誰もが知りたがっているくせにちょっと聞きにくいセックスメディアのすべてについて教えましょう。あ、いや、すべてじゃないな。
一部、くらいかな。
と、ウディ・アレン風に書き出してみた。えーと、このレビューは全年齢対象です。
荻上チキ『セックスメディア30年史』である。
性風俗史について触れた本は過去にもたくさんあったが、多くは風俗業界に精通したライターや編集者によって書かれたものだった。たとえばソープランドが別の名称で呼ばれていたころから活動を続けてきたルポライターのいその・えいたろう、バンド「ペーソス」の活動でもおなじみのなめだるま親方こと島本慶、漫画家兼AV男優の平口広美(『フーゾク魂』は、壮絶な名著だ)などなど。


荻上はそういうタイプの書き手ではなく、堅い分野を主戦場とする気鋭の評論家だ。その守備範囲の中にメディア論なども含まれていることを考えると、この本を彼が書いたことは非常に正しかった。そこにあるのに、誰もが言語化しない対象を、荻上はあえて俎上にしてみせたのだ。セックスメディアに並々ならぬ関心を抱いている人が多数いる。では、それは何で、どういう形で存在してきたのか、という点に荻上の関心はある。1980年代から現在に至る30年史となっているのは、荻上が1981年生まれであることと無関係ではないだろう。

だから、本書は読者をセックスメディアへと誘うためのガイドブックではない(そういう関心で読む人は多いだろうが)。逆に、自分が知っているセックスメディアはどのように形成されてきたか、を問う本だ。それは大げさな言い方をすれば、自分の立っている場所を知るための問いに等しい。
「はじめに」で荻上は、本書で取り上げられるセックスメディアを「出会い系」「オカズ系」「性サービス系」の3種に分類している(字面でだいたいわかると思うので、説明はしない。想像力で補ってください)。これは何かというと、「私たちが性欲を持て余したとき」「目の前に現れる」「いくつかの選択肢」であり、そうした欲望のアクセス先として存在するのがセックスメディアということだ。


本書に関しては、目次を引用して構成を明らかにしておいたほうがいいだろう。
第1章「いかにして出会い系は生まれたか?――電話風俗篇」
第2章「変化するウェブ上の出会い――出会いサイト篇」
第3章「何がエロ本を「殺した」か?――エロ雑誌篇」
第4章「エロは無料」の衝撃――アダルト動画篇」
第5章「性と快楽のイノベーション――大人のオモチャ篇」
第6章「変わり続ける性サービス――性風俗篇」

こうなっており、各章に関係者のインタビューが入っているのが私には興味深かった(第5章で株式会社典雅社長の松本光一が登場しているが、内容は『TENGA論』とほぼ同様なので、あちらを読んだ人は物足りなく思うかもしれない)。出版業界にかかわる者としては、第3章、アダルトビデオ専門誌「オレンジ通信」(2009年休刊)の元編集長・石井始と、芳賀書店社長・芳賀英紀のインタビューは必読である。かつて業界を牽引した有力雑誌の作り手と最大手の小売業者というまったく異なった立場の2人が証言を行っているからだ。特に石井の話については、編集コストが相対的に上昇したことが雑誌の命運を決めたことが明らかにされており、エロ業界と規模が似ているマイナージャンルの将来を予測させるような内容である。また第2章では、利用者に事前登録を義務付けた2009年の出会い系規制法を乗り越えたサイト業者、第4章ではバナー広告で収入を100%賄っている動画サイト業者などが発言を行っている。
この箇所はビジネスモデルの勉強のために読む人がいてもおかしくない。
本書の中で荻上が頻繁に使っているのが「非対称性」という言葉だ。第5章の該当箇所を引用してみる。

――第2章で紹介した「出会い系サイト」と「出会えない系サイト」の区分のように(注:後者は女性のサクラばかりで男性客がカモにされているサイト)、従来のセックスメディアには大きく二通りのビジネスモデルがあった。リピーターを獲得するために、良質なサービスを提供していくビジネスと、性情報の非対称性を利用し、消費者の下心に付け込み、「一度限りの客」と割り切ったうえで粗悪なサービスを売りつけてかかるバックレるビジネスだ。(中略)そうした粗悪ビジネスが多いことは、多くの男性にセックスメディアを敬遠させる要因になっていた。

