やはり、落ち着くべきところに落ち着いたといったところか。

 3月19日、自衛隊高級幹部人事の交代が発表された。

制服組トップの統合幕僚長には山崎幸二陸上幕僚長が、海上幕僚長には山村浩海上幕僚副長がそれぞれ就くこととなった。発令は4月1日付。いずれも、2018年4月22日付当サイト記事『自衛隊、新統合幕僚長に山崎陸将が最有力か…ダークホースの村川海将も…人事の全裏側』において予想した範囲内の人事である。

 この人事をめぐって制服組自衛官、なかでも海上自衛隊内部では安堵ともいえる空気感に包まれているという。艦艇畑の2佐は、その様子を次のように語った。

「切れ者として知られ、次期海幕長の有力候補だった山下万喜(かずき)海将が勇退することになり、平成も終わり、次の時代の海自のリーダー像がはっきりした感があります」

 ここ数年来、海自内外においては、新海幕長には海自現場部門のトップである自衛艦隊司令官だった山下元海将が最右翼といわれてきた。
だが、結果はそうならなかった。今回は、そんな新海幕長人事の舞台裏に迫ってみたい。

●誰もが海幕長就任を信じて疑わなかった「海自のホープ」

 自衛隊といえども、“お役所”である。とりわけ海自は、その色合いが濃い。人事は霞が関の中央官庁と同じく、「この椅子に座れば、次はこの椅子」と、遠い将来の人事がほの見えてくるところがある。海自に限っては、自衛艦隊司令官を筆頭に、首都圏海上防衛の要となる横須賀地方総監、中朝を睨む場所の最前線を管轄下に置く佐世保地方総監、そして海自トップを補佐する海上幕僚副長の4つの職が“海幕長直前”の提督が座る「指定席」だ。


 次期海幕長の椅子を射程圏内とする、これらの重要ポストのなかでも「格上」とされる2つの職、自衛艦隊司令官と佐世保地方総監を務めたのが山下元海将だった。若い頃から「海自のホープ」と音に聞こえた俊秀ぶりから、海自内外では誰もが「いずれは山下海幕長の誕生」を信じて疑わなかったという。

「あまりにも輝いているので、同年代の人材が全員霞んでみえた」

 東京・市ヶ谷の防衛省近く。“自衛官の帝国ホテル”として知られるホテル「グランドヒル市ヶ谷」地下の和食店で、瓶ビールをおいしそうに飲み干しつつこう語ったのは、防衛大では山下元海将の先輩だったという海自OBだ。

 若手幹部時代から、「まだまだ組織から試されている立場」である1佐になってすぐの頃の山下元海将は、頭脳明晰で桁外れな行動力を持ち、将来、国防の重責を担う部下や後輩幹部自衛官には熱く丁寧な指導を施し、下士官(曹士自衛官)にも気配りを忘れなかった。そのため、上司はもちろん部下や後輩からも、まさに非の打ちどころのないナイスガイとして音に聞こえた「名士」だったという。


 そうした呼び声もあってか、山下元海将の海幕長就任は「遅かれ早かれ実現する」という見方が衆目の一致するところだった。

●新時代、求められる海自トップ像とは?

 ところが、その既定路線が揺らぎ始める。今から3年ほど前の話だという。当時、海幕勤務だった前出の2佐が、この頃の様子をこう振り返る。

「山下元海将は、あまりにも優秀で立派すぎる。だから発揮する個性も強い。
そんな“できすぎた上司”を前にすると、部下は立場がない。結果として組織のパフォーマンスを最大限に引き出せなくなるのではと懸念する声が、深く静かに広まっていきました」

 旧海軍の正当な伝統継承者を自認する海自だが、その組織風土は、伝統の核となる部分を残しつつも、時代に合わせて器用に変化していくところに特色がある。不易流行だ。

 かつての旧海軍を経験した者も在籍していた昭和期から、バブル期、バブル崩壊後の不況期を経て、人権意識が成熟した平成も終わろうとしている今、海自を取り巻く環境と内部の空気感は大きく変わってきた。そうすると、おのずと海自に求められるリーダー像も変わってくる。

