きょう12月10日は、ダイナマイトを発明したスウェーデンの化学者・実業家のアルフレド・ノーベルの命日だ。ノーベルの遺言により、その遺産を基金として設立されたノーベル賞の授賞式は、毎年この日にスウェーデンのストックホルム(物理学・化学・生理学医学・文学・経済学の各賞)とノルウェーのオスロ(平和賞)で行われている。


今年のノーベル賞のうち文学賞には、イギリスの作家カズオ・イシグロが選ばれた。イシグロのノーベル賞授賞をめぐっては、「日本出身の作家としては川端康成、大江健三郎に続く3人目の授賞」とする報道も目につく。こうした扱いに対しては、イシグロはあくまで英語で作品を発表しているイギリス人作家だと否定する意見も少なくない。同様の議論は、南部陽一郎や中村修二らアメリカ国籍を得たあとで物理学賞に選ばれた人々に関しても起こった。

ただ、受賞者の国籍がどこであれ、それについてことさらにこだわることは、ノーベルの「賞を与えるにあたっては、候補の国籍が考慮されてはならない」との遺言に反する。これは、ノーベル財団および授賞者の選考にあたるノーベル賞委員会に現在にいたるまで脈々と受け継がれている精神だ。

山中教授がノーベル賞委員会に怒られた理由『ノーベル賞の舞台裏』
共同通信ロンドン支局取材班編『ノーベル賞の舞台裏』(ちくま新書)。谷崎潤一郎や三島由紀夫、あるいは岸信介や吉田茂など過去にノーベル賞候補にあがった日本人も何人かとりあげられている。毎年、授賞が取りざたされている村上春樹についても一部選考委員に評価を訊いていて、これがまた興味深い

山中教授の発言に激怒したノーベル賞委員会


ノーベル賞関係者が、いかにノーベルの遺志を守ることに努めているか。最近刊行された『ノーベル賞の舞台裏』(共同通信ロンドン支局取材班編、ちくま新書)では、ある外交筋の話として、京大教授の山中伸弥が2012年にノーベル生理学医学賞授賞の一報を受けた際の記者会見での発言に、ノーベル賞委員会が激怒したという話が紹介されている。

山中はこの会見の冒頭、「日本、日の丸の支援がなければ、こんなに素晴らしい賞を受賞できなかった。まさに日本が受賞した賞」と発言していた。しかし、委員会はこれに怒り、「あんな発言は絶対にしてはいけない」と異例の警告を発したという。その理由について本書では次のように説明されている。

《委員会側の見方に立てば、山中の日本政府への謝辞は、受賞者の功績と国家を混同したもの。
ひいては「ノーベル賞は日本という国を意識して受賞者を選んだ」という批判につながりかねない。特に自然科学系のノーベル賞にそうした政治性が入り込む余地はないはずだが、アルフレド・ノーベルの精神を汚す可能性が生まれること自体を彼らは嫌悪している》


ノーベル賞関係者はこの点に関して徹底しており、ほかにも、受賞者を指す際に勝者や獲得者を意味する者を意味する「WINNER」という言葉が使われることを極端に嫌い、報道関係者がうっかり口にしようものなら、「LAUREATE」(栄誉や栄冠にふさわしい人物の意)と言い直されるという。一時期はノーベル財団が、各国外交団が大使館や大使公邸で受賞祝賀会を開くのを禁じていたことさえあったらしい。

選考資料は50年を経て公開、しかし閲覧にはハードルが


『ノーベル賞の舞台裏』は、遺言以外にも、ノーベル賞にはさまざまな“鉄の掟”があることを教えてくれる。その最たるものは、ノーベル賞の選考過程や候補者は、最低50年間は公開しないというノーベル財団の規定だ。なぜそんなに長く秘密を保持するのか? 選考関係者によれば《候補になった人物が判明すると、本人や周囲がその事実に振り回され、本来の業績を残すべき研究者著述業、平和活動に悪影響を及ぼす可能性が出る事を恐れるため》で、半世紀という期限は《本人が生きている間は秘密にする》との意味で設定されたという。

