『自動車の社会的費用』(岩波書店)著者:宇沢 弘文Amazon |honto |その他の書店
ひさしぶりに本棚の奥からこの本を取り出して開いたら、映画「気狂いピエロ」の半券が挟まっていた。なつかしい!

はじめて読んだのは20歳の夏だった。
アルバイト先の先輩から強くすすめられたのだ。徹夜して読んで、こういう考え方があるのかと驚いた。ものの見方が変わる快感で嬉(うれ)しくなると同時に、世の中のひどさに気づいて腹が立った。

難しい経済学の話も出てくるが、書かれていることはシンプルだ。自動車に必要な費用は車両代とガソリン代だけではない。道路を作って維持するのにもお金がかかっているし、交通事故や大気汚染などの公害、環境破壊などで失われるものも多い。
ところがそれらの費用のほとんどは、自動車の持ち主ではなく第三者が負担している。大雑把にいうと、こういうことだ。

仮に東京の道路を「市民の基本的権利を侵害しないような構造をもった」ものに変えるとするならば、と宇沢弘文は試算する。その額は自動車1台につき年に約200万円。この本が出た1974年は、国家公務員の大卒初任給が7万円ぐらいで、トヨタのカローラは60万円弱だった時代だ。その200万円は自動車の持ち主が負担すべきなのに、他人に押しつけている。
一部は税金から道路の建設費用などのかたちで、そして残りは環境の悪化や事故の危険性などのかたちで。このような仕組みのなかで、自動車産業は発達してきた。

いやいや、空気が汚れても、交通事故が起きても、自動車がもたらす便益の大きさに比べればたいしたことはない、と考える人もいるだろう。だが、そうしたコスト・ベネフィット分析の危うさについても宇沢は指摘している。迷惑施設はコストを下げるために所得の低い地域に押しつけられがち。格差・差別ともつながる。


『自動車の社会的費用』という書名ではあるが、さまざまなものに応用可能だ。10年前に東京電力福島第1原発が大事故を起こしたときも、ぼくはこの本を思い出した。首都圏で使う電力なのに、原発は地価が安くて人口の少ない東北の福島に押しつけられた。地震が起きて津波が来て、原発の社会的費用は天文学的な金額になることが明らかになった。

便利そうなもの、魅力的に見えるものは、社会的費用という観点でよく吟味する必要がある。リニア新幹線の社会的費用とか、オリンピックの社会的費用とか。
怪しいものはたくさんある。

【書き手】
永江 朗
フリーライター。1958(昭和33)年、北海道生れ。法政大学文学部哲学科卒業。西武百貨店系洋書店勤務の後、『宝島』『別冊宝島』の編集に携わる。1993(平成5)年頃よりライター業に専念。
「哲学からアダルトビデオまで」を標榜し、コラム、書評、インタビューなど幅広い分野で活躍中。著書に『そうだ、京都に住もう。』『「本が売れない」というけれど』『茶室がほしい。』『いい家は「細部」で決まる』(共著)などがある。

【初出メディア】
毎日新聞 2021年1月16日

【書誌情報】
自動車の社会的費用著者:宇沢 弘文
出版社:岩波書店
装丁:新書(180ページ)
発売日:1974-06-20
ISBN-10:4004110475
ISBN-13:978-4004110477