先例なき、正解なき問いを生み続ける複雑化した社会に対し、私たちは一個人としてどう向き合い、知性を働かせるべきか。
 本誌連載「両極化の時代」の著者・松江英夫氏と、パブリック・リレーションズの第一人者である井之上喬氏をお迎えし、矛盾した価値観が錯綜し対立する世界で、確かな倫理観に基づいた言葉を発信することの意義を踏まえ、日本社会のあるべき未来図を議論します。





■両極化とは本当に必要なものだけが残ること

松江  最近、時代的に両極のものが同時に発生する時代になってきたと思
っているのです。グローバル化が進むと同時に保護主義的な自国優先が台頭(
たいとう)したり、デジタル化が進みGAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)のような一元的なプレイヤーが活躍したりする一方、セキュリティやプライバシーを守らねばならないという力も強くなる。私は一見相反(そうはん)する事象や価値観が衝突しながら互(たが)いにその勢いを増幅(ぞうふく)させる現象を両極化と呼んでいる【注①】のですが、このコロナ禍で両極化がいっそう加速したと思うのです。よく不要不急を避さけると言われてますが、言い換えれば、本当に必要なものだけが残ることとなるでしょう。そうした現
象がより強くなったと思うのです。相反するものであるが、人間にとって必
要なものがより浮かびあってきた流れを両極化の時代と捉(とら)えています。





【注①】両極化とは何か
両極化とは、「一見相反している事象や価値観が衝突しながらも互いにその勢いを増幅させる」現象。これは❶グローバル化❷デジタル化❸ソーシャル化という文脈のなかでより加速する。例えば、グローバルとローカル、リアルとバーチャル、経済価値と社会価値など相反する両極と向き合わざる得ない現在を「両極化の時代」とろらえる。両極的なものを分断させず、多様なステーク・ホルダー(利害関係者)と「つながり」をもって新たな課題解決を実践することが目指すべき道筋となる。



井之上  まさにそう言えていると思うのです。例えば、グローバルの視点かつローカルの視点、「グローカル」を兼ね備えた能力が求められる。しかし、食糧や今回のワクチネーションなどもそうですが、国際調達でサプライチェーンが機能しないときに、世界中に回すよりまず自国(ローカル)優先でG7の日本以外の国は自国民へのワクチンを確保したわけです。その意味では日本は本当に国民をプロテクトするという意識に欠けていると思うのですが、他国は、グローバルな時代だからこそまずローカルに自分たち、国民を守るということになります。





■外部環境の変化を読み取るパブリック・リレーションズ

井之上  私が行っている、パブリック・リレーションズ(以下、「PR」と略記)とは、マルチ・ステークホルダー・リレーションシップマネージメントの意味です【注②】。この概念(がいねん)を日本の組織体はほとんど理解しておりません。PRで重要なのは、外部環境の変化を読み取るということです。これを読み誤(あやま)ると、極論すれば、生きてはいけなくなる。今回のコロナ禍はそうした問題を浮き彫(ぼ)りにしたと思います。



 さらに、日本社会はハイコンテクスト型(以下、「ハイコン」と略記)と言われています。

暗黙(あんもく)、忖度(そんたく)、以心伝心(いしんでんしん)のような同調圧力(どうちょうあつりょく)の空気が働く、つまり島国でほぼ同じ民族で長年生きてくると、言葉、表現力がなくても、目つき、気遣づかいで相手を感じ取って行動するようになる。



 しかし、これからの時代は難(むずか)しい。なぜなら、我々はグローバル社会に身をおいているからです。その世界は欧米に代表されるローコンテクスト型(以下、「ローコン」と略記)だからです。ローコン型とは、多言語・多人種・多文化世界ですから。ローコン社会では、言葉や表現力が大事になる。

つまり、自分が生き延びていくために相手を説得できるか、が生存条件なのです。もともとPRはローコン型です。自分たちの活動の目的達成のために社会やステークホルダー、つまり関わる人たちに確実なメッセージを発信して初めて相互理解できるからです。



【注②】パブリック・リレーションズとは何か
パブリック・リレーションズ(PR)とは、個人や組織体が最短距離で目標や目的に達する、「倫理観」に支えられた「双方向性コミュニケーション」と「自己修正」をベースとしたリレーションズ活動である。また、経済、政治、文化において急速にグローバル化が進行する中で、民族や文化、言語、宗教、国境を超えてステーク・ホルダーとのリレーションシップ・マネジメントを実践する。



