藤岡弘探検隊は東大に通じる!?
南極にだって旅行にいけちゃう時代に秘境もないだろうと思うが、どっこいテレビでは探検ものがブーム。テレビ朝日の「スイスペ!藤岡弘探検隊シリーズ」である。


1978年から1985年まで放送されていた川口浩探検隊の平成版なのだけれど、たいしたことでもないのに妙に危機感をあおる映像とナレーションは今も昔も変わらない。

ところでこの秘境探検、当然だが単なるテレビの娯楽としてスタートしたものではない。
第二次大戦後、世界に肩を並べようという学術的な目的で始められ、調査対象は何と「雪男」だったのである(!)。

1898年にワッテルー大佐が著した「ヒマラヤの冒険」に『シッキムヒマラヤ5000メートルの雪原で神秘な足跡を発見』と報じられ地元で「イエティー」と呼ばれる動物が実在するらしいと初めて世界に紹介された。

1951年にはその足跡と呼ばれるものがイギリスのエリックシンプソン隊によってカメラに収められ、足跡は長さ33センチもある四本指のものだった。

このことをきっかけに世界各国でヒマラヤの雪男探索がブームに。
日本ではいち早く東大が学術調査に名乗りをあげた。1959年には「雪男の謎を解く会」が開かれ、即座に「日本雪男研究グループ」が結成される。代表には東大医学部の小川鼎三教授が選出され、スポンサーには毎日新聞、メンバーはマナスル登頂隊から2名、多摩動物園園長の林寿郎といった第一線級の研究者を集めていた。

しかしそれは現在の藤岡弘探検隊シリーズを彷彿とさせるものだった。

その年のヒマラヤ地方は稀に見る暖冬で雪が少なかった。探検隊は雪男が出たときのために銃の打ち方の訓練もしたが会えるどころか足跡も発見できず、手がかりもないまま途中の村で婚礼を見学していたりする。
2ヶ月の調査は成果ゼロ、大空振りに終わった。

そんな中、現地で手に入れたのがラマ教寺院にある「雪男の頭皮」からとったという毛と正体不明のフンと骨。フンと骨は鑑定の結果、雪男とは関係のない動物のものと判明。頭皮の毛に関してはうやむやになってしまった。

「このままでは帰れない」

東大探検隊は雪男に代わる発見はないかと思索しながらヒマラヤの雪解け氷を流す川に沿って下っていた。そのとき、小川鼎三隊長が思いついた。

「このヒマラヤの雪解け水の下流、インドには淡水クジラや淡水イルカがいるらしい。これを捕獲して研究したらどうだろうか」

このことがきっかけで東大は日本で初めてカワイルカの研究に手を染め水性哺乳類学を発展させた。現在、東大のカワイルカ研究は世界も認めるところで、絶滅の危機に瀕している種の保存に力を注いでいるのだという。(こや)