長瀬智也主演の日曜劇場『ごめん、愛してる』最終回は、「衝撃の最終回」というより、大変静かなエピローグだった。このドラマらしいといえば、らしい終わり方だったと言える。

「ごめん、愛してる」韓国版とのエンディング比較
「ごめん、愛してる」オリジナル・サウンドトラック

サトルは麗子の養子だった!


ストーリーは前半でほぼ整理される。

余命わずかな律(長瀬智也)は、塔子(大西礼芳)の別荘に身を寄せる。凜華(吉岡里帆)から遠ざかるためだ。死に際を見せない象のようでもある。しかし、凛華は律の居場所を探し当て、後ろから抱きついて一気呵成に言う。

「私はボケチンだから、すぐ忘れちゃう。あなたが死んだらきっと、1カ月は泣く。
3カ月くらいは辛くて眠れないかも。でも、半年もしたらテレビのお笑い番組を見て笑ったり、おいしいもの食べておいしいなぁ、と思ったり。いつものボケチンに戻るから。それより辛いことは、今この瞬間、あなたと一緒にいられないこと」

宇多田ヒカルの主題歌「Forevermore」の一節「愛してる、愛してる 薄情者な私の胸を こうも絶えず締め付けるのは あなただけよ」を思い出させるセリフだ。

「あなたを1人で行かせたくない。一緒にいさせて」

こう言われて、律はようやく凜華を抱きしめる。


別荘でつかの間の2人きりの日々を過ごす律と凛華のもとへ、サトル(坂口健太郎)がやってきた。サトルは自分が実は麗子の養子だったことを律に打ち明ける。心臓適合結果が「奇跡」だったのは、両者に血のつながりが一切なかったのに合致したからだ。

「僕のお母さんは、血のつながっていない僕のために、命まで投げ出せる人だ。そんな人が、自分の生んだ子を捨てるなんて、僕には信じられない」

サトルは律に、自分の気持ちを実母の麗子(大竹しのぶ)に打ち明けるよう促すが、心臓を押さえて倒れてしまう。

中村梅雀の見た目というトリック



物語の鍵を握っていたのは、マネージャーの恒夫(中村梅雀)だった。律を何度もクビにしようとしたり、娘の凛華に律と別れるよう執拗に迫ったりと、感情を押さえがちな『ごめん、愛してる』の登場人物の中でもっともストレートに感情を表すキャラクターである。
視聴者からは「一番、韓流ドラマに出てきそう」という感想も上がっていた。

恒夫は泣きながら律に打ち明けた秘密、それは自分が麗子の産んだ黒川龍臣(山路和弘)との不貞の子、律を勝手に捨て(!)、麗子に死産と伝えていたことだった。麗子は嘘をついていたわけではなく、本当にそう思っていたのだ。

麗子が不倫の果てに産んだ子のことが、恒夫には許せなかった。しかし、だからといってその子を捨ててしまうなんて、常人のできることではない。やっぱりこの人はマッドだった。
非道な大竹しのぶに命令されて赤ん坊を捨てる善良な中村梅雀の辛い思いを想像していた視聴者も多かったと思うが、これは中村梅雀の見た目を使った巧妙なトリックだ。

麗子は自分の子が生きていることを知らなかった。サトルは再び、律に母に本当のことを打ち明けるよう促すが、麗子と2人きりになっても、やはり律は何も言えない。

「あなたに、何かお礼がしたいんだけど。何がいいかしら」
「いや、何も……。めし、めし……作ってください」
「え……?」
「何でもいいです」

カメラはキッチンで卵のおじやを作る麗子を執拗に映す。
初めて母らしいことをしてくれている様子を見つめる律の視線だろう。律は一口食べただけで感極まって外へと出ていってしまう。律は日本へやってくる前に自撮りした、母に会ったときに言おうとしていた言葉を見返していた。

「母ちゃん、おかげさまで悪くねえ人生だった。産んでくれてありがとう。さようなら。
母ちゃん、幸せになってくれよ」

これまで「生きた証」として撮ってきた動画をすべて消去し、歩きながらこう呟く。

「母ちゃん、産んでくれてありがとう。生まれ変わっても、また親子になろうな」

生と死の境界を歩く律


律が自撮り動画を消したあたりから、このドラマは静かなエピローグに向かう。大きく物語が動くというわけではなく、イメージ的な映像が羅列される。

別荘に戻ってきた律は、凛華のスマホに入っている自分の画像をすべて消し、寝顔に口づけをして、再び姿を消す。

海に向かい、母の指輪を投げ捨てた律は、電話で一言だけ凛華に語りかける。

「ボケチン……。ごめん、愛してる」

画面から音が消え、ゆっくりと電話を下ろす。どこかを見つめ後、視線をはるか彼方へと移す。ずっと長瀬の極端なクローズアップだ。スタッフの俳優・長瀬智也への信頼が見てとれる。

