<第三回>
細部に至るまでこだわった歴史描写
全3回にわたってお送りしている近日公開の映画『燃えよ剣』の原田眞人監督ロングインタビューの最終回。本作の大見せ場「池田屋事件」から歴史描写へのこだわりまで、その自信を語っていただいた。
■やるからにはディテールを重要視
――池田屋の事件に大きく比重を置いて描いているように思いましたが、どのような意図があるのでしょうか。
やはり新選組にとって池田屋事件は大きな出来事でしたし、実のところ、今まで正確に伝えられていない部分もあり、いろいろとやってみたいと思っていたんです。僕自身が調べたことをベースに、池田屋事件がなんでああいう形になったのかということを伝えてみたいなと。数多くの小説などでは、勤皇活動家として討幕を企てる浪士たちを支援していた古高俊太郎が新選組に捕まり、拷問されていた結果、池田屋で尊王攘夷派志士たちが集まっている事実を吐く、という流れで語られることが多いのですが、これは事実ではないと思うんです。古高が襲われた夜にもう池田屋事件が発生していますから。実際に池田屋に集まった宮部鼎蔵たちは、そもそもどうやって古高俊太郎を救出するかを考えるために集まっているわけです。古高を拷問したのは、宮部はどこにいる?つまりビン・ラディンはどこだ?の一点です。そう分析すると、近藤隊と土方隊が二手に分かれて捜索した理由がよくわかる。
そのあたりのディテールを見せるために肝心になってくるのが、やはり池田屋事件。当時の状況を含めて、さまざまな戦時条件をリアルに表現するためにも、とにかくフルスケールで撮りたいと思いました。
実際に山崎烝は池田屋事件にはいなかったと言われているわけですけど、それは後々新選組が出した報告書の中に“山崎烝”の名前がなかったから。しかし、密偵として参戦していたのであれば、名前を書くわけがないんですよ。
――かなり息も切れながら
そうです(笑)
――原作の『燃えよ剣』はかなり長い小説ですが、芹沢鴨や池田屋、戊辰戦争まで、描くものの、尺配分はどのように考えられたのでしょうか。
最初は前後編でやるという構想があったので、いろいろと網羅できると考えていたんですが、最終的には2時間程度の1本の映画で、という話になりました。2時間程度で、日野時代から函館まで描くとなると、やっぱり構想を変えていかなければならない。そこで最初に思いついたのが土方の語り。残された唯一の写真の土方の姿で回想を始めて、なおかつ土方と出会っていても不自然でない人物として、江戸幕府陸軍の近代化を支援するため派遣されたフランス軍事顧問団のジュール・ブリュネを登場させることにしました。だから、土方がブリュネに自分のこれまでを語っているという構成にしようかと。そしてブリュネを最後まで出さないようにする。そういうコンセプトを考えて。
エピソード的にわりと飛ばしちゃっても“語り”で繋げていける。それから、新選組の成り立ちっていうのに深くかかわってくるところでは会津藩ですよね。藩主・松平容保。だから司馬先生の『王城の護衛者』のエッセンスをあえて足す。そこで見えてきたストラクチャーの中で、京都から出た後の部分を落とさなくちゃいけないなって。
その代わり池田屋は濃厚に描いています。40分間戦っていたというところも含めて。原作では前半にあっさり死んでしまう七里研之助を引っ張ったりだとか。七里を通してのなにが正義か、ということも描いていたりします。そこはもうどっちが善玉か悪玉かっていうのが分からない。複雑に入り組んでるところを土方と七里の関係性の中で描きたかったというのがあるんです。その辺は、良い悪いは別にしていろいろな制限の中でできるベストな形はもうこれしかないって言うことでやりました。

――芹沢鴨の暗殺シーンでの踊りは印象的でした、こだわりが?
現実に酒を飲んでたわけですよね、アリバイを作るために近藤たちは。だけどただいっしょに飲んでいたというのでは面白くない。アクティブに見せるために、近藤が結婚式の時に踊らされてるように、ここでも踊った。だから踊りっていうのは今回の近藤勇を描く上でのひとつのコンセプトとして入れ込んだんです。楽しくなると踊りだすっていうね。あれはやけになってというわけではないけども、目を据えて踊ってるシーンになりました。
――かなり印象に残るカットでした
あのシーンのための音楽を作曲家の土屋玲子さんがうまく作ってくれました。彼女自身、いろいろ調べてくれて、そのなかで当時長崎にヴァイオリニストがいたという史実を見つけて。その流れで、遊女がヴァイオリンを弾いていたんですよね。当時の京都にいてもおかしくないだろうって。当時の楽器の楽団を作って、ダンスの振付師がちゃんといて、ちょっとアイリッシュダンスっぽいやつでって頼みました。だからあのシーンはみんな、一生懸命習ってくれたんですよね。
■主役はあくまで「新撰組」
――今回“新選組”を描く作品ではありますが、朝廷の描写にも非常に力が入っているように見えましたが、ここをしっかりと描いた意図などあるのでしょうか。
やはり幕末の動乱のなかでの孝明帝の存在というのをしっかりと見せないと、と思うんです。なので十四代将軍の家茂は登場もしません。
――そうでした。
江戸城のトップとしては一橋慶喜と松平春嶽として、将軍席は空白、空席になってるということなんですけど。やっぱり日本のトップである孝明帝の存在感を強調するために、孝明帝が出てくるところは全部カメラが動いてるんですよね。FIXのショットがひとつもなく、流れをつくりながら丁寧に撮っています。そこはやはり坂東巳之助さんを使えたということも大きいですね。「我が衣をやれ」という、衣をやれって言ってからすぐ出てくるんじゃなくて、衣が出てくるまで時間がかかるって言うのを儀式通りにちゃんとやって。本当はあれよりもっと長いんです。
ほんとはもうちょっと深くいきたかったんですけどね。岩倉具視が天然痘に侵された少年を御付きにいれた上、さらに岩倉具視の妹が孝明帝の傍に女官としている。となると、毒殺みたいなものですよね。ほんとは岩倉具視も出したかった。司馬先生の短編でも、錦の御旗を作ることになったいきさつの面白いエピソードがあるんですが、そこまで間口は広げられなかったんです。