先日、知人の介護福祉士のAさん(女性)が親しくしていたYさん(男性)が、亡くなった。
Yさんは十代の頃不慮の事故に遭い、頚髄を損傷してから首から下、手と足が動かせなくなり、事故以降、車椅子生活を余儀なくされた。
Yさんは、目が覚めたと同時に、いきなり障害者となった。
昨日まで出来ていたことが、突然出来なくなった。
それは、何も難しい作業ができなくなったということではなく、ちょっと鼻の頭が痒いとか、そこのペンを取るとか、水を飲みたい、食事をしたい、といった事故に遭うまでは意識せずとも行っていた行為が、一切できなくなってしまった。
それどころか、感覚機能や排せつ機能、自律神経、その他諸々の二次障害も同時に発生する。今まで身体が勝手に行っていた、汗をかく、排便排尿をする、暑さや寒さを感じるということその他等々ができなくなってしまったのだ。
それら障害に対してYさんは、懸命なリハビリを重ねに重ね、なんとか介護サービスの手も借りるなどして、一人暮らしを送れるまでになった。手は使えないが口をつかってパソコンを操作し、イラストを描いたりもした。そのイラストは本人のブログで公開するとファンがつくようになって、個展を開催するまでになった。
障害は負えどもYさんは、とても行動的に人生を送った。
そんなYさんが40代の若さで亡くなった。死因は、脳卒中だった。脳卒中とYさんの障害との因果関係は分からないが、かねてからYさんは行動的に人生を謳歌している最中から、ずっと言っていたことがあるという。
それは、「女性との性経験をしてみたい」ということだった。
Yさんは、異性や恋愛に興味を持ち始める十代に頚髄損傷を受傷した為、女性との交際や性経験をしたことがなかった。
障害の有無に関係なく、異性に興味を持ち、交際や性経験をしたいと思うことは、極めて当たり前のことだから、Yさんがそのような言葉を口にするのはいたって自然なことだ。
Yさんはその行動力や明るい性格などから、男女ともに交友関係は広かったが、こと恋愛やその先の性関係のこととなると、躊躇してしまっていたという。
障害を相手に受け入れてもらえるのか? 二次障害の排便や排尿障害などが、相手の前で失禁というかたちで起こってしまうのでは? 性行為の動きや、行為中に寝具と身体が摩擦などで擦り傷ができるのでは? 等々の心身的不安が拭えなかったからだ。
Yさんは、友人のAさんに「女性と一度でいいから性行為をしてみたい」と話していた。Aさんとは自身のイラストの個展で知り合い気の許せる友人関係になっていた。Aさんが介護福祉士ということもあって、Yさんはあらゆる話題をAさんと安心して話すことができたそうだ。
そんな会話をいつものようにしているある時、AさんはYさんから頼み事をされた。
Aさんは友人であるYさんとの行為を受け入れることはできなかった。これも極めて当然のことだ。友人からいきなりそんな誘いを受けても、障害の有無は関係なく断るだろう。
しかしYさんの性行為に対する切なる思いと事情を知っているAさんは、Yさんからの願いをあっさりと断ることはできず、受けるべきかと少し考えたという。
考えた末に、Aさんはその頃好きな人が居たのと、やはり友人のYさんと性行為をすることには抵抗があった為、その申し出は断わった。
障害者の「性」は深刻Aさんは、障害のある方も受け入れOKの風俗サービスがあることを知り、Yさんに教えた。しかしYさんは、女性にお金を払って行う性行為には抵抗が強く、風俗を使用する気はなかったという。
その後も何度か、YさんはAさんに性行為の相手のお願いをしてきたというが、Aさんは断った。断る度にAさんは、罪悪感にも似た気持ちになったという。
YさんがAさんとの関係を諦めた後に、女性との関係を持てたのかどうか、今となっては確認することはできない。しかしYさんが常々言っていた「やらずに死ねない」という言葉を、Aさんは時折思いだし、自分が相手になればよかったのではないか?と思うことがあるという。
風俗サービスを使用することに抵抗があるが、自身の障害の為に性行為はもちろん、恋愛にも臆病にならざるを得ない人がいる。恋愛感情や性的興味を抱くことは、障害の有無は関係なく、極めて当たり前の感情だ。そして性欲は一般的な男性であれば、自慰行為を行うことで一時的に解消することもできるが、Yさんのように手の機能に障害がある場合は、それすらすることができない。
心身に鬱積する思いは増すばかりであり、性欲にとどまらず、将来結婚をして子どもがほしいという思いがある場合、それはとても切実であり深刻な問題だ。
しかしそれらを気軽に相談できる公的サービスがある訳でもなく、そもそも性のことを大っぴらに話をできる環境もなく、ただ一人悶々と悩んでいる方がYさんの他にも少なくないのではないか、と推測するのは難くない。