「民主主義は〝多数派の専制〟に陥る」ローマ教皇レオ14世が警告したことは、19世紀にすでにトクヴィルが予言していた。アメリカ、ロシア、中国が帝国主義化する一方で、現代の全体主義はいかにして到来するか。

それをAIの進化に見た適菜氏はこの度、最新刊『AIは人間を殺さない、飼い殺す』でその論考を発表。連載「厭世的生き方のすすめ」第28回は、新刊執筆の理由を語った。



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■多数者の専制



 ローマ教皇レオ14世は、民主主義が「多数派の専制」に陥るリスクについて警告した。バチカンが発表した書簡によると、教皇は「民主主義は道徳的価値観に根ざしている場合にのみ健全な状態を保つことができる」とし、「この基盤がなければ、多数派の専制政治になるか、経済的・技術的エリートの支配を隠蔽する手段になる危険性がある」との認識を示した。



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 教皇はその後、カメルーンで演説。「世界は一握りの暴君によって荒廃させられている」「宗教と神の名を軍事的、経済的、政治的利益のために利用し、神聖なものを闇と汚穢に引きずり込む者たちに災いあれ」と語った。こうした反戦姿勢に対し、トランプは「犯罪に弱腰で、外交政策には最悪だ」と反発した。





AIは人間を殺さない、飼い殺す——トクヴィルが予言した「穏やかな専制」の正体【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第28回
ドナルド・トランプ



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 「多数派の専制」はもちろんアレクシ・ド・トクヴィルが19世紀に示した概念である。トクヴィルの目は、20世紀を飛び越えて、21世紀の全体主義を見抜いていた。全体主義は常に同じ形で出現するとは限らない。ファシズム、ナチズム、スターリニズムのような形で再来するとは限らない。



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 では、21世紀に全体主義はどのような形で現れるのか。

「快適さ」である。



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 もはや、秘密警察も独裁者の肖像も要らない。不安に支配された人々は、「快適さ」を提供してくれる権力に判断を委ねる。オーウェルが『一九八四年』で恐れたのは、苦痛と監視による支配だった。しかしハクスリーが『すばらしい新世界』で描いたのは、快楽によって人々が自発的に飼いならされる世界だった。現代の我々が直面しているのは、間違いなく後者のディストピアである。





AIは人間を殺さない、飼い殺す——トクヴィルが予言した「穏やかな専制」の正体【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第28回
オルダス・ハクスリー



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 トクヴィルは、近代社会が生み出す「穏やかな専制」を予見した。それは暴力によって支配する旧来の専制でも、20世紀の全体主義でもない。快楽による統治である。殺すのではなく、飼い殺す。トランプは20世紀型の暴君のように見えるが、彼を生み出したのは、アルゴリズムが整えた「快適な怒りの檻」である。これもまた、穏やかな専制の変種に他ならない。



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 トクヴィルは言う。



 「専制がこの世界に生まれることがあるとすれば、それはどのような特徴の下に生じるかを想像してみよう。私の目に浮かぶのは、数え切れないほど多くの似通って平等な人々が矮小で俗っぽい快楽を胸いっぱいに想い描き、これを得ようと休みなく動きまわる光景である。誰もが自分にひきこもり、他のすべての人々の運命にほとんど関わりをもたない。彼にとっては子供たちと特別の友人だけが人類のすべてである。残りの同胞市民はというと、彼はたしかにその側にいるが、彼らを見ることはない。人々と接触しても、その存在を感じない。自分自身の中だけ、自分のためにのみ存在し、家族はまだあるとしても、祖国はもうないといってよい」







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 天才トクヴィルの目には、21世紀の状況も映っていた。そして、その構造の行き着いた先が、AIである。私がAIと全体主義の関係について本を書いた理由は、ここにある。以下に、新刊『AIは人間を殺さない、飼い殺す――全体主義という心地よい檻』の「はじめに」を掲載する。





■「はじめに 人間はすでに負けている」



 人間はすでに負けている。



 プロの棋士とAIが将棋を指したら、どちらが勝つか?



AIである。



 ではこの先、プロの棋士がAIに勝つことはあるのか?



 ない。



 二〇一七年、当時の名人がAIに敗れた時点で、勝負は決していた。「プロの棋士とAIを対戦させたらどうなるか」という問い自体が、すでに過去のものなのだ。



 人間とAIでは読みの次元が違う。プロの棋士は数十手先を読むと言われるが、すべての手を網羅して判断しているわけではない。経験と直感で悪手を瞬時に捨て、読むべき手だけを追う。一方AIは、悪手も含め全局面を機械的に計算する。盤面の膨大な展開を探索し、過去のデータと評価関数にもとづいて最善手を算出する。



 竹槍でB-29を撃墜できないように、この差は努力では埋められない。



 だから現在、プロの棋士は、AIに勝とうなどとは考えず、AIを利用して読みの訓練や新しい手の発見に役立てている。



 手術で脳にコンピューターを埋め込み、AIより一〇手先を読めるようになれば人間は勝てるかもしれない。

しかし、それは結局、AIと脳内のAIが戦っているだけであり、人間が勝ったことにはならない。



 それよりも人間には、最大の武器がある。身体だ。



AIとの対局で負けそうになったら、コンピューターの電源を切ればいいのである。プラグを抜けばいいのである。電源が落ちればAIに勝ち目はない。



 与太話をしたいのではない。これは人類の未来にかかわってくる本質的な話だ。世界に張り巡らされたネットワークの電源を切ることはできない。巨大テック企業は国家権力以上の情報と富を持ち、インフラを握った。GAFAM(Google、Amazon、 Facebook[現、Meta]、Apple、Microsoft)が構築したインフラは、社会の隅々まで浸透し、それなしでは生活が成り立たなくなっている。



 私も例外ではない。

GoogleのGemini(ジェミニ)を使うようになってから、情報を探す速度が圧倒的に速くなった。AIは道具にすぎないはずなのに、そこに人間のような意思を感じてしまう瞬間がある。頼みごとをするときも、つい「お願いします」と敬語を使ってしまう。返ってくる応答は、人間より丁寧で、配慮に満ちている。



AIは二四時間いつでも質問に答えてくれる。急に思いついたことでも、枕元に置いてあるスマホに向かって質問すれば、精度の高い答えが一瞬で返ってくる。それを元に思考を積み重ねていくと、それが自分の思考なのか、あるいは外部からの注入なのか、境界が曖昧になってくる。



 言葉にはそれを発する「主体」が存在する。しかし、AIは主体がないまま、流暢な言葉を垂れ流す。哲学者のミシェル・フーコーは『言葉と物』で「人間の終焉」を予言した。「人間」という概念は普遍的なものではなく、近世に発明された特殊な知の配置の産物にすぎず、それが変われば、「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と。



 AIの問題は、主体の問題に他ならない。







 AIを使ったり、AIについて考えたりしているうちに、私の頭の中に何か変なものが入ってきたような感覚に襲われた。寝ているときも夢の中でその「何か」は動いている。



 本書はその「何か」についての記録である。





文:適菜収



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