古典落語の名作「芝浜」。なまけ者の魚屋・勝五郎が女房に尻を叩かれて芝の雑魚場に仕入れに行くが、朝早すぎてまだ市場が開いていない。

仕方なく顔でも洗おうかと思った浜で、ずしりと重い財布を拾う。噺はここから始まる。

 芝雑魚場の跡はJR田町駅の北、線路に接した山手線の内側にある。つまり、今の山手線が江戸時代の海岸線。実際、明治のはじめに汽笛一声新橋駅を発車した汽車は、芝のあたりは堤防の上を走っていたという。

 東京の歴史は埋め立ての歴史でもある。

埋立地は、江東区の辰巳団地や品川区の八潮団地のように住宅用地として使われる例もあったが、多くは倉庫や工場用地として利用されていた。

 1980年代の末、中央区佃島の北端で「大川端リバーシティ」と名づけられたタワーマンション(以下、「タワマン」と略称する)群の開発が始まる。都心居住の嚆矢となるメモリアルな出来事であると同時に、湾岸の埋立地が住宅開発されていく先駆けともなった。現在のように湾岸部にタワマンが建ち並ぶようになるのは1990年代の後半から。せいぜい四半世紀くらい前のことにすぎない。

五輪特需で高まる湾岸への期待値

 図表1は、中央、港、江東、品川の各区の湾岸埋立地(20地区)の人口を追ったものだ。

95年には11万人強だった人口が2015年には24万6000人に、さらに19年1月には27万人以上に膨れ上がっている(ただし、19年は住民基本台帳による数字であり、国勢調査人口とは単純比較できない)。図表に併記した近年の人口増加率を見ても、湾岸部での住宅開発が現在も衰えることのない勢いで進行中であることがわかるだろう。

 図表2では、そのなかで近年、特に人口の増加が著しい地区をピックアップした。人口増加率トップの品川区勝島地区は、もともと人口が数千人程度しかなかったところに大規模タワマンの開発が進んだため、数値が大きく跳ね上がったという背景があるが、それ以外はオリンピックがらみの地区が上位に並んでいる。

 2位の中央区晴海地区は選手村ができる場所。「コンパクト五輪」のコンセプトは崩れ去ったとはいえ、大会会場の集積度がもっとも高い江東区湾岸エリアの中心である豊洲地区が3位。

4位は五輪までに暫定開通する環状2号線(いわゆる「マッカーサー道路」)沿道の中央区勝どき地区。そして、これも五輪イヤーに暫定開業する山手線新駅のおひざ元である港区芝浦地区が5位。高まる期待が五輪関連地区の住宅開発を勢いづけていることが、手に取るようにわかる。

高齢者は上層階がお好き?

『国勢調査』の公表値で追うことができる高層マンションのデータは15階建て以上まで。町丁別の詳細データとなると11階建て以上まで。タワマンと呼ぶには役不足の感も否めないが、図表1で取り上げた20地区の住宅構成(世帯数ベース)は11階建て以上の共同住宅が77%を占めることからも、「湾岸=タワマン」と考えて大きな間違いはない。

 あらためてタワマン(前述した通り15階建て以上までしかデータを追うことができないため、正しくは「高層マンション」)について、おさらいをしておこう。15階建て以上の共同住宅に住んでいる人の割合は、全国平均では1.6%、東京23区平均でも5.1%にすぎないが、東京の都心ならびに湾岸エリアを抱える区では突出して多い。

 逆に少ないのは西部山の手地区。もちろん、高層マンションでも低層階に住んでいる人もいるが、実は15階建て以上の高層マンションに住んでいる人の割合と、11階以上の高層階に住んでいる人の割合はほぼ等しいという傾向がある(図表3参照)。

「高層マンション居住者≒高層階居住者」のボリュームゾーンは、いうまでもなく30代・40代の若いファミリー層だ。当然、彼らの子ども世代にあたる10歳未満の割合も高い。

タワマンに住むにはある程度以上の経済的なゆとりが求められることから、10代・20代の割合は低くなる。

 注目すべきは65歳以上の高齢者。高層マンションに住む人の割合を高層階に住む人の割合が大きく上回っている(図表4参照)。どうやら、高齢者は高層階を好む傾向があるようだ。