「かつては、押し出しが強く、自らビジョンを打ち出すトップダウン型のリーダーが理想とされていました。
しかし、近年は、温和でマネジメント力に長けた調整型のリーダーが求められています。2005年に就任した斎藤隆元海幕長以降、その傾向が顕著です」

 経済誌「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社)で特集『自衛隊 防衛ビジネス 本当の実力』(2017年8月26日号)にも参加した経済ジャーナリストの秋山謙一郎氏は、海自が求めるリーダー像をこう語った。

●海幕長室の金庫にある“虎の巻”に書き記された強力な対抗馬

 確かに、「防衛省と制服組との関係の見直し」を求めたことで知られ、今なお論壇やマスコミにもたびたび登場する、古庄幸一元海幕長(2005年勇退)を最後に、海自のトップは変わった。かつての勇猛果敢な闘将から、先述の斎藤隆元海幕長以降、先代の「初の事務系職種」出身の村川豊元海幕長まで、いずれも周囲の声に耳を傾け、部下の可能性を引き出すタイプの、温厚な「仁将」もしくは「知将」として知られる人たちが「海自のトップ」へと就いている。

 その基準でみれば、何事も率先垂範、自らの個性を前面に押し出し、強いリーダーシップを発揮することで知られる山下元海将は、漏れ聞こえる好漢ぶりはさておき、やはり「遅れてきた古いタイプのリーダー」と映る。

 こうした時代の空気感を反映してか、それまでの“山下元海将=次期海幕長”という既定路線は次第に鳴りを潜めていく。
同時に、内部では“荒唐無稽ではあるが耳目を引く噂”が頻々と流れていた。それは、以下のようなものだ。

「海幕長室の金庫には、時の海幕長から数えて次代、次々代までの海幕長候補の名が記された『虎の巻』がある。そこには当然、最有力候補として山下氏の名が記されていたが、優秀がゆえに濃すぎるキャラを心配する声もあり、山下氏に対する強力な“対抗馬”を立てて、その人の名前もメモしておくよう“天の声”が下った」

●自衛隊は“たったひとりのスーパースター”を必要としない

 ここでいう“天の声”とは、将官クラスで退官したOBのほか、国民の代表者である政界に属する人、そして市民の代弁者であるマスコミ関係者を指す。この外野の声をきっかけに、海自として温めてきた人事のお膳立てをちゃぶ台返しする動きが水面下で加速する。

 その動きの核となったのが、海自のニューリーダーともいうべき海将補、将補昇進目前の1佐クラスたちだ。そのうちのひとりで山下元海将の海幕長就任に強く反対した海将補が、自らの思いをこう語った。

「とてもさっぱりした人柄で知られる山下元海将ですが、彼が海幕長になると、その優秀さから、部下となる全海自隊員の個性が霞んでしまいかねません。山下元海将は、あまりにも輝きすぎでした。トップには、時に陰から静かに部下や組織を見守ることも求められます」

 数々の重職をこなしてきた山下元海将だが、その評価は「能吏」ではあっても「海自のトップ」としては、今の時代にそぐわなかったといったところか。海将補は続けてこう語る。

「国民の皆様から自衛隊という組織をお褒めいただける時代とは、どういう社会情勢であっても本来は好ましいことではありません。そうしたなかで、自衛官がひとり目立つということは、たとえその人が優秀であったとしても、あってはならないことです」

 自衛隊、とりわけ海自は、どういった基準でも目立つ人は疎まれる気風がある。この海将補は、自らに言い聞かせるように言う。

「海自に、そして自衛隊に、“たったひとりのスーパースター”は不要です。海幕長に求められるのは、海自にいる隊員たち一人ひとりの個性を引き出し、組織としてのパフォーマンスを高めることです」

 こうして、「優秀すぎる」という理由で、「海自のホープ」と誰もが認める俊秀を「勇ましく退いて」もらう方向へと舵が切られたのだ。
(文=編集部)