『機動警察パトレイバー the Movie』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などの作品で評価を受けるアニメーション監督・押井守とスタジオジブリ代表取締役プロデューサー・鈴木敏夫の初となる対談集「されどわれらが日々」が2月29日に発売。お互いの落とし合いと脱線が繰り返される自然体の対話から、40年以上に渡る二人の微笑ましい ”腐れ縁” が浮かび上がっていく、アニメファンならずとも楽しめる好著に仕上がっている。

今回は著者の一人である押井氏に、本書のお薦めポイントや二人の出会い、またこれからの付き合いについてお話をうかがった。

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――まず本書の企画を聞いた時、どんな風に思われましたか。

押井 元はと言えば私がスタジオジブリについて好き勝手語った単行本(「誰も語らなかったジブリを語ろう」)の増補版を出す時、「増補版なので何か新しいものを入れたい」と(取材・構成の)渡辺麻紀さんから敏ちゃんとの対談を提案されたんですよ。でも「今さら対談も何だよな」って思ったし、コロナの時期でもあったので往復書簡をやったわけ。
そしたらね、意外に面白かったんですよ。敏ちゃんも普段と違ってまともなことを言おうとする痕跡もあったので、「こういう対談を本にまとめると面白いんじゃないの?」という話をしていたら、それが実現したというわけです。


――今回、改めてこれまでの対談をまとめて読んでみての感想は?

押井 ちゃんとした本だと思うよ。半分くらいは馬鹿話かもしれないけど、読んでもらえたら資料性……というか「時代の匂い」がわかってもらえるような気がした。出会った時はお互い若くて、ものの考え方とかは変わっていったけど、あの男との関係性、付き合いのあり方はほとんど変わってないっていうのは改めて思ったし。

――例えば、どういうところですか。

押井 (鈴木さんと)会うと必ず映画の話をする。同じ時代に同じ映画を観ている、そういう相手がいるって確かに貴重だと思ったんですよ。
例えば寺山修司や唐十郎の映画や演劇は、その時代に観ていないと理解できない空気がある。これが後追いの若い人が相手だと、最終的にレクチャーになっちゃうしね。

――同世代の目線だからこそ語れることがある、ということですね。

押井 そう。あといわゆる初対面同士の対談とは違う、何十年も付き合ってきた人間の何年かおきの対話集ってあんまりないと思うんだよね。加えて、アニメに関わってきた人間ならではの肉声という部分でも、(内容は) 偏ってはいるけどある種の価値はあると思っている。
言ってみればアニメの最前線にいる人間同士の話だから、そこの面白さはあるんじゃないかな。

――鈴木さんの最初の印象はどんな感じだったんでしょうか。まずアニメージュ副編集長という立場で、押井さんと出会ったわけですが。

押井 当時は取材を受けるなんてことはあまりなかったので、マスコミなんてどんなものなのかは理解できなかったけれど、それを差し置いても普通じゃなかった(笑)。
遠慮もなしで、ズケズケと踏み込んでいろいろと訊いてくる。風体も怪しかったし、人の家にいきなり深夜にやって来て、煙草をプカプカ吸って持ってきた大量のミカンを一人で食べて、5時間も6時間も喋っているし……でも映画の話は面白かったんだよ。
それがなかったら、多分今まで付き合っていられなかった。仕事なんかじゃ絶対組みたくないタイプ。

――と言いつつ、ほどなくOVAの『天使のたまご』(1985)で二人はタッグを組むわけですよね?

押井 あれは敏ちゃんが持ってきた話だったんだよ。徳間書店としては第二の宮﨑駿を作りたいという思惑があって、元々は初代編集長の尾形英夫さんの企画だったけど、あの人は実行力がないから敏ちゃんに丸投げしたわけ。

――そんなアバウトなスタートでしたか(笑)。

押井 だって企画書を書いたのだって、敏ちゃんだよ?(笑) 「天使のたまご」って書いてあるのをいきなり持ってきた。
そういうことをやる人なんです。

――その時には天野喜孝さん(同作でキャラクターデザインと美術を担当)の参加も決まっていたんですか?

