戦後民主主義のヒーローとしての信長の真実の姿は歪められている?真実の信長像を知ることで、新たな日本史の歴史観が構築される! 気鋭の保守の論客倉山満が挑む新境地! .絶賛発売中の『大間違いの織田信長』(KKベストセラーズ)を上梓した、倉山満氏が人間信長の魅力に迫る!信長は戦争の天才だったのか?

 そもそも、天才って何なのでしょうか。色んな定義があるでしょうが、信長は戦争に関しては如何なる意味でも天才ではありません。

 むしろ、泣きたくなるくらい弱くて下手です。

 信長天才説を説く人が必ず持ち出すのは、長篠の戦いでの鉄砲三段撃ちです。だったら、それ以前の石山本願寺の六段撃ちはどうなのか。

 世の中には「信長は戦争に強かった。だ・か・ら・信長は天才である」と言いつつ、別のところに行ったら「信長は戦争に弱かった。だ・か・ら・天才である」と二枚舌を使う方がいらっしゃいますが、そういう方の話の特徴は、結論を決めた上で事実を分析するので、話をすればするほどデタラメになっていくだけですので、聞くに値しません。

 戦争に強かったか弱かったか、どの側面を見て評価を下すか、どの事実やインフォメーションを取り上げて、どういうインテリジェンスを下すかによって結論が変わるはずですが、そこに存在する事実は一つです。

 では事実はどうかと言うと、信長ぐらい負けた人物はいません。色々な数え方がありますが、大体のイメージとしてとらえてください。

信長は努力と根性で戦った!!の画像はこちら >>

 戦国時代、最強と言われた武田信玄が50勝2敗くらい、上杉謙信が70勝0敗くらいです(1敗とか2敗と数える人もいます)。

 この二人が生きている間、信長は絶対に直接対決を挑みませんでした。挑発されても、ひたすら土下座をしてお引き取り願う、という姿勢で貫き通しました。

 最後は戦わざるを得なくなるのですが、そうなるまでは徹底的に決戦を回避しようとします。

信長が土下座する理由

 その理由は簡単。信長は本質的に商人だからというものに尽きます。農民でも武士でもなく、もっと言えば、投資家でもなく、投機家でもなく、経営者なのです。自分の中に事業計画があって、確実に成果が出るものを実施していきます。移動距離が大変といったような、根性さえ出せば乗り切れる困難なら、努力で乗り切れるからやります。

 同じように、どんなに挑発されても、自分の機嫌さえ我慢できれば良いわけなので、土下座でも何でもしてお引き取り願う。世間でイメージされている信長とまったく違って、現実の信長は非常に我慢強いのです。

 しかもプライドが高いキャラクターに見せているのも計算で、土下座を高く売りつけます。最初から腰巾着みたいなやつに土下座されてもまったく有難みがないですし、倉山満に土下座されたって嬉しくないかもしれませんが(笑)、一見土下座なんかしないようなプライドの高い人が土下座すると効果があるのです。

 話を戻して、謙信や信玄が生涯ほぼ無敗に近い化物だとしたら、これまた誰が数えたか知りませんが信長は生涯で30敗ぐらいしています。その一方で130勝しているそうです。

何を以って勝ち負けを決めるか、どこからどこまでを一戦と数えるかも人それぞれなのですが、なんとなくニュアンスは伝わります。

 要するに信長は、信玄や謙信のような戦国時代に軍神と恐れられたような大名はおろか、はっきり言えば戦闘力は平均以下です。織田軍は強い部隊と弱い部隊の玉石混交が激しいのですが、弱いときは泣きたくなる弱さです。

 強い部隊だって、上杉、武田、徳川、島津、毛利、北条の誰よりも弱い。しかし、信長の魅力は、弱卒を率いて勝つことです。

 では、この差をどう埋めるかというと、努力と根性です。30回負けたって、130回勝てば百の貯金ができます(しつこいですが、数字にはあまりこだわらないように)。そして根性を出して努力している内に、工夫が生まれてくる。そして信長は学び続けているのです。

『大間違いの織田信長』(著・倉山満)より構成〉

明日は『桶狭間はマグレだったのか?』

大間違いの織田信長⑦信長が生きた戦国時代です。

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