭い箱の中に押し込めようとする“賢くない親”がいるのだ。

 今回はそんな“賢くない母”の中でも、特に要注意人物に当たる“完璧主義の母”を取り上げてみよう。

亜由美さんは地方都市出身者で、比較的裕福な家庭に生を受けた。大学で上京し、そのまま就職。それからほどなく夫と結婚し、現在も専業主婦という立場である。夫は総合病院の勤務医だが、代々医者という家系のため、将来的には実家の医院を継ぐことになっている。

 そんな亜由美さんと夫のもとに、祐樹君が誕生した。夫の仕事は宿直も多く、激務であったので、育児のことも含め、家庭のことは全て亜由美さんが担っていたという。

亜由美さんいわく「夫からも義実家からも『祐樹を医者に』という言葉は今まで一度も聞いたことはない」そうで、彼女だけが「この子は私が医者にさせねば!」という“変な使命感”に駆られていたという。

 亜由美さんは、「胎教に良い」と聞けば、それ専門のお教室に通い、祐樹君が誕生してからは小学校受験を目指して、忙しい日々を送っていた。しかし、亜由美さんの孤軍奮闘は実らず、結局、祐樹君は学区内の公立小学校に入学する。

 亜由美さんは当時、「あんなに頑張ったのに、小学校受験に失敗してしまい……。お教室の仲間は合格したのに祐樹だけが落とされて……。『小学校受験は母の努力』って聞くと、やっぱり私が至らなかったんだろうなって、猛省しました」と語り、こんな目標を立てたそうだ。

「中学受験ではもう絶対に失敗は許されない」
「お教室の友達が合格した学校よりも、さらに良い学校に祐樹君を入れる」

 こうして祐樹君は、小学校の早い段階から、再び“受験塾”通いをすることになった。

 亜由美さん個人による、小学校受験の不合格分析は“工作の対策遅れ”。要するに、祐樹君はハサミを上手に扱えず、それをリカバリーすることができなかったから不合格だったという結論を、亜由美さんが勝手に下したのだ(小学校受験の不合格の理由はその学校の試験官しかわからないので、分析しても無意味である。要するに「ご縁がなかった」ということに尽きると、筆者は思うのだが)。

 以来、亜由美さんは祐樹君の“弱点補強”にこれまで以上に力を入れ始めた。“弱点補強”は必ずしも悪いことではないが、亜由美さんはどちらかといえば、近視眼的タイプで「ミスはあってはならない!」という思考になっていったらしい。

それゆえ、解き方のプロセスよりも、正答か否かだけで評価を下すことに心血を注ぎ込んでしまったそうだ。それは、まるで正答しなければ合格できない! と思い込んだかのようだった。

 中学受験で合格することは大きな喜びではあるものの、それは単なる“結果”に過ぎない。それよりも、日々の暮らしの中で「勉強するってなんかワクワクするね!」「学ぶって面白いね!」というような“知的好奇心”をくすぐることに重きを置いた方が、子どもは勝手に伸びていく傾向があるが、頭ではわかっていても、毎週のようにテストはあり、毎月成績によってクラス替えも行われ、さらには成績順で座る位置も決まってしまうような“塾社会”に身を置かれると、人は簡単に大切なことを見失う。結果、亜由美さんは祐樹君のテストの点数にしか頭が回らなくなり、試験のたびにこういう言い方を祐樹君にしていたという。

「98点? 惜しいわね。

ここのケアレスミスさえなければ満点だったのに!」
「次回は満点を取るようにしないとね。祐樹ならできるわ」

 受験にはそもそも満点は必要ない。どこの学校であっても、合格ラインは70%前後に設定してあるからだ。しかし、亜由美さんは理想が高い“完璧主義”病にかかってしまったかのように、たとえ祐樹君がクラス最高点を取ったとしても、それが満点でないのならば、決して満足はできなくなってしまったのだ。

 一方の祐樹君だが、彼は優秀だったので、苦手科目より、得意科目の方がはるかに多かったにもかかわらず、常に“できないこと”に注目し続ける母の期待に応えようと、母と同じく「小学校受験のリベンジ」を目標に頑張り続けた。そして、結果的に、難関私立中学に合格。

亜由美さんはようやく長年の努力が実ったのだと涙していた。

 しかし、それで“めでたしめでたし”とはいかなかった。中学入学後、新入生にとって初めての中間試験が行われたのだが、祐樹君の結果は220人中の203位。到底、亜由美さんは納得できない。それから、祐樹君に家庭教師を付けて、懸命に頑張らせたものの、期末試験の結果は220人中198位。「頑張っても、頑張っても、成績は上がらない→やる気もなくなる→休みがちになる→ますます授業が解らなくなる→朝、起きられなくなる→指摘すると暴れ出す」という毎日が続き、ついに祐樹君は完全不登校に陥った。

 「行かないのであれば、学費がもったいないから公立に転校しろ!」とだけ言った父親への反発なのか、祐樹君は「入学した学校は辞めない、しかし行く気もない。公立中へは絶対に行かない」という主張を曲げないのだそうだ。

 祐樹君は今現在、中学3年生。その中学に籍はあるが、ほとんど学校には行っていない。いわゆる“引きこもり状態”にある。学校からはやんわりと「高校は別の学校に行ってはどうか?」と言われているらしい。

 この時点で亜由美さんは筆者に「医学部のある通信制の大学付属高校に行かせようと思うのですが、どうでしょうか?」と相談してきた。「それは祐樹君の希望なのか?」と尋ねたところ、亜由美さんはこう答えた。

「いいえ、祐樹は何もしたくないと言っています。将来のことが考えられないんですよね。だから、私が道筋を立ててあげないと!」

 「木を見て森を見ず」(物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと)という諺があるが、亜由美さんが作ろうとしている道の先は、果たして森につながっているのだろうか。“中学受験”は親が上手に誘導できると“我が子の人生への大いなるギフト”になるが、そうでなかった場合のダメージは計り知れないほど大きくなるので、注意が必要だ。

 完璧主義の親は時に過干渉になり、子どもをコントロールしようと躍起になる。今、中学受験生を抱えている保護者は、自分が親のエゴで我が子を追い込んでいないかということを自問自答してみてほしいと、筆者は強く願っている。
(鳥居りんこ)