押井 何にもない、そもそもあんな内容の映画になるはずじゃなかったから。深夜のコンビニにお腹に卵を抱えた女の子が入ってきて……みたいな、もっとドンパチやドタバタがある話だったんだけど、「本当にやりたいことをやってくれ」と言われたから、私も忖度することをやめて、結果、ああなっちゃった。
敏ちゃんに言わせれば「作家を尊重するのが出版社なんだ」ってことなんだけど、そういうところは面白いと思った。印税はともかく、監督料のギャラはなくてキツかったんだけど(苦笑)。

――宮﨑駿や高畑勲、富野由悠季という才能は既にアニメファンの中で評価が定まっていましたが、当時の押井さんはまだ原石のような存在でしたよね。
アニメージュでは漫画「とどのつまり…」(押井守 森山ゆうじ/1984~1985)の連載もありましたし、鈴木さんとしては押井さんを自分の手でスタークリエイターにしたい、という思いがあったのではないですか。

押井 自分で言うのも何だけど、多分それはあったと思う。当時敏ちゃんが面白いことを言っていたんだけどさ、「俺は(アニメージュを)週刊明星にするんだ」って。

――つまりアニメにまつわるスターを集めた情報雑誌、ということですね。

押井 じゃあそのグラビアを飾る有名人に相当するのは誰だ、というところで敏ちゃんは「監督」に目を付けたわけだ。
要は「映画=作品を作る人」という発想からそういう結論になって、いろんな監督のところへ行ったわけだけど、最終的に敏ちゃんは宮(﨑駿)さんを選ぶわけだよ。その理由は「売れるから」。私のことは「面白いかもしれないけど売れない監督」って見切ったわけ。

――とはいえ、そこで二人の関係が終わらず続いているのが面白いですよね。押井さんの『イノセンス』(2004)や『ガルム・ウォーズ』(2014)に関わられていますし、さらには実写作品では役者として起用されたり……。

押井 それは、敏ちゃんを構ってあげる人間が私以外にいないから。いまやすっかり偉くなっちゃって、悪口を言ってくる人や腹を割って話せる人なんて、まずいないんだから。こちらの気持ちとしては「不憫」っていう言葉が一番ピッタリくるかな。
まあお互い友達がいない人だし、たまに会うとやっぱり嬉しそうな顔するわけですよ。私の方でも「死なれたらちょっと寂しいな」という思いもあるわけでね。

さっき言った話にまた戻っちゃうけど、自分たちが生きてきた時代をどう思っているのか、それを踏まえてこれからどうするのか、という話をする相手は、なかなかいないんだよ。三島由紀夫の文学は何十年経っても面白いかもしれないけれど、例えば三島が割腹自殺した時の衝撃を共有しているかどうかで捉え方は大きく違ってくるわけでね。
まあ、会っている間は楽しいですよ。この本のための語り下ろしの対談が終わった後、お礼のメールをしたら翌日かな、メールが2行返ってきました。「久々に会えて嬉しかった」「本当はプライベートで会えれば良いのだけれども」って書いてあって。

――普段、鈴木さんと会う機会はないんですか。

押井 敏ちゃんは酒を飲まないから、ほとんどないね。これは大きいですよ。仕事仲間とは大体飲み屋に行ってそこで結構いろんな話をするんだけれど、敏ちゃんはうどんしか食わないし、うどんなんてすぐ終わっちゃう(笑)。

――これは個人的な印象ですけれど……普段鈴木さんが表に出て喋る時は思いつきで喋っている風に見せながらも、実は伝えたいことをしっかり用意しているような気がしているんです。ところが押井さんとの対談を読むと、本当に両手ぶらり状態というか、リアルの自然体という感じが伝わってくるんですよね。

押井 それは結局のところ「無駄話」だからなんです。宮さんと話すと必ず喧嘩になるように、水が低きに流れていくように、敏ちゃんと話すと、どうしても同じ話になってしまう。しかも、何か新しい結論に達することなんて絶対にない。
だけど、それって「人と話す」ということの本質的な部分だと思っているから。人が誰かと話したいと思うのは「他者と時間を共有したい」ということなんです。そういう意味では話の中身は何だっていいし、毎回同じ話になってしまっても何の問題もないから。

――では最後に、まだまだ続くであろう今後の鈴木さんとの関わりで、押井さんはどういうことに注目したいですか。

押井 敏ちゃんがこれからどう生きようとしているのか、だね。だって、お互いに死に向かっているわけだから。
これは会う度に聞いていて、毎回はぐらされるんだけど、結局一人の人間としてどう終わろうとしているのか、そこは興味があるかな。