性に関するサービスは利用者の期待に供給者が十分応えてくれるかが事前にはわからず、しかも情報を出し惜しみするということが当たり前に行われてきた。その前近代的なありかたが「非対称性」と表現されているのだが、逆にいえば、この「見えない」部分があったからこそ、利用者の幻想が膨らみ、セックスメディアが発展したという面もあるだろう。
そこで思い出したのは、かつてセックスメディアについて書かれた本で目にした、以下のフレーズだ。
「どこかの誰かがうまくやってる」
この一言で当時の伝言ダイアル・ブームを的確に表現してみせたのは、『完全失踪マニュアル』の著者・樫村政則だ。興信所の調査員でもあった樫村は、一世を風靡した「探偵ファイル」の先駆けのような取材活動をしていたライターだった。その彼がJICC出版局(現・宝島社)から刊行されていたブックレット・シリーズの1冊として1989年に上梓したのが、『伝言ダイヤルの魔力――電話狂時代をレポートする』だった。


伝言ダイヤルについては『セックスメディア30年史』の中でも触れられているが、社会問題化したダイヤルQ2の祖形とでもいうべきサービスだ。4649のような4桁のパスワードをあらかじめ決めておき、それを使って音声の伝言をやりとりするシステムである。まだウエブ、メールといった視覚を主とするコミュニケーションが発達していない時代の、過渡的なサービスだったと今になってみれば思う。しかしこれが、爆発的な人気を得たのだ。知り合い同士の連絡手段ではなく、不特定多数の出会いを可能にするシステムとして利用され始めたからだ。たとえば「0105」がおとこ同士の出会いの番号であるというように。
1985年に誕生したテレホンクラブ(通称テレクラ)は画期的な「出会い」の手段だったが、特殊な場所に出かけていかなければいけない「風俗営業店」だった。それに対して、伝言ダイヤルは家の電話でも街の公衆電話でも、それがプッシュ式であれば利用ができた。これは画期的なことだったのである。荻上が本書の第1章を「電話風俗篇」とし、前史を別にすればこの2つのサービスの誕生から論を起こしているのは当然といえるだろう。
テレクラと伝言ダイヤルは、不特定多数とつながるという行為を通じ、「自分以外の誰かはこのことでうまくやっている」という幻想を男性の中に膨らませる効果を持っていた。以降に登場した出会い系セックスメディアの多くが、この幻想を否定せず、煽り立てることによって顧客拡大を果たしていったのである。
セックスメディアを未体験のうちは、誰もが「自分だけはいい目に遭いたい」と考えており、「自分は失敗しない」と考えている。その幻想はしばしば現実によって裏切られるのだが、「(自分ではない)どこかの誰かがうまくやってる」という幻想が、失望を癒し、または羨望へと変えるのである。そうした形で永久に誤りが証明される機関の中に顧客を取り込んでしまうことが、荻上の言う「性情報の非対称性を利用」する旧来型のセックスメディアだった。

本書の中では、そうした過去の事実が記録されるとともに、政治・経済・技術・文化などさまざまな要因からの圧力に対応して変化を遂げた、新しいタイプのセックスメディアが紹介されている。冒頭に書いたように、また荻上自身が「はじめに」で断っているように、これはセックスメディア全書というような本ではない(産業の大多数を占めるヘテロセクシャルの男性向けのメディアしか取り上げられていない)。ここにないものをあげつらうのは簡単だが、それは正当な批判にならないだろう。欠落を見つけた者は、むしろこれを補うような「証言」を残すべきである。

たとえば本書の中ではアダルト画像の流通について、頒布を行う業者の側からしか語られていないが、共有ソフトや無料アップローダーを使って画像配布に貢献した「神」たちの存在を無視はできないはずである(アップローダーも伝言ダイヤルと同じで、パスやURLを共有する者だけが画像にアクセスできる『どこかの誰かがうまくやってる』メディアだった)。出会い系の前史には専門誌による「文通」の歴史があったはずだし、大人のおもちゃ業界を語る上で誌上広告の存在は無視できない。また、性風俗ということでいえば夕刊紙・スポーツ紙を埋め尽くした「三行広告」は、業界の動向を左右するほどに大きな要素だった。こうした分野に言及する書籍はすでに刊行されているが、『セックスメディア30年史』のようなまとまった形の論考はまだ世に出ていない。本書の刊行によって、そうしたマイナーな風俗史に光が照射されることを私は期待します。
(杉江松恋)