松江  先生のお話から私は、個人においてまず、自分の中(なか)にある二面性すなわち両極に気づくことが答えではないかと思ったんです。つまり、いまお話のあったハイコン型とローコン型という分類ですが、では、日本人はローコンに通用しないかといえば、訓練すればできるようになるとも思うのです。

例えば、外国の方とチーム作業や交渉を行わなければならないことがあれば、社会人からでも生き残るために必死で学べます。逆に、日本人が海外に出ると、ハイコン型社会の良よさも痛感します。だからハイコンもローコンも個人の中で存在する話だと思うのです。この両極が自分の中にあると、客観的に自覚することで、二つの視点で視野を広くしながら物事を見られるようになるはずです。





■ローコンテクストを身につけるための教育

井之上  ハイコンの良いところを残すことは大切ですね。ただローコンをどう使いこなすか、自己主張のさじ加減がわからないこともあると思うのです。

ソフトバンクの孫正義(そん・まさよし)さん、楽天の三木谷浩史(みきたに・ひろし)さんなどは自分を前面に出して世界に向けて自分たちの目的を明確に示し、発信して成功しています。



 では、どうするか。それはやはり子どもの頃からの教育で言葉の大切さを伝え、能力を身につけさせることが大切なのです。



 PRの教育では、小さな子どもから自分と周りの人たちとの関係性を認識
させ、周囲との関わり方を教えると同時に、そこでやっていいことといけないこと、つまり倫理的な価値軸(じく)を身につけさせ、相互理解を深めるように導(みちび)く必要性を説(と)きます。また、すべて自分で決定させることも身につけさせます。そしてこれが最も重要なのですが、もし、自分の決定したことが間違っていたら、最終的に失敗を認め、修正する――自己修正(セルフ・コレクション)が大事なのです。子ども時代にセルフコレクトできるように身につけてもらえば、彼らが大人になったときに、上司でも社長でも自らの倫理観に照らし合わせ「ここ、おかしくないですか」と、忖度せずに問題提起できるようになります。また日々のニュースを飾(かざ)る日本の行政、会社で起きる異常といえる組織の不祥事も未然に防げます。





■極度に失敗を恐れる正解ありきの日本社会

松江  私たちの従来型の社会では多くの上の世代はまず「正解」を求めます。正しい答えというのは、権威ある人が持っているとか、お上(かみ)がつくってくれると考えます。自分で問題を立て、自分で正解を導いて、それを主張するというよりも、はなから権威あるものにすでに「答え」があり、その過去の前例に「ならう」ことが正解とされてしまっているのです。日本の場合、周囲の外部環境は変わっているのに、頑(かたく)なに前例を守る。しかも失敗しないようにするとなると、ただ現状にしがみつくだけになってしまう。



 日本はイノベーションが苦手だという議論もよくあるのですが、現場で新しいものをつくり、生み出すのが苦手なのではなく、既存(きぞん)のものに重点が置(お)かれるため、新しいものをスピード感をもって生み出せない、その決断ができない。そこに日本社会のジレンマがあるのではないかと思うのです。つまり、「間違っちゃいけない」という失敗を恐れるメンタリティが日本にはあると思うのです。



井之上  いまの話はとってもいい話ですね。元・伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎(にわ・ういちろう)さん。彼がこの間、面白いことを言ったんですよ。「アメリカはネガティブリストだと。日本はポジティブリストでしょう」と。それはどういうことかと聞いたら、ネガティブリストは「してはいけないことだけをリストにあげて、それ以外は何をやってもいい」。



 しかし日本は、役所でもお伺(うかが)いを立てることになる。私は経営者ですから、社員から「やってもいいでしょうか?」と聞かれたら、まず「君はどう思うのか?」ということを聞きます。やってはいけないことはベーシックなことだけで、あとは自由にやってかまわないと。そのベーシックなものとは何か、それが倫理なんですね。そうすると社員がのびのび仕事でチェレンジしていきます。日本に求められているのは、かつての渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)や高橋是清(たかはし・これきよ)のようなプラグマティスト(実践主義者)です。





