カジノホテルをもともとの本業とするドナルド・トランプ米国大統領の大口献金者として知られる米ラスベガス・サンズ(LVS)のシェルドン・アデルソン会長兼CEOが今年5月13日、日本のIRカジノ市場から撤退することを発表した。同氏は「エネルギーを別の好機に集中させるべき時期」と語ったが、それは、日本におけるIRカジノ運営免許の更新期間や他の規制が巨額の資金調達と投資に見合わないと判断したからだと見られている。
LVSが日本撤退を表明した5月中旬から6月初旬にかけて、筆者は「サンズ撤退をどう見るか」について、電話/メール/面談等で国内外18人(うち2名は米国と上海に在住)のカジノ関係者、国内の政治家秘書、元官僚、商工会議所関係者、ロビイスト等に取材した。以下は、その回答の一部である。
A氏「サンズ撤退に新型コロナの影響はもちろんあると思うが、あんなもの、そのうち慣れて感染騒ぎにも出口がくるに決まっている」
B氏「官邸は約束を反故にした。ライセンス更新は10年かと思っていたら3年だと。官邸のずるさがよくわかった」
C氏「正直に言うと、サンズには選択肢がない。本当は日本でやりたかったが、マカオとの天秤があったということ」
D氏「せっかくつくった法がこれか。それとも、わざと曖昧にしていたのか。外資はバカじゃないから官僚が甘かった」
E氏「行政が無駄に規制を厳しくしたおかげで、こっちはいい迷惑」
F氏「カジノというギャンブルビジネスの需要そのものが終わる。もう一攫千金じゃない。当面はESG(環境・社会・企業統治)投資に移行する」
G氏「たった3年で更新なんていう、バカバカしい日本のIRに愛想が尽きたのだろう。キャッシュフローは10年で組み立てたはず。役人は何考えてるのか。
H氏「日本の官僚はバカですか。バカでしょう(笑)」
ちなみに、取材に協力していただいた各氏は、ほぼ例外なく筆者のカジノに関する過去記事が日本での設営に批判的であることを承知していた。それでも応じてくれたのは、各氏が「物事の賛否は自由。カネ儲けも自由」と割り切っているからである。
それにしても、前掲B氏の「ライセンス更新は10年かと思っていたら3年だと」というセリフには驚かされた。日本のIR施設はカジノ賭博のアガリを資金源として維持されることになっており、IRカジノ業者はカジノ管理委員会が発行する免許でカジノ場を運営する。
IR整備法はカジノ事業者に付与する営業免許の有効期間を「当該免許の日から起算して3年」と規定しているため、3年後には免許を更新せねばならない。「10年」というのは区域整備計画認定の有効期間であり、免許(ライセンス)とは無関係だ。B氏には、その場でスマホに表示した条文を見せたが、「……いや、知らなかった」と言う。
また、D・E・G・Hの各氏は一様に「行政が無駄に規制を厳しくした」と言うが、果たしてそうだろうか。日本の歴史上、初めて「民間賭博を公認」した政府が「賭博ビジネスから国民を守るために規制を厳しくした」というのは腑に落ちない。行政がライセンス期間を細切れにしたのは、後々の主導権を握るために、「免許を3年更新にすれば、既得権益を維持するためにカジノ業者が“天下り”の受け皿や政治資金の提供を自ら暗に申し出るだろう」と想定したからではないか。
更新期間を短くすれば、政治家と官僚の“交渉力”がおのずと高まるからである。官僚はH氏が言うような「バカ」ではない。
興味深いのは、C氏が指摘した「マカオとの天秤」という表現だ。米国ラスベガスを抜いてマカオがカジノ収益で世界一になったのは2006年。7年後の2013年には451億ドルという莫大な営業収益を記録した。1ドル100円換算なら日本円で約4兆5100億円だ。
だが、それは「営業収益」にすぎない。カジノの収益は「客が負けた金額と諸手数料との合算額」であり、賭けられたチップ総額の一部にすぎないからである。VIPルームは“超・鉄火場”であり、総ベット額は途方もない金額だ。マカオにおける同年の賭け金推定総額は、実に40兆円超。オーストラリアの国家予算にも匹敵する。
そのマカオで4月20日、特別区行政長官が今年後半のゲーミング法改正でカジノの営業権発給を「自動更新せず、新規再入札とする」と言明した。
従って、マカオのゲーミング・コンセッションは再入札となる。マカオでカジノを運営している6事業者のコンセッション満期は2022年6月26日。マカオのカジノビジネスで余禄を食む中国政府の高級官僚が日本のIRカジノに顧客を吸われるのを嫌がり、新型コロナショックのこの時期に、LVSに対して「日本とマカオのどっちを取るか」を暗に迫っていたとしても不思議ではない。
マカオで5つのカジノ施設を運営するLVSは香港証券取引所に上場している。LVSとしても、新規再入札でライセンスが更新されれば企業価値が維持され、株価の下落を回避できる。LVSの株はアデルソン一族が大半を握っている。同氏が「このたびは、ひとまずアベ=日本市場を捨てる」ことにした可能性が高いのである。
LVSが撤退を表明した約2週間後の5月26日、“マカオのカジノ王”として知られたスタンレー・ホー氏(マカオ旅遊娯楽有限公司=STDMの総帥)の訃報が伝えられた。昨年時点で同社は、マカオで運営されているカジノ41施設中の22施設を所有している。しかし、メルコリゾーツ&エンターテインメントを率いる息子のローレンス・ホー会長兼CEOが横浜におけるIRカジノ開発から撤退する気配は微塵もない。
