
その後、気をつけて歩いてみたところ、街のなかで「阿佐ヶ谷」と「阿佐谷」が混在していることがわかった。中学校にはあるが、公園にはない。歯医者にはあるが、中華料理店にはない。すずらん通りにはあるが、パールセンターにはない。西友にはあるが、大丸ピーコックにはない。
……なぜ!?
とはいえ、きっと住民には常識なのだろうと、阿佐ヶ谷在住15年の友人に聞いてみたところ、「ああ、それ前にテレビでやってたの見たなぁ。でも忘れた」とのこと。サンプルが1人でははっきりしたことは言えないが、とにかくこのことで今も阿佐ヶ谷で激しい抗争が起きてるとか、消えた「ヶ」の伝説が住民に語り継がれている、ということはなさそうだ。
あらためて杉並区役所に電話で聞いてみたところ、区民課の方が丁寧に教えてくださった。お話によると、昭和38年から44年にかけて住居表示が変わることになり、昭和40年の実施で、「阿佐ヶ谷」の町名は「阿佐谷」となったのだそう。でも、それはあくまで町名だけの話。
「それ以降、阿佐ヶ谷の町名が〈北阿佐谷〉と〈南阿佐谷〉のふたつになったんですが、町名を4文字にしよう、ということで〈ヶ〉がとれたんです」
なるほど、そんな経緯だったんですね。ちなみに今回の記事は、「なんとなくこっちが好き」という「ヶ」あり派の友人の意見をくんで、「阿佐ヶ谷」でお届けしてみました〜。
(矢部智子)