50年を迎えた情報は順次公開されるとあって、共同通信の取材班は、毎年正月になるとスウェーデン・アカデミーを訪ねては、解禁されたばかりの選考資料を確認している。
2014年には、以前よりノーベル文学賞の有力候補だったと言われてきた作家の三島由紀夫が、実際に1963年に候補になっていたことが公式資料により初めて裏付けられた。

ただし、文学賞と平和賞については報道関係者にも門戸が開かれているものの、自然科学系の3賞(物理学・化学・生理学医学の各賞)は、資料が解禁されてからもその閲覧は、原則として科学史などの研究者にしか認めていない。

これについて本書では、《自然科学賞の選考資料は専門性が高く、十分な知識を身に付けた研究者が扱った方が、より間違いが起きないということなのだろう。しかし、一般の人々が実質的には閲覧できない状態を「資料解禁」と呼んでいいのか、釈然としない気持ちも残る》と率直に書かれている。

そもそも候補者や選考過程が50年間一切公開されないルールには、別の問題もあると、本書で記者らは指摘する。それは、《各賞の選考組織は、結果に対する説明責任を負う必要がないということだ》
もちろん、選考委員は授賞者の発表にあたり、その授賞理由について記者会見で細かく発表し、報道陣の質問にもきちんと答えている。だが、そこでは、授賞したのがなぜほかの研究分野ではなかったのか、その分野のなかでもどうしてほかの人物が選ばれなかったのかという問いに委員会側が答えることはなく、全面的な説明責任を果たしているとはいえない。《これは、自他共に認める世界最高の権威を持つ賞のあり方として、果たして正しいのだろうか》と本書は疑問を呈する。

ノーベル賞はいかに研究者の人生を変えるか?


このように、ノーベル賞のあり方について本書はさまざまな疑問を示す。とりわけ、毎年授賞者が発表されるたびに議論が起こることの多い平和賞については、かなりのページ数が割かれている。

平和賞についてノーベルは遺言のなかで、「諸国間の友好」「常備軍の廃止または削減」「平和会議の開催・推進」の3つを選考基準としてあげていたという。
しかし、近年は、人権問題や救貧活動、あるいは環境といった分野にも授賞対象を広げつつある。これについていま一度ノーベルの遺志に立ち返るべきだといった異論も、平和賞のお膝元であるノルウェーを中心に出ているという。

ここまで波紋を広げるのも、ノーベル賞という存在の大きさゆえだろう。とくに日本では、ノーベル賞が過大に扱われるきらいが強い。毎回、日本人授賞者が出るたびに、日本からは報道陣が総出でストックホルムに押し寄せ、授賞者の行動を逐一伝えているが、そんな国はほかにないらしい。

しかし、ノーベル賞を絶対視するのは考えものだろう。
文学賞についていえば、その選考委員会には近年では中国文学の専門家が会員になるなど多様化しつつあるとはいえ、大半はやはり欧州系の言語や文化を専門とする会員が占める。本書の取材を受けた選考委員の一人は、ノーベル文学賞について《欧州の外れの小国に住む十八人が授与する賞であって、世界選手権のようなものではあり得ない》とまで言い切っている。

『ノーベル賞の舞台裏』のエピローグでは、日本の“ノーベル賞至上主義”について、いまいちど再考が促されている。日本ではノーベル賞というと、受賞者は国民的英雄に祭り上げられ、当人もある種の使命感にかられがちである。だが、他国の受賞者はもっと気楽にとらえているようだ。たとえば、2006年に生理学医学賞を受賞したアメリカのクレイグ・メローは、著者から「ノーベル賞を受けたことであなたの人生はどう変わりましたか?」と訊かれて、次のように答えたとか。

《受賞が決まった日、何年も会っていなかった友人から電話が来た。まだウインドサーフィンを続けているかとね。そして友人のこのときの薦めで、カイトボートを始めたのさ。人生が変わったね。そうそう、仕事も少し忙しくなったかな》

メローは受賞後も淡々と研究を続ける日々を送っているという。
(近藤正高)