LVSのアデルソン会長が「日本のカジノに100億ドル(約1兆円)を投資する準備がある!」と狼煙をあげたのは、今から6年前の2014年2月。
従って、最大手業者が一旦席を外したとしても、監視機関である「カジノ管理委員会」が機能するか否かの重要度は変わらない。
第1の欠陥――「推進する政府」と「規制する機関」が最初から骨がらみ世の中には、ただでさえ「カネにまつわる事件と犯罪」があふれている。もし、民設民営の巨大カジノビジネスに対する行政の監視が甘ければ、カジノは無数の事件や犯罪を引き寄せ、国民にはうかがい知れない複雑・巧妙な贈収賄による疑獄、金融犯罪などの温床となる。巨大なカネは権力そのものであり、政官は容易にその力に屈しがちだ。特に、深層で巨額のカネと政治/行政の権力が共謀すれば、仮に事犯が発覚して摘発され世に報じられたとしても、国民に伝えられる“結末”は単なる「尻尾切り」にすぎない場合が少なくない。
本連載の初回から述べてきたように、IRカジノを本気でメディアが注視するのであれば、これを監視する「カジノ管理委員会」に、まずは焦点を当てる必要がある。国民に代わってカジノビジネスを管理・監督・監視すべき権能が一手に与えられた同委員会の職責は重く、国民の猛反対を無視して禁断の扉を開いた安倍晋三内閣と同委員会は、彼らが高らかにうたった「廉潔性の確保」を字義通りに全うせねばならない。
しかし、前回までの記事で筆者は、カジノ管理委員会が「素人目にも穴だらけ」で、「いくつもの重大な欠陥・問題を孕んで」おり、「職責を全うできるか」は疑わしく、今のままでは「管理・監督・監視にはならない」と書いた。監視機関が「欠陥だらけ」であれば、国民に公言した「廉潔性の確保」を全うすることはできない。
カジノ管理委員会は、公正取引委員会や国家公安委員会などと同じく、「内閣府設置法」に基づき内閣府の外局として設置された。
2011年3月11日に東京電力が起こした「東京電力福島第一原発事故」を機に、日本の国民と政府は、いくつもの教訓を“学んだはず”だった。その主要なひとつが、原発を「推進する政府」と「規制する機関」とを明確に分離することである。永年、原発を推進してきた政府は、その規制機関を事実上、傘下に置いて牛耳ってきたことで、天下りや贈収賄による癒着にまみれた原発を「安全神話」で偽装し、その結果として「3.11巨大原子力災害」を引き起こしたからだ。
事故後の現在、環境省の外局に設置された原子力規制委員会には、カジノ管理委員会と同じく任期5年の委員が5人置かれている。その職責は言うまでもなく、「独立した行政権限による原発の安全規制」だ。「推進」と「規制」が骨がらみにならぬよう、「職員の異動」や「民間登用」を規制し、省庁から規制庁に異動した職員が出身官庁に戻ることを「ノーリターン・ルール」で禁じた。また、原子力を推進する民間の組織・団体・企業から登用した職員の出戻りにも同様のルールが適用された。そうした機構上の刷新によって、少なくとも表面的な「形式的な分離」を示したわけだ。
とはいえ、昨年9月1日に施行した「原子力規制委員会設置法」で「原子力規制庁の職員の原子力利用推進に係る事務を所掌する行政組織への配置転換を認めない」と“出戻り”を禁じていたにもかかわらず、わずか1カ月後に政府は「原子力の仕事に直接関与する部署以外であれば(出戻りを)認める」と運用ルールの解釈を変更した。設置法は3.11原発事故の教訓を蔑ろにするザル法と化したのである。
ところが、内閣府の外局として設置されたカジノ管理委員会には、最初から職員の異動に関する「形式的な分離規制」さえ設けられていない。
周知のように、IRカジノ法を閣法として起案し、国会で合法化した安倍内閣は、経済再生のための数多ある政策案を打ち捨てて、日本史上初の「外資を含む民間カジノ業者による賭博の合法化」を強行採決した。「カジノが財源を潤す」との名目で法制化されたIRカジノ法は、それを起案した政権による「民間賭博ビジネスの奨励」を命題として抱えている。
外資含みの民間企業によるカジノ賭博の振興で業者に稼がせたカネを期待することが法の目的とされているからには、それを規制・抑圧すれば辻褄が合わなくなる。従って、政府から異動してきて、いずれは政府に戻ったりカジノ関係組織等へと流れていく可能性が大きい職員は当然、将来の異動先で「減点」となるような“厳格規制の実行”には腰が引ける。
つまり、カジノを規制する行政組織が「職員の異動先を無規制」としたことは、規制機関としての致命的欠陥なのである。最初から原子力規制委員会設置法と同じ「ザル法」ということだ。仮に、政権を揺るがすような巨大疑獄が察知されたとしても、組織そのものが人事面で政権に牛耳られた現在のカジノ管理委員会には、はじめから手も足も出ないのである。
その結果、規制対象の背後に潜む巨大な「力」の影が大きければ大きいほど、事犯を一瞥した瞬間に、職員や管理職が目を背けがちになる。逆に、それが“許容範囲”の相手であれば、厳しい規制と処断に躊躇することはない。「規制」と「推進」を分離しなければ、そうした歪な“監視”が必然であることは十分に想定内だったはずである。以下、次稿。
(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)