2010年に大手広告代理店・博報堂DYホールディングスで立ち上がった「AD+VENTURE」は、同社グループ内の正社員から新規ビジネスの提案を集め、審査に通過したビジネスアイディアの事業化を目指す制度だ。すでに9社の会社が立ち上がり、本格事業化を目指している。

今回は、そんな「AD+VENTURE」を統括する博報堂DYホールディングスのイノベーション推進室長・赤木直人氏に、立ち上げの経緯や同制度の存在意義について話を聞いた。

博報堂、ユニークな社内ベンチャー制度の狙い~“リッチな”制度で社員成長、経営刷新
●「AD+VENTURE」を立ち上げたきっかけ

「AD+VENTURE」が立ち上がった当時は、まさに景気がどん底だった。学生の内定取り消しが大きな社会問題となり、自分の雇用に不安を覚える人が続出した。そんな不況下であえて「AD+VENTURE」を立ち上げた理由を、赤木氏は次のように説明する。

「不景気の時に何ができるかを考えてみると、社員に金をばらまくだけでは急場しのぎにしかなりません。そこで、会社をよりイノベーティブ(革新的・刷新的)な方向に持って行くことを考え、立ち上げたのが『AD+VENTURE』です」

 通常、不景気な時には、支出を抑え、いかに仕事を取ってくるかに主眼が置かれるはずだが、同社では逆の発想だった。続けて赤木氏は、その理由をこう語った。

「不況だからこそ、売り上げをつくるのではなく、わからないことをやってみる精神が大事です。会社がチャレンジする社員を支援することで、不況におびえる社員のモチベーションを維持させられると考えました。もちろん、売り上げがなければ会社は立ち行きませんので、最低限の売り上げ確保は必要です」

 広告代理店ビジネスを行う博報堂の社員は、顧客から求められたものを的確に表現する力に優れている。一方、企業文化として自分で物事を考える能力が欠落していると、赤木氏は指摘している。これは、広告代理店ビジネスに限った話ではない。

IT業界や建設業界など、顧客からの提案・依頼に基づいて仕事を進めていく業界では、その顧客の言いなりになりがちだ。しかし、言いなりになってばかりでは、ひとたび顧客が離れると収益源を断たれ、経営が迷走してしまう。売上高1兆円を超える大企業であっても、行っているビジネスモデルは、創業120年来変わっていない古典的なスタイルといえる。この古くから続く仕組みを刷新するための制度が「AD+VENTURE」なのだ。

●「AD+VENTURE」の特徴

「まず、グループの社員からビジネスアイディアを募集します。そのビジネスアイディアは、2回の審査を通じてふるいにかけられます。審査を通過した社員は、事業化のための体制構築を行って会社化し、1年間のテストマーケティングを行いい、会社化した際に定めたKPI【編註:重要業績評価指標、目標の達成具合を測る指標】が達成できたかを審査し、達成できたと判断された場合は、事業が継続されていくこととなります。達成できなかった場合は、また博報堂グループの社員として戻ることになります。失敗しても戻れるようにすることで、社員のチャレンジするハードルを下げています」

「AD+VENTURE」の特徴を、赤木氏はこのように説明する。出戻りが可能であるならば、ベンチャー企業特有のモチベーションの高さが失われるのではないかと考えてしまうが、モチベーションを維持できる体制を整えているという。

「確かに、立ち上がったばかりのベンチャー企業の資金調達の苦しさを味わうことはなく、支援するメンバーも、ビジネスの最前線で成功している優秀な人材ばかりですので生ぬるいと言われるかもしれません。しかし会社側が、その社員を成長させられるリッチな環境を用意し、社員に成長を促すのも大切だと考えています。

従って、現状の業務にとらわれずに、自由でイノベーティブなチャレンジができる環境を社員に与えて、モチベーションを維持させるようにしています」

●事業を支援する側にとっても学びとなる
博報堂、ユニークな社内ベンチャー制度の狙い~“リッチな”制度で社員成長、経営刷新

 設立からまもなく4年を迎え、1期目に体制構築した会社は、KPI審査を通過。さらに事業継続すべきかどうかの議論が進められている。

「起業した側だけでなく支援する側としても、支援する姿勢や方法が適切であったかなどを評価し、改善していかなければならないと考えています。ただ単に『AD+VENTURE』を運営することだけを目的にしていては、せっかくのイノベーション推進室が、“社内ベンチャーメンテナンス室”になってしまいますから、この推進室自体を改革し続けなければなりません。運営を進めるうちに、我々が若手社員から学ぶことも数多くありました。この学びもイノベーションを進める原動力になると確信しております」

 赤木氏は、さらなる社内の活性化に努める意気込みを語った。

 ビジネスの第一線で活躍するイノベーション推進室のメンバーが、若手を支援すると同時に、イノベーティブな施策やビジネスを発見できるよう互いに学んでいこうという姿勢が博報堂に改革を起こす可能性を感じさせる。そんな「AD+VENTURE」からは今春も、審査を通過した同社社員によって新たな会社が数社設立される予定とのこと。博報堂の今後に期待したい。
(文=久我吉史)

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