『B面昭和史 1926-1945』(平凡社)著者:半藤 一利Amazon |honto |その他の書店
待ちに待った本。かのベストセラー「昭和史」は複雑怪奇な昭和の政治史に顔を持った個人を登場させ、わかりやすく歴史を語った。
これをA面とすればB面とはなんぞや、「民草の生きるつつましい日々」だと、昭和五年向島生まれの著者は言う。たしかに「川向こうのワンパク」ならではの粋な筆致で描くクロニクルだ。

昭和史を彩る折々の言葉だけでも面白い。「生かす工夫、絶対無用」(芥川龍之介・自殺の際の遺書)「まったく関東大震災さまさまでした」(郊外開発の東急五島慶太)「あなたの家は戸締りが悪い」(説教強盗妻木松吉)「お金持ちでもお墓は一つ」(ルンペン節)

昭和の戦前は真っ暗闇と思っている若い人が多いが、そうではない、昭和五年にはマルクスボーイが街を闊歩し、十年には「あなたと呼べば、あなたと答える」などというのんきな歌が流行っていた。2・26事件の青年将校たちの処刑も、阿部定事件や両国の花火でかき消された。阿部定事件と2・26事件をかけたこんな小ばなしもあるそうな。
「陛下のたまわく『朕は重心(重臣)を失えり』」わかりますかな。

“時代が大きく転回しようとしているとき、民草はそんなこととは露思わずに前途隆々たる国運のつづくように思い、生活にかなりの余裕を感じ始めていたのである。”

それは日清・日露戦争に勝ったおごりだったのかもしれない。しかもこの両戦争は朝鮮半島や中国東北地方など、戦いの舞台は当事者国でなかった。自分たちに身の危険がないので、戦争がピンとこない日本人がほとんどだった。昭和十二年、「暴支膺懲」のため日中戦争が始まると「兵隊さんは命がけ、私たちはタスキがけ」「産めよ増やせよ国のため」「欲しがりません勝つまでは」といったスローガンが作られる。
15年も続いた長い戦争、それも海の彼方のことに過ぎず、うかうかしてたら、その果ては空襲と原爆投下だった。

“過去の戦争は決して指導者だけでやったものではなく、私たち民草がその気になったのです。(あとがき)”

登場するたくさんの歌をユーチューブで聞いてみた。戦後生まれの私もよく覚えている。亡き父が「兵隊さんは辛いもんだね、寝てまた泣くのかよ」と消灯ラッパのメロディで歌いながら泣いていたのを。それは戦争に行き遅れた世代のギルティ・フィーリング(罪障感)だった。
この本で私は私の、そして父母の昭和を追体験した。「どうか戦争だけはございませんように」(野上弥生子)、そう祈りたくなる。

【書き手】
森 まゆみ
作家・編集者。1954年東京都文京区生まれ。早稲田大学政経学部卒業。東京大学新聞研究所修了。
1984年、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務める。専門は地域史、近代女性史、まちづくり、アーカイブ。98年に『鴎外の坂』で芸術選奨文部大臣新人賞、03年に『「即興詩人」のイタリア』でJTB紀行文学大賞、14年に「青鞜の冒険」で紫式部文学賞を受賞。そのほかサントリー地域文化賞、建築学会賞(文化賞)他。著書に『「谷根千」の冒険』『女三人のシベリア鉄道』『海に沿うて歩く』『おたがいさま』『暗い時代の人々』『子規の音』など多数。

【初出メディア】
初出媒体など不明

【書誌情報】
B面昭和史 1926-1945著者:半藤 一利
出版社:平凡社
装丁:単行本(655ページ)
発売日:2019-02-12
ISBN-10:4582768784
ISBN-13:978-4582768787