社会の基盤が揺らぐと、真っ先に見直しを迫られるのが、個人と組織の関係である。先のコロナ禍でも、情報技術の発達を受けて「リモートワーク」が社会に浸透したが、どんなに個人の裁量の幅が広がろうとも、人間は社会的な動物である以上、組織と無縁で生きていくことはできないだろう。

組織は人の集合体である。そんな組織の本質と接し方について、『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』が語る部分を抜粋紹介しよう。





■危機だからこそ露呈する「組織」と「人」の真価

  会社が危機にあると、その会社の「組織」としての本質が、そしてそのなかにいる人の「真価」が、とてもよく見える。



 どういう部分が活発になり、どういう部分が停滞していくのか。



 組織がおかしくなった時に、そこに所属している人たちは、組織に何を求めるのか、どう行動するのか、をよく見ておくといい。



 それは、とてもいい勉強になるよ。



 山本七平(1921~1991)という人がいて、この人はいわゆる日本的な組織のあり方について、もっとも本質的な批判をおこなった人だと僕は思っているけれど、彼は、敗戦間近にフィリピンのジャングルに、砲兵隊の下士官(かしかん)として配属されていた。



 それで昭和20年の7月ぐらいのことだけれど、前線では、どうやったって日本に勝ち目がないということが分かり、しかも武器弾薬、食料、医薬品も底をつき、本隊から補給もまったくない。兵隊は、敵弾ではなくマラリアなどの伝染病でどんどん死んでいくという状態だった。



 それなのに、一部の将校は、いまだに自分の出世のことを考えている。目の前でばたばた仲間が死んでいく。その上、戦争は負けて、祖国はどうなるか分からないというのに、何とかして大佐から少将に昇進したいとか、中尉から大尉になりたいというようなことを本気で考えている人がたくさんいた、というんだ。



 この話の要諦(ようてい)は、帝国陸軍の体質がうんぬんということではない。人は、組織のなかにいると、いかに盲目になるか、ということだ。



 壊滅寸前の軍隊のなかで、少将だ、大尉だと云って、出世にこだわる軍人たちの姿は、喜劇的だ。しかし悲劇的であるのは、人間が一度組織の水になじんでしまうと、その水のなかでしか、発想ができなくなってしまうということだ。



 陸軍の話となれば、僕たちは他人事のように笑えるけれど、本当は、今もまったく変わっていない。



 それが日本人にとっての「組織」というものだ。



 「組織」と同時に、人を見るのがとても大事だね。



 危機において頼りになるのは、どういう人か。



 ふだん大言壮語をしている人が、いざ自分の身に火の粉が降りかかると、途端に保身だけしか考えなくなったり、かと思うと、頼りなく、無節操だと思っていた人が、自分を犠牲にして職場のために、仲間のために粘り強く戦ったりする。



 そういう光景をしっかり見ておくということは、君がこれから生きていく上で、とても大きな宝になると思う。



 どういう行為が崇高(すうこう)なのか、あるいは卑(いや)しいのか。尊敬すべき人とはどんな人なのか。

信じてはいけない人、当てにしてはならないのはどんな人間なのか、じっくり見ておくことが必要なんだよ。





 



■上司の、一見無意味な言葉の「文脈」を探ること

  いずれにしろ、会社が巧(うま)くいこうが、悪かろうが、この「見る」ということは、とても大事なことだ。



 新入社員にとっては、特にね。



 これは、若い人だけの問題ではないんだけれど、この頃では、自分がどう見られているか、どう評価されているか、ということにはとても関心があるのに、人のことをきちんと見ていないような気がする。



 とても、浅い印象とか、好悪、あるいは相手が自分にどういう姿勢で接しているか、というような自己中心的な態度で、相手の評価を決めてしまいがちだ。



 でも、本当に大事なのは、人が自分をどう見ているかということではない。

それはそれで、基本的な認識としては大事だけれど、自意識過剰におちいってしまっているだけのように思われるんだ。



 そうではなくてね、一人一人が、どういう人なのか、ということを、まずしっかりと見極めることが大事なんだよ。



 駆け出しの時には、よくよくそういう観察をすることが大事だ。



 できれば、会社でその日、君にたいしてかけられた言葉とか、君への指示、誘いといったものを、一日の終わりに反省してみることを勧める。



 上司が、君に与えた指示、先輩の叱責、同僚との世間話。そういう、一見、意味がないように見える言葉の一つ一つに、よく考えると、「文脈」があることが分かるだろう。

そして、その文脈には、相手が君にたいして抱いている判断や好悪だけでなく、その人の会社での「位置」や「意識」、「憤懣(ふんまん)」や「屈託(くったく)」といったものが表れていることが分かるんじゃないか。 



 たとえば、君にたいして、とてもそっけない人がいるとする。話しかけても応えてくれない。何か手伝おうとしても、乱暴に断る。



 こういう場合、自分は嫌われているんだ、とか、相手をいやな奴だ、と考えてしまってはいけない。それでは落第だ。



 返事をしてくれないのは、新入社員などという存在に興味がないからかもしれない(しっかり仕事をしている人の多くは、本気で新入りに興味をもったり、期待もしない。ただ「儀礼」として興味をもっているだけだと考えたほうがいい。もしも本当に興味をもっている人がいるとすれば、それはよほど暇な人か、下心のある人だし、新入社員に本気で何かを期待しているとしたら、その人は、ただの間抜けだ。ただし、部下の指導・育成ということで、君の成績が社からの評価に影響する上司は別。それにしたって、気にしているのは、自分の成績であって、君自身じゃない)。こういう人ならば、君がそれなりに力をつけてくれば、相応に尊重してくれるだろうから、気にしなくていいし、多少のことなら、恨みに思ったり、ひねこびた態度をとってはいけない。



 仕事上か、あるいは一身上の大きなトラブルを抱えて、大きな不満か屈託を抱えている人が、無力な新入りをいたぶるというのは、よくあることだ。また、あまり能力がない人の場合は、たとえ新人でも、自分への脅威として受け取る場合があり、早めに潰しておこう、などという発想をするケースも少なくはない。こういう相手からは、さらに大きないやがらせをされたりするから、警戒をしなければならない。



 あるいは、無根拠な勘ぐりをされている場合や、君が気づかないうちに、相手を刺激している場合もありうる。これをときほぐすには、会社や部課の人間関係などに、かなり知悉(ちしつ)しないと難しい。まったく知らないうちに、職場での敵対関係や派閥などにかかわる地雷を踏んでいる可能性がある。



 さらに、君のいろいろな属性が嫉妬や嫌悪を買っている場合もある。そんなバカなと云ってはいけない。世間の人の感情のかなり大きな部分が、「嫉妬」と「羨望」ででき上がっているということを、銘記しておかなければならない。



(『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』より抜粋)