話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は7月8日の巨人戦で今季(2021年)7勝目を挙げた中日・柳裕也投手と、横浜高校の先輩・松坂大輔投手との絆にまつわるエピソードを取り上げる。

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【プロ野球巨人対中日】力投する中日・柳裕也=2021年7月8日 東京ドーム 写真提供:産経新聞社

『1点もやらない気持ちでずっと投げていた。(松坂に)いい投球を見せたいという気持ちは持っていた』

~『スポーツ報知』2021年7月9日配記事 より(柳裕也コメント)

まさに“年イチ”、今季最高のピッチングと言っていいでしょう。7月8日に東京ドームで行われた巨人-中日戦。3連戦を締めくくるこの試合、中日は6日の初戦、前橋での激戦をものにしましたが、場所を東京ドームに移した7日の2戦目は、かつてこの球場でノーヒットノーランを食らった山口俊の前に打線が沈黙。福留の復帰初本塁打による1点しか奪えず、借金が再び「10」に。もし3戦目に敗れると、オールスター前に早くも自力優勝の可能性が消えるという状況に追い込まれました。

このチームの危機に、先発のマウンドに立ったのがチームの勝ち頭・柳裕也です。力のある真っ直ぐに、スライダー、チェンジアップなどを巧みに織り交ぜ、巨人打線を翻弄。8三振を奪いました。これで奪三振数はリーグトップを独走する103個の大台に(8日現在)。貧打に苦しむ中日打線は、この日も京田のタイムリーによる1点を挙げただけでしたが、それで十分。9回は守護神ライデル・マルティネスにマウンドを譲ったものの、8回を107球、無失点に抑える堂々のピッチングで、今季7勝目を挙げました。

特に圧巻だったのは、4回、クリーンアップを3者三振に斬って取った場面です。丸佳浩はスライダー、岡本和真はチェンジアップで空振り三振。ウィーラーはカットボールで見逃し三振に仕留めました。チームの危機を救う、文句の付けようのない勝利。試合後のインタビューで柳が語ったのが、冒頭のコメントです。そう、この勝利の陰には、先日現役引退を表明した西武・松坂大輔に「いいところを見せたい」という思いが原動力になっていたのです。

ご存知のように、メジャーから帰国後の松坂は、2017年オフに3年在籍したソフトバンクを未勝利のまま自由契約となったあと、2017年暮れにテストを受け中日に入団。かつて西武の投手コーチだった森繁和・前中日監督の誘いを受けたもので、2018年から2シーズンだけ中日でプレーしました。1年目の2018年には6勝を挙げ、カムバック賞を受賞。まだまだやれることを示しましたが、翌2019年はわずか2試合登板、未勝利に終わりました。

この年、指揮官の座を与田剛・現監督に譲り、シニアディレクターを務めていた森前監督がオフに中日を退団。後ろ盾を失ったことと、与田監督の若手投手抜擢の方針もあって、松坂も退団を決意。

古巣・西武に移籍したのです。中日に在籍したのはわずか2年間でしたが、この間、ドラゴンズの若手投手たちに与えた影響は非常に大きなものがありました。

特に松坂に可愛がってもらったのが、同じ横浜高校出身の柳です。柳は宮崎出身ですが、横浜高校に進んだのは、当時メジャーで活躍していた松坂の姿に憧れていたからでした。同じ道を歩もうと心に決め、かつて松坂が背負っていたエースナンバー「1」をつけた柳。卒業後は明治大学に進み、2016年、ドラフト1位で中日に入団。

そんな過去がある柳にとって、プロ2年目の2018年、松坂がチームメイトになったときの驚きと喜びたるや……。こういう偶然の出逢いがあるのも、プロ野球の面白いところです。

とはいえ、最初のうちは“雲の上の人”過ぎて、柳からはなかなか話し掛けられなかったそうですが、松坂の方から気さくに声を掛け、何度も食事に連れて行ってくれるようになりました。憧れの大投手と2年間、チームメイトとして過ごした日々について、柳はこう語っています。

『少年時代にテレビで見ていた超一流の元メジャーリーガーが、目の前にいる。「どれだけ一緒に過ごしても、慣れることはなかったです。

松坂さんに会う度に、胸が高鳴りました」。目もくらむほどの実績と知名度を至るところで実感した。「本物のスーパースターっていうのを感じた」。なのに、自身の武勇伝は全く語らない。一回り以上も年齢が離れた後輩と、同じ目線で話してくれることが何とも不思議な感覚だった』

~『Full-Count』2019年11月6日配信記事 より

配球のこと、調整法のこと、大事な一戦での先発投手としての心構え……柳に対してだけでなく、自分の持てる知識や経験を後輩たちに惜しみなく伝えた松坂。それがどれだけ、中日の若手投手陣たちの糧となったかは言うまでもありません。2年間で挙げた6勝以上に、松坂は「いるだけで価値があった投手」でした。

松坂が中日退団を決意した日、柳は松坂から直接、惜別のメッセージをもらったそうです。スマホを見ながら号泣したという柳。ドラフト1位の即戦力として期待されながら、1年目は1勝、2年目は2勝止まり。3年目の2019年、松坂のアドバイスを血肉として11勝を挙げ、さあこれからというときだっただけに、退団がどれほどショックだったか……。

しかし松坂が西武に移籍してからも、交流は続きました。実は今回の引退についても、柳は事前に報告を受けていたそうです。

『松坂さんが築いてこられたことに対して、僕は正直コメントできるまでの選手ではない」。5日に本人からメールで連絡を受けていたことは明かしたが、柳は慎重に言葉を選んだ』

~『日刊スポーツ』2021年7月8日配信記事 より

……その恩に報いるには、結果を示す以外ない。野球はピッチャーが点を取られなければ、負けることはない競技です。1-0で勝った8日の試合は、まさにそれを地で行く試合でした。8回、1死一塁の場面で、若林晃弘を空振り三振に仕留め、女房役・木下拓哉が代走・湯浅大を二塁で刺した瞬間、「よし!」という表情を見せた柳。マウンドを降りるときの顔は、かつて松坂がよく見せていた「エースの顔」になっていました。チームが低迷するいまこそ、右のエース候補としての真価が問われるとき。大先輩の恩に報いるのは、これからです。