先月28、29日に、G20大阪サミットが行われました。大きな混乱もなく、大阪市内で心配されていた交通渋滞もほとんどなかったそうで、ちょうど関西で指揮をしていた僕も、なんの問題もなくコンサートを終えることができました。
40年以上も前に発足したG7は今や形骸化がささやかれ、現在の世界経済の流れとは合わないとも言われているようです。このG7に、EU、ロシア、中国を含む、現在、経済的に重要視されている13カ国・地域を加えた今回のG20のほうが、時代に即した会議なのかもしれません。
EUは国名ではないので除くと、G20参加19カ国のなかで僕が実際にコンサートをしたことがある国は、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、中国、ロシア、南アフリカ、トルコと10カ国です。サウジアラビアは宗教的な理由により西洋音楽を禁じられていたので、今後も僕が指揮で訪れることはないかもしれませんが、訪れた上記の国々のなかで「新興国」といわれる、経済発展が目覚ましい国々は、むしろG7の国々よりも活気を感じるほどで、この20年間で大きく発展したことがよく理解できます。
G20参加国のなかでいち早く日本入りをしていたエマニュエル・マクロン仏大統領は、東京で行われた安倍晋三首相主催の非公式夕食会に出席したと伝えられています。その際に日仏友好の印として両国のワインが出されたそうですが、日本側からは長野小諸市のワイナリー、マンズワインの「ソラリス・マニフィカ2012」が選ばれ、ワインの本場・フランスからは「シャトー・ド・ブレガンソン」を両国首脳が楽しむことになりました。マクロン大統領は長野ワインを気に入って、おかわりまでしたそうです。
今や、ウイスキーの本場であるイギリスの空港をはじめ、世界中の空港内免税店にはサントリーやニッカの高級ウイスキーが置かれ飛ぶように売れていますが、日本産のワインがフランス国内でも好んで飲まれる日も近いかもしれません。
『赤とんぼ』の3番がNHKで放送されない理由これは現在の日本のオーケストラでも同じような状況になっています。今では、世界の著名指揮者が日本のオーケストラの指揮者を務めることも多くなり、日本のオーケストラが海外ツアーを行えば、本場欧米の聴衆の度肝を抜くような大成功が続いています。さらに、海外に留学したり、実際に欧米のオーケストラに所属していた日本人演奏家が帰国し、日本のオーケストラに入団することも当たり前になっています。
何よりも、日本国内の音楽専門教育のレベルがかなり高くなっており、現在では欧米と肩を並べていると言っても言い過ぎではありません。
ただ、本連載でも何度も紹介しているように、西洋音楽が本格的に日本に入って来たのは、鎖国が終わった明治維新後です。二度の世界大戦を挟んでいるにもかかわらず、このような大成長を遂げたのは、やはり日本人の勤勉さによるのだと思います。
西洋音楽にまったく馴染みがなかった日本にオーケストラをつくろうとしたのは、実は童謡『赤とんぼ』の作曲家・山田耕作です。そこには幸運がありました。耕作の姉が国際結婚をして日本国内でイギリス人夫と暮らしており、その義兄が音楽家だったことから、国内で本場の初期音楽教育を受けることができたのです。
さらにその後、三菱財閥の岩崎小弥太の援助を受け、明治43年から3年間、ドイツ・ベルリンに留学したことが大きな経験となりました。おそらく当地で、今もなお世界一のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、ベルリン国立歌劇場の公演に強い衝撃を受けたのでしょう。そんな彼は後年、ベルリン・フィルを指揮することになります。
さて、ドイツから帰国した耕作が、岩崎の創設したオーケストラの首席指揮者に就任したのが、日本のオーケストラ夜明けの瞬間です。ただし、このオーケストラはとても短命でした。
ところで、そんな耕作が作曲した『赤とんぼ』は、現在はどのような取り扱いになっているのか定かではありませんが、NHKでは3番の歌詞を放送することが禁止されていると聞いたことがあります。その歌詞は以下のとおりです。
「十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき
お里のたよりもたえはてた」
作曲された当時と違い、現在の憲法では15歳は法律で結婚を禁止されているからというのが理由とされています。
多くの苦難を乗り越え、“日本のオーケストラの父”と呼ばれるようになった耕作ですが、その後、東京都内だけでも9団体、日本全国で40団体近いオーケストラが生まれるとは想像もつかなかったでしょう。さらに、1000団体を超えるアマチュアオーケストラが活動する大オーケストラ国に日本が成長したと知ったら、どれほど驚かれたことでしょう。
(文=篠崎靖男/指揮者)
●篠﨑靖男
桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、BBCフィルハーモニック、ボーンマス交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フィンランド放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団など、各国の主要オーケストラを指揮。
2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/