カメラは悄然と波打ち際を歩く律の後ろ姿を映し続ける。海と陸の境目は、生と死の境目のメタファーだ。顔を映さずに後ろ姿のままなのは、ストレートに死を意味している。雲の切れ間から光がさす方向へと遠く小さくなるまで歩き続けた律は、光に包まれて消える。
きっと本当に天使になったのだろう。

1年後、サトルが復活コンサートで選んだ曲は、ショパン「別れの曲」。ベタといえばベタだ。「別れの曲」を聴きながら、ほんのわずかな律との思い出を回想し、涙を流す麗子。麗子が律のことをどこまで知っているのかは視聴者にはわからない。

「もう一人息子がいたけど、遠い昔に捨てたの」

麗子は家で、律が好きだったブラームスのインテルメッツォ(間奏曲)を弾く。レクイエムのつもりだったのだろうか。若菜(池脇千鶴)の家では、息子の魚(大智)が律そっくりの口を叩いていた。律の生きた痕跡はサトルの身体の中と、若菜の家の中に残っている。

韓国版とのエンディング比較


画面は1話の冒頭に戻る。凛華がソウルの街を歩き、かつて2人で夜を明かしたねぐらにやってくる。横になっていた凛華だが、「しっかりしろ、ボケチン」という律の声で目を覚まし、しっかりした足取りで前を向いて歩いていく。

凛華の顔には光がさし、薄く笑みも浮かべているようだ。律に見守られ、前を向いて生きていくという意味なんだろう。

韓国版『ごめん、愛してる』のラストとは真逆の終わり方だ。【ここからネタバレ】主人公のムヒョク(ソ・ジソブ)の死後、彼を愛したウンチェ(イム・スジョン)は墓にやってくる。墓前に花を捧げたウンチェは、その場で横たわる。

「死ぬほど孤独だった彼を放っておけませんでした 一生で一度のわがままを 誰かのためでなく 自分の心に従います 罰は私が受けます ソン・ウンチェ」。ウンチェはムヒョクを追って死を選んだのだ。ムヒョクの墓には「I'm Sorry, I love you(ごめん、愛してる)」と書かれていた。【ネタバレ終わり】

日本版『ごめん、愛してる』の(律が見守る中)凜華が前を向いて生きていくというエンディングは、9話で律がジャーナリストの加賀美(六角精児)に語った「せっかくヨボヨボになるまで生きられんのに。もったいねぇよ……もったいねぇ」という考え方が反映されている。韓国版とは違う終わり方を模索したのか、日曜9時という枠が影響したのかはわからないが、いずれにせよ正反対の着地をしたことは事実だ。

律と「幸福な王子」


日本版は登場人物たちが感情をぶつけ合うことがなく、登場人物たちの心情もどこか客観的に映し出していた。ナレーションやモノローグが一切なく、主人公の律が自分の心情を語るときも「スマホの動画」というワンクッション挟んだ形で行われていたのが象徴的だ。

ドラマティックな設定と、カロリー過多なキャスティングに目を奪われがちだが、実際には抑制的な展開の中、登場人物たちのほんの少しこぼれる感情の機微を感じ取るドラマだったと言えるだろう。むしろストーリーの展開は二の次に置かれていたように見える。反面、展開が乏しかったため、ストーリーに入り込んでいる人たち以外にしてみれば、同じことを繰り返していたように見えたかもしれない。

物語が、恋愛や親子の情愛、愛憎といった部分よりも、長瀬智也が演じる主人公・律の利他主義的な部分に収れんしていったのも特徴的だ。サトルに自分の心臓を与え、麗子を守り、凛華と若菜と魚の未来をいつも考えていた律は、ゴミ溜めに捨てられた「幸福な王子」(7話で若菜が読んでいた童話)だった。

「幸福な王子」では、王子の立像は壊され、残された鉛の心臓は死んだツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられてしまった。下界の様子を見ていた神様に「この街で尊きものを二つ持ってきなさい」と命じられた天使は、ゴミ溜めから鉛の心臓と死んだツバメを持ってきた。神様は天使を褒め、王子とツバメは楽園で永遠に幸福になったという。
(大山くまお)