◆半島、列島の激動期 揺れた人模様
尹紫遠(ユンジャウォン)は、1冊の歌集と、いくつかの小説作品を残した。紫遠は筆名で、本名は尹徳祚(トクチョ)。
本書は、尹紫遠が残した作品、日記、手紙、子どもたちの証言などをもとに、植民地で生まれ、戦後の密航で日本に渡り、在日コリアンとして生きた、ほぼ無名の作家の人生をたどる試みだ。彼が築いた小さな家族の物語でもある。尹紫遠は妻と目黒区で洗濯店を営み、3人の子どもを持った。
本書の内容は、46年の「密航」を境に、その前と後の時代を2章に分けている。日本で苦学して身を立てたいと考えた尹少年は、12歳で単身、海を渡る。
戦後、朝鮮はすぐに38度線で南北に分断された。結局、アメリカとソ連という新しい支配者があらわれたに過ぎず、日本の支配から解放されたはずの朝鮮人にとって、半島は楽園にはならなかった。
いっそ日本なら知り合いもいて、多少の生きやすさもあるかと考えた彼は、最初の妻と共に密航を企てる。これが彼の晩年の小説「密航者の群」の重要なモチーフとなった。当時、日本と朝鮮はともに占領下にあり、密航以外に海を渡る手段がほぼなかったのだ。
後半は、密航後、日本女性と結婚した彼の人生に肉薄する。夫婦2人に、子どもも手伝わせての洗濯店の日々は貧しい。貧しさと酒、思うに任せぬ執筆という、私小説作家の日常。夫婦の間には亀裂が入り、互いの出自をののしりあうこともあった。
彼と家族は幾度も、国家が引きなおす国境線や、国籍のルールに翻弄される。植民地生まれゆえに日本国籍者だった尹紫遠は、52年のGHQによる占領の終了とともに国籍を喪失して「外国人(朝鮮人)」となった。彼の2度目の妻となる大津登志子は、日本の裕福な家庭に生まれたが、結婚で日本国籍を失い「朝鮮人」となる。日本生まれ、日本育ちの子どもたちの国籍も、時代状況と、国が決めたルールのために思いがけない変遷をする。
著者らは、尹紫遠が歩いたはずの土地を訪ね歩き、その風景を写真に収め、公的資料や同時代の証言を渉猟しながら、彼の軌跡をあぶり出していく。尹紫遠の残した文章は、私的な日記や創作物なので、事実そのものの特定には至らないこともある。
そこから見えてくるのは、まさに「密航者の群」でもある。その時代には密航で海を越えた人々がたくさんいて、発覚して捕らえられ、収容所で力尽きた者もいれば、上陸を許されぬまま船上でコレラにかかって命を落とした者も、朝鮮に送還された者もいた。そして尹紫遠のように、日本で家族を作って暮らし、戦後を築いた人々がいる。これまで声高には語られてこなかったが、日本列島のいまを生きる私たちが知っておくべき歴史が、ここにある。
【書き手】
中島 京子
1964年東京都生まれ。
【初出メディア】
毎日新聞 2024年2月17日
【書誌情報】
密航のち洗濯 ときどき作家著者:宋 恵媛
翻訳:田川 基成,望月 優大,宋 恵媛
出版社:柏書房
装丁:単行本(ソフトカバー)(336ページ)
発売日:2024-01-15
ISBN-10:4760155562
ISBN-13:978-4760155569