長島監督もお住まいの田園調布が「高級住宅地」になったワケ
(上)駅前広場と旧駅舎。(下)「この先に何があるのだろう」という夢のある街を、とカーブを多用。生け垣も健在。
初孫となる双子誕生のニュースとともに、順調なリハビリの様子も伝えられて、にわかに明るいムードとなった長島茂雄監督周辺。その長島監督がお住まいということでも有名なのが、東京でも随一の高級住宅地・田園調布だ。


高級住宅地というと「昔から名家が住んでて、それが広がった」ぐらいのイメージだが、実は田園調布は、他に類を見ないほど完璧な計画をもとに作られた街なのだ。

もともと田園調布は、実業界の父といわれる渋沢栄一による「欧米のような田園都市を」という強い思いから生まれたもの。その意を引き継いだ栄一の子・秀雄によって、駅から放射線状に街が広がり、店舗と住宅が完全に分かれた、緑の多い美しい街が実現した。

『東京の都市計画』(越沢明著、岩波新書)によると、大正後期から昭和初期にかけての分譲の際には、「塀は設けるときは瀟洒典雅なものに(生け垣等が望ましい)」「建物は三階建て以下」「建物は宅地の5割以内(めいっぱい建てない)」「住宅の工費は××円以上(安っぽいのを作らない)」といった「紳士協定」が結ばれ、さらにそれがきちんと守られたのだそうだ。その頃ほどではないまでも、今もその志は大切にされていて、街を歩くと、自分の知っている日本とはなにかが違う「異国」の雰囲気が感じられてくる。

それにしても、「生け垣をつくる「安い工事をしない」など、あるもの(=お金)ないと守れぬこの「紳士協定」。時代が変わってもやっぱり庶民には、田園調布は「永遠の憧れ」のようです。
(矢部智子/アンテナ)
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