
(下)渋谷ビールのラベル
大阪の堂島で「国産ビール発祥の地」と書かれた碑を見かけた。以前、Bitで紹介した堂島薬師堂のすぐ近くだ。
隣にあるプレートの説明によると、明治5年(1872年)に、大阪商人の渋谷庄三郎が、堂島に醸造所を設け、日本人で初めての本格的にビールの製造・販売を開始したそうだ。犬のマークが付いたラベルの「渋谷ビール」という銘柄で、年間約32〜45キロリットル製造され、外国人に販売していたという。
しかし、気になることも書かれていた。「横浜で外国人によってビールの醸造が行われていた」というのだ。あれ? どういうことだろうか? そういえば、日本のビール発祥の地は横浜と言われることがよくある。はっきりさせるために調べてみた。
明治3年(1870年)、米国人のウィリアム・コープランドによって横浜・山手にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」が設立され、日本で初めてビールの醸造・販売が開始された。外国人の手による日本初だが、実は麒麟麦酒(キリンビール)がこれの流れを汲んでおり、世間的に「横浜が日本のビール発祥の地」と定着してしまったようだ。
また、もっと調べてみると、小規模なものなら江戸時代にも日本でビールが造られていたことが分かった。
文化9年(1812年)に、長崎の出島でオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフによる“自家醸造”で、これが「日本で初めて醸造されたビール」。嘉永6年(1853年)には、江戸で蘭学者の川本幸民が蘭書を参考に醸造し、こちらは化学実験的要素が強かったようだが、「日本人による初めて醸造されたビール」になるそうだ。
つまり、横浜は「日本で初めて産業的にビールがつくられた地」で、大阪は「日本人によって初めて産業的にビールがつくられた地」ということだ。
現在、堂島のすぐ近くは繁華街の北新地で、生産地ではなく消費の地となっている。
ビール発祥の地ということで、堂島では「堂島麦酒醸造所」によって「北新地ビール」が醸造されているとか。北新地に行かれたときは、飲みに寄ってみてはどうでしょうか。
(もがみ)
隣にあるプレートの説明によると、明治5年(1872年)に、大阪商人の渋谷庄三郎が、堂島に醸造所を設け、日本人で初めての本格的にビールの製造・販売を開始したそうだ。犬のマークが付いたラベルの「渋谷ビール」という銘柄で、年間約32〜45キロリットル製造され、外国人に販売していたという。
しかし、気になることも書かれていた。「横浜で外国人によってビールの醸造が行われていた」というのだ。あれ? どういうことだろうか? そういえば、日本のビール発祥の地は横浜と言われることがよくある。はっきりさせるために調べてみた。
明治3年(1870年)、米国人のウィリアム・コープランドによって横浜・山手にビール醸造所「スプリング・バレー・ブルワリー」が設立され、日本で初めてビールの醸造・販売が開始された。外国人の手による日本初だが、実は麒麟麦酒(キリンビール)がこれの流れを汲んでおり、世間的に「横浜が日本のビール発祥の地」と定着してしまったようだ。
また、もっと調べてみると、小規模なものなら江戸時代にも日本でビールが造られていたことが分かった。
文化9年(1812年)に、長崎の出島でオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフによる“自家醸造”で、これが「日本で初めて醸造されたビール」。嘉永6年(1853年)には、江戸で蘭学者の川本幸民が蘭書を参考に醸造し、こちらは化学実験的要素が強かったようだが、「日本人による初めて醸造されたビール」になるそうだ。
つまり、横浜は「日本で初めて産業的にビールがつくられた地」で、大阪は「日本人によって初めて産業的にビールがつくられた地」ということだ。
やはり“発祥の地”というと、現在のビール産業のルーツとなる施設があってこそなのだろうか。
現在、堂島のすぐ近くは繁華街の北新地で、生産地ではなく消費の地となっている。
ビール発祥の地ということで、堂島では「堂島麦酒醸造所」によって「北新地ビール」が醸造されているとか。北新地に行かれたときは、飲みに寄ってみてはどうでしょうか。
(もがみ)
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