経営危機に陥っていた大和生命保険が、10月10日に倒産した。生保会社の破綻は2001年3月の東京生命保険以来7年半ぶりで、その報は取引時間中の東京株式市場を直撃。
リーマン・ブラザーズ破綻に端を発する欧米の金融危機の波が日本にも及んだとして、日経平均株価は戦後3番目の下げ率を記録する暴落となった。


 しかし、この破綻のタイミングには不可解な点が多い。大和生命の中園武雄社長は会見で「世界的な金融市場の混乱で、資産運用のために保有していた有価証券で、想定外の急速かつ深刻な価格下落が進んだ」と、破綻の理由を今般の世界的な金融危機によるものと強調。だが、大手生保関係者は「最近の市場混乱がきっかけだなんて嘘っぱち。大和生命の経営は、3~4年前から取り返しのつかないくらい悪くなっていた」と明かす。

「大和生命は、02年に破綻した旧大正生命を買収するなど、事業の拡大を推進。

05年には、日興コーディアル証券副社長だった中園氏をトップに招くという異例の人事を行ったが、同社長は、証券会社と同じ感覚で高リスクの資産運用を推進し、失敗。最終利益も黒字を保ってはいたが、これも東京・内幸町という超一等地に建つ本社ビルを600億円超で売却しただけのこと」

 その大和生命がこの時期を自らの命日に選んだのには、中園社長をはじめとする経営陣の"責任逃れ"のためとの見方が強い。高リスクな"バクチ経営"が失敗した末の経営破綻では、マスコミや株主から経営責任を追及されるのは間違いない。しかし、リーマン破綻後に世界的な株安が進行する中で「市場環境のせい」と主張し、経営責任を薄めることを狙ったのではないかというのだ。

 それが奏功したからか、実際マスコミの論調も「リーマン禍の破綻」などと、中園社長など経営陣の責任を追及する声は小さく、彼らのもくろみは当たった。だが、その代償として金融業界は混乱し、ある金融業界関係者は「大和生命は世間的には無名の存在であり、リーマン破綻以前なら大きなニュースになっていなかったはず。

このタイミングで破綻したことで扱いが大きくなり、株式相場が悪化したうえ、生保業界に対する信用不安が高まり、連鎖破綻すら招きかねない状態だ」と憤る。

 だが、この破綻には、監督官庁である金融庁の意向が働いたとも見られている。それというのも、当然ながら金融庁は大和生命の経営悪化を把握していたはずだが、早期の改善措置など十分な対応を行っていないのだ。対応らしい対応といえば、経営破綻のわずか1カ月前、"アリバイ作り"のために同社へ検査に入ったことぐらいである。「金融庁は、生保業界全体での保険金不払い問題にこだわりすぎるあまり、大和生命への対応を半ば放置していた」(前出の金融業界関係者)といい、監督責任を問われて当然なのだが、こちらも金融危機に責任を転嫁することで、マスコミの追及なども行われずに済んでいる、というわけだ。

 さらには、行政の責任をチェックすべき政府も、大和生命の破綻を都合よく使ったのではないかと見る向きもある。

大和生命破綻の翌11日、ワシントンでG7が開かれ、公的資金による金融機関への資本注入などを柱とする対策を打ち出した。日本からも中川昭一財務相が出席したが、この破綻が直前に起きたことで、日本においても危機感が高まり、公的資金注入に対する反対が弱まった。また、この破綻の影響で事前に株価が暴落していたことで、逆にG7後の連休明け14日には、日経平均株価が1171円高と過去最大の上昇を見せ、麻生内閣は対策効果をアピールすることに成功している。前出の金融業界関係者は、「こういった政治日程を完璧に把握した上で、金融庁がベストな破綻日程を作り上げ、政治の側もこれを了承したのではないか」と指摘する。

 市場や保険会社の犠牲の上に、大和生命、金融庁、政治の三者にとって都合が良い破綻が"作られた"というのが、真相のようだ。
(隅田哲太/「サイゾー」12月号より)



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