再来年(2021)年のNHK大河ドラマが「青天を衝け」に決まった。主演は吉沢亮、描かれるのは渋沢栄一である。
このニュースに、ホッとした人もいるのではないか。大河ドラマはまだ続くのだな、と。筆者などは正直、来年の「麒麟がくる」が最終作になってしまうのではという危惧を抱いていた。それもこれも、現在放送中の「いだてん~東京オリムピック噺~」の視聴率が大河史上ダントツの低さで推移しているからだ。
ではなぜ「いだてん」は数字をとれないのか。早い話、それは面白いと感じる人が少ないからだ。そして、面白いと感じない人はどんどん離れていくから、面白くない理由をだんだん語れなくなる。それゆえ、面白くない理由は熱心に見ている人の感想から探すしかない。たとえば、こういうものだ。
「低視聴率の原因を勝手に分析するなら『マッチョなおっさん』に嫌われているのだと思う。マッチョ心、ときめかないだろうなあ、と思う。『権力争い』とかが好きで、『御意』とかが好きで、それで大河ドラマを見ているおっさんには無理だろうなあ、と」(矢部万紀子)
この人は朝日新聞記者や「AERA」などの編集者を経て、フリーになり「朝ドラには働く女子の本音が詰まってる」という本を書いた、いわゆるフェミニスト系の女性だ。
もうひとつ、こういうのもある。
「大河ドラマが担っていたのは『わかりやすく新鮮な歴史の絵解き』である。そのつもりで見ている人にとっては、あまり受け取れるメッセージがない。(略)私は素晴らしいドラマだとおもう。ただ日曜8時NHKを見る視聴者と合ってないだけであ る。まあ合ってないのに敢えてやっているのが問題になっているのではあるが」(堀井憲一郎)
TVウォッチャーを名乗ったりしている人だが、こちらは戦前のロス五輪を描いた回で日系人の誇りや叫びに触れ「大河ドラマではあまり感じたことのない感動」を味わったという。彼いわく「いだてん」は「ドラマを見慣れてる人向けのドラマなのだ」そうだ。
とまあ、要はこれまでの大河と違ったものをやろうとしたところ、それを面白がる人が想定外に少なかったということである。
「いだてん」支持者のなかにはそれだけで済ませられない人もいる。「これこそが真の大河ドラマ」「すべての日本人が見るべき」などと声高に主張し、ともすれば、これまでの大河を否定したり、見ない人を非難しているような人が。演出家のひとりである大根仁など、視聴率ばかり報じるスポーツ紙に対し「あ、興味も知識欲もないか!」(本人のツイッターより)と逆ギレしているほどだ。
じつは、前出の矢部や堀井にもそういう傾向が見られる。たとえば、矢部は「マッチョなおっさん」を小バカにしつつ「これを見ない人の気が知れない」と言い、堀井は「ドラマを見慣れてる人」以外には不向きだと言う。そこにある「上から目線」がちょっと鼻につくのである。
気になるのは、どちらもフェミニズムやら反差別、ひいては反戦といった、最近流行りのポリコレ的感覚を「いだてん」に見いだし、褒めていることだ。SNSでもそこを理由に、これまでの大河よりも上に見ている人が目立つ。だが、実際の視聴率はそれらの下にあるわけで、そういう現実が不満だったりもするようだ。
■真実が伝えられてしまうことを恐れている人々がいるこの構図、何かに似ていると思ったら、政治や選挙をめぐる状況だ。
だが、実際には、自民党や安倍政権でよしとする人のほうが多数派なので、現状はそういう「民意」が反映されているにすぎない。大河についても、これまでの作品のほうが面白かったと感じる人が優勢だということを「いだてん」の「数字」ははっきりと示しているのだ。
それゆえ「いだてん」の不振にも政治を結びつけて云々する人がいる。9月22日放送回ではベルリン五輪の影響で国策化していく幻の東京五輪とでもいったテーマが描かれたが、これについて「完全に2020年への挑戦だよな」「五輪を国のプロパガンダとして扱うことへの」というツイートを見かけた。そのリプ欄には、こういうものが。
「放送開始から『いだてん』に対するネガティブな意見が多く謎だったのですが、(略)真実が伝えられてしまうことを恐れている人々がいるのですね」「安倍晋三への最大の皮肉が込められていましたね。ついでに『ヒトラー』を『安倍晋三』に置き換えると…」「(国が「いだてん」を)潰そうとされるといやなので、あまり騒がずに見守って行こうと思っています」
陰謀論的な妄想をするのは勝手だが、こういう見方をされるドラマには拒否反応も起きやすい。現代的な「正しさ」など忘れて愉しめるのが大河なのに、このドラマはそれを進んで持ち込んでいるのだ。
そもそも「いだてん」は大河的に馴染みのうすい時代と人物を扱っているうえ、狂言回しが何人も登場したり、時代が行ったり来たりするなど、じつに複雑な構造になっている。
そういえば、前出の矢部は朝ドラの「カーネーション」を絶賛している。筆者の印象としては、ドラマとしてはいいが、朝にはそぐわない作品だった。ヒロインやストーリーが、がさつだったり暗かったりで、朝ドラファン全体にとっても賛否両論だったものだ。
「カーネーション」は当時、映画評論家の町山智浩も絶賛していたが、引き合いに出している別の朝ドラについてのコメントを見たら、毎作ちゃんと見ているわけでもないように感じられた。そういう「プロ」よりは、いわゆる「時計がわり」的な視聴でも、何十年何十作と見続けてきている「素人」のおばさんの見方のほうが信じられる気がしたものだ。
大河についても、それこそ堀井の言う「わかりやすく新鮮な歴史の絵解き」を期待して、何十年何十作と見続けている人がいるわけで、そちらのほうが「通」だともいえる。実際、そういう人たちは、堀井の言う「メッセージ」など気にせず、歴史をネタにした面白いフィクションを愉しんでいるにすぎない。歴史にも、ドラマにも「正しさ」などという邪念を持ち込まずに見るという意味では、むしろ成熟しているのではないか。
「いだてん」は残念ながら、そういうファンの多くから見放されてしまった。