マンションポエムの裏に潜む5つの不安

 ゴージャスなタワマンに住むこと、とりわけ俗世間を見下ろす優越感に浸れる上層階に住むこと。その魅力を、不動産広告は甘い言葉で誘いかける。

俗に「マンションポエム」と言うらしい。しかし、冷静に考えてみると、タワマンでの生活は不安だらけといっていい。なかでも、通勤、子育て、高齢者、防災、そして、資産保全の「5大不安」は深刻だ。

 通勤の不安を象徴する例として、メディアでしばしば取り上げられるのが、タワマン銀座の武蔵小杉の通勤地獄。駅も電車も混雑が限界を超えているのは事実のようだが、筆者に言わせると、これは駅の構造や電車の編成を工夫すれば済むこと。通勤地獄を問題にするなら、もっと本質的な問題に目を向けるべきだろう。一般の電車は車輌定員が150人程度。10両編成なら1500人。これに対して、ゆりかもめは1編成の定員がおよそ350人。輸送力に天と地ほどの差があり、そもそも通勤需要に対応できる路線ではない。

 中央区の晴海地区はもっと問題が大きい。都心に近い場所にありながら同地区の開発が進まなかったのは、鉄道の便が決定的に悪いから。選手村の跡をマンションとして分譲するというが、生活の足はどうするのかと他人事ながら心配になってしまう。

災害時に露呈するタワマンの居住リスク

 子育て、高齢者、防災は高層階居住に伴う不安である。高層階で育った子どもは家にこもりがちになるため母親との心理的な密接度が高まりすぎ、発育の過程で数々のリスクが高まるとの指摘がある。由々しき問題だが、親が積極的に子どもを外に連れ出すようにすれば防げるという面もある。

 しかし、高齢者はそうはいかない。エレベータに乗らなければ外出できない生活は、若い人ならなんでもないことだが、歳を取ると大きなバリアに変わる。そうでなくても外出が億劫になりがちな高齢者にとって、高層階居住はひきこもりを促す要因となることが容易に想像できる。しかも、プライバシー絶対重視という名の、近隣とのつながりを欠いたタワマン生活。その先にあるのは高齢者の孤独化であり、ひいては孤立死という悲惨な結末につながっていく。

 11階以上の高層階に住むひとり暮らしの高齢者、あるいは夫婦ともに65歳以上の高齢者夫婦。こうした「孤立化予備軍」が高齢者全体に占める割合が、中央区では15%、港区では9%、千代田区では8%、江東区でも7%を数える。

 平時はまだいい。大地震などの災害に見舞われると、タワマンのもろさが一気に露呈してくる。建物は最新鋭の耐震構造だし、地盤も公共が関与して整備された埋立地なので、液状化などの問題もそれほど心配しなくていいのかもしれない。しかし、ライフラインはネットワークだ。どこか弱いところで途絶が起きると、広い範囲に被害が及ぶ。

 タワマンは電気なしに生活できない。ポンプが止まると水も出ない。水が出ないとトイレが使えない。高層階居住の選択は、こうしたリスクと背中合わせにあることを覚悟する必要がある。それは、「下界」を見下ろす優越感だけで解決できる問題ではない。

10年後には湾岸のタワマンがゴーストタウン化

 最後の資産保全の不安は恐怖のシナリオだ。マンションの寿命は40~50年。うまくつくってうまく管理すれば100年近くもつのだろうが、間取りをはじめ、生活の場としての陳腐化は否応なく進む。日本人は新しいものに価値があると考える傾向が強いため、実際は35年ぐらいで建て替えとなる。

 35歳で分譲マンションを買ったとすると、35年後は70歳。当然、住民は高齢化している。子どもたちは古ぼけた住宅など見向きもしない。そんな状況下でのタワマンの建て替えは、事実上不可能に近い。修繕費にしても高額になるため、必要な修繕すら進んでいないという事態も想像できる。その結果として待ち受けているのは、ゴーストタウン化したタワマンの姿だ。

 先に指摘したように、東京の湾岸エリアにタワマンが建ち始めてから、まだ四半世紀。しかし、逆から見れば、10年後に東京の湾岸エリアはゴーストタウン化を始める危険性を抱えていることになる。マンションポエムは、この問題にどう答えるのだろう。

(文=池田利道/東京23区研究所所長)