出産から数日。妻は相変わらずの状態だった。術後のため、まだ歩けず、身体の痛みと「魚鱗癬」を患う息子への思いで毎晩苦しんでいる。
妻は昔から、人前で絶対に泣かない人間だったという。
逆に私は幼い頃、臆病で泣き虫だった。人前でめそめそしてばかりのどうしようもなく、みっともない子。
そんな自分が、今は泣いている妻を励ましている。でも、そばにいることしかえきず、何もしてやれないのが辛かった。
さらに数日後。まだ歩けないものの、妻の体調は回復しつつあった。
「病院の敷地内なら外出しても良い」と医師から許可が出たため、私は妻に外へ出ることを提案した。
「中におると、気分が沈むよ。こんなにいい天気なんやから。
妻の車椅子を押しながら、私は病院の庭へ向かった。
妻にとって久々の外。静かな庭の中を、ふたりで会話しながら歩く。
どうでもいいような話をしていたが、やはり最終的に息子の話になった。
息子の病気は通常、産まれて数日で死に至るということもある病気。
だが今は医学が進み、生存率は上がっている。
命は助かる。命「は」……。
その後はどうなる? この病気は完治しない。皮膚が薄いため、感染症にかかりやすく、最悪、死に至る場合もあるらしい。見た目の損傷も激しく、障害のある部分が多い。日常生活は苦労が多く、
また、その見た目から迫害を受けることもあるかもしれない。
どんな辛いことがあっても「生きてこそ」という言葉があるが、この子はそれを望むだろうか?
病院の先生方は今も精一杯、処置をしてくださっている。とても感謝している。だが退院の先、何も見えない。あの子にとって幸せは生きることか、それとも……。
妻は泣いていた。私も泣いていた。
あれから数日、自分の中で色々な思いを整理し、私は冷静になっていった。もう何があっても驚くことは無い。泣くことも、しない。息子は病院に任せ、私は妻を励ます。だが、息子を思う「母親」の気持ちは計り知れない。父として、夫として何が出来るか。
◆「辛かったらいつでも言いな」と母の声ある日の夜、ひとりでいる時、いつの間にか私は実家に電話していた。電話に出たのは母。会話は、息子の様態について。もう何度か電話で説明していたので、話すことはほとんど無いが……。
「大丈夫か? 辛かったらいつでも言いな」
母の言葉に、私は力強く答えた。
「いや、僕はもう大丈夫。何があっても絶対沈まん。心配いらんよ」
「そうか、あんたは強いね」
母は泣いていた。
「あんたたちが心配で……、ごめんな、私たちは何の支えにもなれなくて」
震えた声が聞こえる。何の支えにも……。そんなことない。
「十分、支えになるよ。だって何も無いのに電話をかけて、それだけで、救われる。ただ、話をするだけで……」
言っているうちに、涙が止まらなくなってきた。なぜ最初、電話をしていたのか自分でも分からなかった。頼りたい。 甘えたい。そういう思いがあったのか。
もう父親なのに。冷静になったはずなのに。心が折れそうだった。
昔のまま、私は泣き虫だった。
だが、私は母に救われた。
話をするだけで、そばにいるだけで、人の心は救われる。
私は妻のそばにいることしできない。
それだけてで充分なのかもしれない。父親が泣いてちゃ駄目だ。両親が潰れたら、どうしようもない。
自分だけは前を向く。妻も、いずれは前を向いてほしい。
でも今は、焦らずゆっくりでいい。妻が前を向けるまで自分は後ろを振り返らない。そう、強く決心した。そこから、私は悲しみで泣くことは無くなった。
(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より)