アノ人で話題の「出家」って、そもそも何だ?
ひとことで、「出家」といっても、いろいろあるようです。
先日、保阪尚希の「出家」が報じられ、話題となった。でも、坊主頭にはしない、タレント活動も続ける、恋愛も結婚もアリだという。

じゃ、なんなんだ、「出家」って? フリーダム?

そういえば、学校の先生とかとお坊さんを兼業してる人はけっこういるけど、それは「生家がお寺だったから」というのが多いケース。
もともと縁もないのに、従来の仕事を続けながら、「出家」というのは、異例ではないだろうか。

この「出家」、広辞苑第四版によると、「家を出て仏門に入ること。俗世間をすて、仏道修業に入ること。また、その人。僧」とある。

やっぱり、「俗世間をすて」ることが条件ではないのか。今は変わってきてるのか?

「兼業」のお坊さんをしている知人に聞いてみると……。
「昔は『出家』といえば、仏門に入る、修行僧になる、世俗から離れて修業するために剃髪するといった意味でしたよ」
とのこと。
「出家」は文字通り家を出ることで、生活しながら仏門を学ぶのは「在家」。やっぱり家を捨てるのが大前提だったわけだ。
「でも、今はかたちとしてお坊さんになること。
お坊さんのなり方は、宗派によって違うんですが、たとえば、1年間山にこもって勉強するとか、ある程度の期間勉強した後、10日間山にこもって剃毛するとか、ある程度の年齢を越えないといけないとか、いろいろあるんです」
という。

では、「出家」してからやってはいけないことは?
「これも宗派によりますけど、昔は肉食しない、めとらないというのがありましたが、今は結婚はだいたいどこもOKだし、肉食べたらあかんというのもほとんどないですよ(笑)」

ちなみに、回答してくれたお坊さんは浄土真宗の方だが、
「うちは、なかでもゆるやかで自由なほう。もともと親鸞も結婚してたしね、アハハハ。厳しいといわれる禅宗とかも最近は比較的ゆるやかですよ」
と、実に朗らかだった。 

じゃ、逆に言うと、今は「やってはいけないこと」なんてないに等しかったりして?
「これも宗派によって違いますが、その宗派の持っている教えに反することはしないというのが基本です。たとえば、お寺の仕事をおろそかにしないとか、嘘は教えないとか、ギャンブルはしないとか、それなりにきっちりした生活をしなければいけないというのはありますね」
具体的な決まりごとというより、ある程度、個人の裁量に任されているということか。


余談だが、中学生の頃、修学旅行で有名なお寺を訪ねたとき、精進料理を食べる私たちの傍らで、お坊さんがでっかい海老天を食べているのを見て、なんだか裏切られた思いになったことがある。でも、あれも実はお坊さんがズルしてたわけじゃなく、私たちに海老天をくれるのが惜しかったわけでもなく、精進料理が、「ザ・お寺」という“観光”だったのですね。

時代とともに変わってきている「出家」の定義。それでも厳しい修業をしている人たちは当然たくさんいます、念のため。
(田幸和歌子)