 アメリカのシリコンバレーでよく言われることは、失敗したら「よく失敗した!」と拍手さえされる。つまり、失敗で学ぶのです。



 例えば、日本企業の内部留保(利益剰余金)が470兆超円(財務省「法人企業統計」)と言われています。そのうちの1~2割を自由に新しいことに投資するだけで、日本は変えられるはずなのです。



松江  イノベーションというのは、失敗から学ぶ。さらに価値判断の軸を理念や倫理におく。これに、日本人も確信をもっていい時代にきていると思います。



 日本は長寿社会で、長寿企業が多いです。長寿企業の研究をしていると経営理念や、哲学がある会社が伸びていくことは、ある種歴史が証明しているわけですが、これだけ変化があり、先が見えない時代に、コロナ禍を境(さかい)に多くの会社が「パーパス(志)経営」というものを考え始めています。いわば、自分たちの社会における存在意義と価値観、正義とは何かということをもう一回問い直し、再定義する流れだと思うのです。こうした流れは、とくにコロナ禍で企業も個人も生きていく上で一番大事なことだと気づき始めたからなのではないかと思います。



 だとすれば判断軸は、価値観や倫理において、リスクをとって投資をするモメンタム(勢い)にならないといけないのですが、日本は確実なものが見えないときは「石橋を叩たたいても渡らない」のです。



井之上  例えば、いまESG(環境・社会・ガバナンス)投資という言葉が流行しています。世界ではESGに約3400兆円投資していますが、日本はまだ232兆円です。世界全体の7%にすぎない(Global Sustainable Investment Review2018)。ヨーロッパ全体で46%、アメリカは39%近くある。



 では、その違いは何かといえば、日本は結局まだ「儲(もう)かる」仕事が中心であると。つまり社会と価値観を共有しながら役立つ事業への投資は世界と比して少ない。例えばCO2を減らすために役所も企業もようやく動いたわけです。



 しかし、とにかく日本は遅い。外部環境の変化をしっかりと読み取れていない。たしかに、失敗するかもしれません。しかし、470兆超円の内部留保の1割でも、失敗も勘案(かんあん)して投資すれば、しっかりと次の時代のグローバル・スタンダードを担になう世界のリーダーとして日本は準備できるはずです。



■日本のリーダーの条件時間軸と価値軸のある言葉

松江  これからの日本では〝両極〞のリーダーが求められると思うのです。トップが行う部分と現場が行う部分の両極でリーダーが必要なのです。トップが長い時間軸の中で全体を構想する。これは最も重要なのですが、同時にデジタル化がこれだけ進み、変化の早い時代では、ほかのところは現場の失敗を許容しながら自発性や創造性にまかせていく。私は現場は末端(まったん)ではなく先端だという言い方をしているのです。しかし、日本のリーダーに決定的に欠けているのは、全体を構想して時間軸でダイナミック、動的に語るということです。



 私が行政や会社組織の政策を見て思うのは、「いつまでに何ができていないといけないのか」という時間軸が明確ではないのです。それが日本の組織全般の弱点です。時間的な制約の中で優先順位をつけて、何をどういう道のりで行くのかを明らかにするのが本来の戦略なのです。



井之上  そのためには、トップには時間軸と倫理的な価値観を有し、自分の哲学や目的意識をもったストーリーテリング能力が必須になると思うのです。
 
 PRは周(まわ)りの多様なステークホルダーと良好なリレーションシップを構築し、目標・目的を達成するコミュニケーションベースのマネージメント手法。そして、こうした能力を日本人が身につけると、より良い方向にリードする強力な国になると思うのです。



いのうえ・たかし 
日本のパブリック・リレーションズ(PR)の第一人者。「自己修正モデル」の提唱者。(株)井之上パブリックリレーションズ設立代表取締役会長。早稲田大学大学院公共経営研究科博士後期課程終了、同大学客員教授(2004-08)、京都大学経営管理大学院特命教授(12-)。国際教養大学客員教授(冬期プログラム16-18)、博士(公共経営)。
まつえ・ひでお
デロイト トーマツグループCSO(戦略担当執行役)。中央大学ビジネススクール、事業構想大学院大学客員教授。フジテレビ『Live News α』コメンテーター。専門は経営戦略・組織改革・経済政策。著書に『自己変革の経営戦略』、全体監修『両極化の時代のデジタル経営』(ともにダイヤモンド社)など多数。



(一個人2021年夏号より抜粋)