こうした中で、またもや不祥事が起きた。大阪経済部の記者(現東京経済部記者)が捏造インタビュー記事を書いたのだ。任天堂の岩田聡社長をインタビューしていないのにもかかわらず、同社ホームページから勝手に岩田社長の発言を取り出して、あたかもインタビューしたように見せかけて記事を掲載したのである。そして、記事掲載後、任天堂から抗議を受けたものの、処理を内々に済ませて捏造を隠蔽していたのだ。
その記事は、2012年6月8日付朝日経済面に掲載された『ソーシャルゲーム時代、どう対応? ゲーム大手4社に聞く』(データベース版タイトル)である。「聞く」とある以上、岩田社長にインタビューした記事であると読者は当然受け止めるので、これでは読者を騙していることになる。
朝日は今年9月14日付経済面で「任天堂と読者の皆様におわびします」と題する謝罪文を掲載し、簡単な経緯を説明。その中では「今回新たに外部から指摘があり、事実関係を改めて調査した結果、紙面でおわびする必要があると判断しました」などと書かれているが、外部の指摘とは、「週刊文春」(文藝春秋)による確認取材なのである。
関係者によると、「文春」は9月12日、この件に関しての事実確認を朝日広報部に対して行ったが、同部はなかなか回答をせず、突如13日夜中に発表することを決めたという。これは、メディア業界の暗黙のルールというか信義を大きく裏切る行為なのだ。一般的に、1社単独による独自ネタに関して事実確認の照会を受けた場合、その1社のみに回答するのが常識だ。朝日は「文春」のスクープを姑息にも潰すために、自ら発表する形態を取ったのである。
実はこの件、筆者も薄々何が起きているのかをキャッチしていた。ある関係者から「古巣で、こんなことが起きているみたいですよ」と耳打ちされたのだ。朝日関係者に直接聞いたところ、否定はしなかった。13年10月に子会社の朝日新聞出版で「週刊朝日」編集長がセクハラにより懲戒解雇された際に、筆者は当サイトで組織風土を批判する記事を書いたが(『週刊朝日編集長の「セクハラ懲戒解雇」から透ける、朝日新聞の内部崩壊』)、その中で「発覚すれば編集担当の責任者の首が飛ぶかもしれない不祥事を隠している」と、オブラートに包んで任天堂とのトラブルのことを示唆した。その頃、筆者は朝日幹部に「任天堂に関する捏造インタビューを、どうも隠蔽しているらしい」とこっそり教えてあげたこともある。●任天堂記事の捏造・隠蔽を生んだ組織的問題
この捏造・隠蔽は、朝日の会社としての体質をあらゆる面で象徴している。捏造した記者は、総局から経済部に異動してまだわずかの月日しかたっていない「経済部1年生」。記事は、「ゲーム見本市」が開催されていたロサンゼルスからの発信になっている。まず、企業取材にまだ不慣れな記者を海外のイベント取材に出し、さらに慣れていない海外で社長にインタビューさせて記事を出稿させることは通常だったらありえない。
ただ、「経済部1年生」であろうが記者の基本として捏造だと認定されれば、重い場合は懲戒免職の処分は免れないことくらい知っているはずなので、この記者にも大きな責任があることは間違いないが、それをサポートできなかった点も重く見るべきである。しかも、これは大阪経済部だけではなく、東京経済部とも連携した記事であり、東京にはさらにベテランのキャップが存在しているだけに、未熟な若い記者を手助けするという、仕事を進めていくうえで基本的なことに目配せしていれば、この記者の失敗は防げていたのではないか。
朝日経済部のキャップの中には、自分の下に付く若い記者をこき使って、自分はふんぞり返っている者も少なからずいる。自分の無能さは棚に上げ、若い記者の悪口を上司に告げ口する者も散見する。朝日では、そういうキャップが統率力のある人材とみなされ、管理職になっていくのである。最近は、自分にだけはやたらと甘く、若い記者には厳しいキャップやデスクが増え、精神的に参ってしまう若い記者もいるやに聞く。
そして、この問題で最悪なのは、任天堂から抗議を受けたにもかかわらず、当時の大阪経済部長がそれを隠蔽してしまったことだ。その評判はあまり良くない。「若い時にも大阪で勤務していましたが、仕事よりも麻雀などの遊びが好きで、大きな記事はほとんど書いていないのではないか」と、在阪企業の役員経験者は振り返る。
この大阪経済部長は、元朝日労働組合本部委員長だ。
この問題に絡んで注目される点は、捏造記事を書いた記者、支援しなかったキャップや隠蔽した部長がどのような処分を受けるかだ。この問題と似ている05年に発覚した田中康夫長野県知事(当時)の取材メモを長野支局記者が捏造した問題では、その記者は懲戒免職になり、指揮命令系統を遡って政治部の中にまでも処分者が出た。ちなみに、当時の東京本社編集局長が現社長の木村伊量氏であり、木村氏は更迭された。「長野支局虚偽メモ問題」と「任天堂社長インタビュー捏造問題」は、構造的に似ている。果たして処分は平等になるのだろうか。筆者の感覚では、任天堂の件のほうが隠蔽した分だけ悪質さは高いと思う。
さらにいえば、「吉田調書」報道の記事取り消しを発表した9月11日の記者会見で、木村社長は完全な調査結果が出る前の段階にもかかわらず、「関係者を厳正に処分します」と早々と宣言している。
東京経済部長は、「この2年間で成長した」などとして任天堂の担当記者をかばう動きを見せている。その一方で、「『吉田調書』取材班に対しては人権蹂躙とも取られかねない社内調査が続いていて、調査する側からもあんな仕事はしたくないという声が出ている」(朝日中堅幹部)という。対応に差が出るのは、経済部の記者は盲信的に組織に従う「お利口さん」タイプが多く、将来があるのでなんとか守ってやりたいといった力学のようなものが働いているからではないか。これに対し、吉田調書を担当した特別報道部は、一匹狼的な活動をして組織には迎合しないタイプの記者が多いため、トラブルを契機に週刊誌などの敵対的メディアよりもむしろ会社側が攻めたてているのである。
筆者は、この両問題の処分の平等性に注目している。なぜなら、繰り返しになるが、朝日の場合、好き嫌い人事が横行し、適材適所ができない傾向にあるうえ、重大な犯罪でもしない限り、将来を嘱望されている人材は不祥事に関わっても軽い処分(社会の批判をかわすための形式的な処分)で済まされ、ほとぼりが冷めた頃に復活してくるからだ。木村社長が東京編集局長時代に更迭された後、欧州総局長などを務め、取締役に選任、社長にまで登りつめたことがその象徴的な人事といえる。パワハラやセクハラの類も日常茶飯事だが、こうした問題を起こしても、将来を嘱望されている人材は組織を挙げて守り通す傾向にある。
いってしまえば、ゴマすりして会社の覚えがめでたい人材は軽い処分、ジャーナリストとして志高く我が道を行くタイプの扱いにくい人材は重い処分を平気で行う会社なのである。こうした風土も、懲りずに大きな不祥事が度々起こる遠因ではないだろうか。
(文=井上久男/ジャーナリスト)