自分と母がいかに父の介護と向き合ったか、を一方的に書き綴ったが、実は姉・地獄カレー(本業はイラストレーター)の存在が大きい。父が愛してやまない長女は、この10年、父の問題行動を最も冷静に見つめてきた。
愛も憎しみも 幾星霜 、我慢と滅私が美徳の母とは異なり、姉は情と離れて、きわめて現実的に物事を見る人でもある。
というのも、姉が2008年にシンガポールから帰国してからというもの、父は何かにつけて姉のところへ行っていた。自分が生まれた土地であり、墓守娘となった姉が愛おしくて仕方なかったのだろう。頻繁に、しかもひとりで訪れる父を、姉は鬱陶しいと思っていたようだ。そして数日間滞在する父の姿を見て、早くから老化を目の当たりにしていたのである。
父は、姉の家に来ても何をするわけでもない。姉の家庭菜園の手入れや、庭の草むしりを手伝うわけでもない。
姉が住む家は普通の住宅ではなく、ログハウスだ。外側のデッキは定期的にニスを塗って腐食を防がなければいけない。あるとき、父が珍しく張り切って「ニスを塗る」という。手にハケを持って、やる気満タンだ。
しかしその数日は雨続きで、デッキは全体的に湿っている。乾燥してからでないとニスを塗る意味がない。姉はやんわりと「乾いてからやろう」と言ったのだが、父はまったく引き下がらず、外に出て勝手にニスを塗ろうとしたらしい。「塗る!」「まだ!」の口論がいつしかつかみ合いの喧嘩となり、父と姉は大立ち回りを始めたというのだ。手にハケを持って、柱にしがみついた父を全力でひっぺがそうとする姉。母はドキドキして見守っていたが、「お互いに殺し合うんじゃないかと思ったわ」という。
このほかにも、姉が畑で「苗を植えるにはまだ早い時期だから、やらないで」と言ったことがある。
そして、その父を甘やかす母に対しても、姉は手厳しかった。
「あの人も言うこと聞かないし、どっちもボケ老人だよ!」
と吐き捨てていた。ふたりが姉の家に来るときは、「老人たち襲来」と 辟易 ( するメールもきた。「認知の歪みが激しく、言うことを聞かない」頃の父を知っている姉は、呆れを通り越して早々に諦めていたのだ。父の糞尿処理を何度も経験し、介護に「家族愛」だの「罪悪感」だのは不要、と悟っていたのだろう。
一度、姉もたまりにたまって暴言を吐いてしまったようだ。おそらく「早く死ねばいいのに!」といったような言葉だったらしい。それを聞いていた母が「親に向かって、この子はなんてひどいことを言うのか」と驚愕して傷ついたという。
もうすべてが後日談ではあるのだが、姉が教えてくれたのは、
「自宅介護は憎悪を生むだけ」
ということだ。今回の父のホーム入居も「必然」と捉えていた。
世間でよく聞く話は、兄弟姉妹間の親の介護に対する温度差があり、不和と憎悪を生むというやつだ。
一方は「自宅介護するのが子供の責務!」と抱え込み、一方は「ホームに預けたほうが健全!」と喧嘩する。
あるいは、親の介護のなすりつけあい。
「うちは子供が受験で、まだまだ金がかかる。結婚していないんだから介護もやってよ」
「仕事が忙しくてそんな時間はない。働いてない人がやってよ」
などと、独身や子供がいないほうが負担を強いられたりするケース。
住んでいる距離によっても不満は出る。近くに住んでるほうがやらないで、遠くに住んでいるほうがまめに訪れるなど。
さらには、誰が手を出すか、金を出すか、その負担の割合で確執が生まれる話もある。
その点、姉はきっちり俯瞰し、オブザーバーというか司令塔に徹している。
そんな姉だが、老人の扱いが実にうまい。ホームに訪れたときに、他の入居者と陽気にしゃべって、妙に場を和ませたりもしている。身内に厳しく、他人に優しい。父の今後、母の現状で気になったことがあれば、姉に報告・連絡・相談するようにしている。
ま、でも基本的に姉も気まぐれなので、電話もメールも「Skype(スカイプ)チャット」も、ガン無視されるときがある。それはそれで彼女の特性なので、仕方ない。(『親の介護をしないとダメですか?』より構成)