イギリス公共放送のBBCによる、故ジャニー喜多川氏の性的虐待を取り上げるドキュメンタリー番組を発端として、彼の生前の所業が改めて取り沙汰されることとなった。彼の死亡を受け2019年の『実話BUNKA超タブー』vol.48に掲載された、大手メディアが触れないジャニー氏の過去の黒歴史をまとめた記事を転載する。

 ジャニーズ事務所の創設者にして、稀代のプロデューサーだったジャニー喜多川が死去した。

 すでに解離性脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れ、入院中であることが公表されていたため、各社とも予定稿を用意していたのだろう。訃報を受けたマスコミは、ジャニーズ側から通達された情報解禁リミットの7月9日午後11時30分を境に力の入ったジャニー氏の訃報を伝え、その功績を讃えた。

 ジャニー喜多川が残した功績については多くを語る必要はないだろう。少年アイドルに特化したジャニーズ事務所の歴史は、そのまま日本の男性アイドルの歴史といってもいい。同社のほとんどすべてのアイドルを育て、世に送り出してきたプロデューサーがジャニー喜多川である。

 ジャニーズ事務所はトップだったジャニー喜多川に実姉のメリー喜多川、メリーの実娘・ジュリーを加えた3人によって運営されてきた。現在の同社は年商1000億円を超えるといわれるが、これだけ巨大なビジネスが、ジャニー氏1人のセンスによって生み出されてきたのだ。

 その“異能”についても数々の伝説めいた逸話が語られている。ジャニーズ事務所には日本全国から小学生も含むローティーンの少年たちの履歴書が送られてきたというが、ジャニー氏は膨大な応募者の中から原石を選び出しジュニアとして手元に招集。さらにその中で競い合わせ、可能性を見出した少年を組み合わせてデビューさせてきた。

 ジャニー氏とは40年来の付き合いがあったという作家の小菅宏氏は、その著書で「僕は12、13歳の少年の顔を見れば、彼が40歳になったときの顔まで想像できる」と生前のジャニー氏が語っていたと明かしている。

ジャニー氏の少年に対する審美眼は、誰にも真似することができない唯一無二の才能だったと言えるだろう。

 ジャニー氏自身は表舞台には一切立つことはなく、メディアの取材に答えることも数えるほどしかなった。今回の訃報でメディアが使用したのもギネスブック掲載時に撮影されたという、サングラスにキャップをかぶったショットがほとんど。

 素顔を知る人は限られており、わずかにジャニーズタレントたちが語る幾つかのエピソードで伝え聞く程度だった。こうしたミステリアスさが一種のカリスマ性を生んでいたともいえるだろう。

 もっとも、ジャニー氏にはもうひとつ触れなければならない側面があったはずだ。

そう、ジャニーズ事務所の少年たちに対する性的虐待の疑惑である。

 今回の訃報では、英BBCが「過去、事務所に所属していた少年たちから、性的虐待の告発が繰り返された」と掲載するなどしていたが、日本ではわずかに朝日新聞がこの事実に触れていた程度で他の大手メディアはことごとくスルー。他方、ネットやSNSでは当然のようにこの過去が取りざたされている。

 日本ではこの異常な状況がずっと続いてきたため、この情報は若い世代にとって、もはやマスコミが作り上げた都市伝説のように感じられているのではないだろうか。

 だが、ジャニー氏の少年への性的虐待は、その一部を裁判所が認めている。死去によってその犯罪的行為が黙殺されようとしている今だからこそ、過去に何があったのかを改めて報じておく必要があるだろう。

50年前からくすぶっていた噂

 ジャニー喜多川の美少年に対するセクハラ疑惑が囁かれ始めたのは、1962年頃。実に50年以上も昔のことである。

 ジャニー氏はロサンゼルス生まれ。アメリカ国籍を持ち、朝鮮戦争で従軍した後に日本に戻り、近所の少年たちを集めて野球チームを作る。このチームにいたあおい輝彦をはじめとする4人が、最初のグループ「ジャニーズ」としてデビューすることになる。

 グループ結成前は新芸能学院という小さな芸能事務所に在籍していたが、ジャニーズ結成直後に、当時の芸能界で絶大な権力を握っていた渡辺プロダクションを窓口とする業務提携を実施。

この経緯の中で新芸能学院から金銭トラブルで裁判を起こされるのだが、そこで浮上したのが性的虐待の疑惑だった。

 裁判は金銭トラブルが主題だったため、性的虐待についてはウヤムヤのまま終わっているのだが、これ以降、ジャニー氏には「少年への性虐待」という疑惑が常に付きまとうことになる。

 70年代後半には、手塩にかけてデビューさせた郷ひろみをバーニングに引き抜かれるなど低迷気味の時期もあったが、80年代に入ると「たのきんトリオ」を足掛かりに復活し、次々とスターを生み出していく。

 そんな中、元フォーリーブスの北公次が書いたのがジャニーからの性的虐待疑惑の数々を暴露した『光GENJIへ』という本だった。以降、元ジャニーズタレントによる暴露本が相次いで出版されてゆく。89年には、以前の裁判で性虐待について「覚えていません」と証言したジャニーズの中谷良が、『ジャニーズの逆襲』を出版。

中谷はこの本の中で、法廷での証言は嘘で、本当はジャニー氏から性的暴行を受けていたと暴露している。

 その後も97年に、ジュニアの人気者だった平本淳也が『ジャニーズのすべて 少年愛の館』を、97年にソロデビュー組の豊川誕が『ひとりぼっちの旅立ち』を出版。さらに2005年には元ジュニアの木山将吾が『Smapへ――そして、すべてのジャニーズタレントへ』を出版している。

 また主に雑誌媒体でも同様の告白が誌面を飾ってきたが、なぜか、いずれも大きな問題になることはなかった。

「こうした動きがあるたび、メリーさんが動いていましたからね。マスコミには『事務所をクビになったから恨んでいる』『金に困っている』といった告発者に対するバッシング情報が流れ、いつの間にかうやむやになっていました」(ベテランの週刊誌記者)

裁判で事実認定された少年虐待

 状況が動いたのが1999年10月から始まった『週刊文春』による「芸能界のモンスター追及」キャンペーンだ。事務所のOBや元ジュニアなどに取材した「性的暴行」の証言が掲載されたこれらの記事は、断続的に第14弾まで続けられ、2000年4月には衆議院の「青少年問題に関する特別委員会」で取り上げられるほどの波紋を呼ぶことになる。

 国会で取り上げられたにもかかわらず、この時も大手マスコミは例によってほとんど報じようとはしなかったが、さすがにいつものように黙っているわけにはいかなくなったのだろう。ジャニーズ事務所は珍しく名誉棄損で『週刊文春』を訴えたのだ。

 裁判の争点は、当然ながら「ジャニー氏による少年へのセクハラ行為」の有無。文春は12人の少年に取材しており、うち2人が01年7月の裁判で証言台に立っている。プライバシーを守るため証言は完全非公開でわざわざ地方で行われたのである。法廷ではジャニー氏のプレッシャーがかからないよう、証言した少年の前にはついたてが立てられた。

 02年の一審判決では「セクハラ行為」に関する記述の妥当性は認められず8‌80万円の賠償命令となったが、文春が控訴した東京高裁の判決では一転、「その重要な部分について真実であることの証明があった」として、一審判決の賠償額を大幅に減額(120万円)している。

 ジャニーズ側は最高裁まで争ったものの、05年に判決はこのまま確定している。つまり、ジャニー氏の少年に対する性虐待行為は、裁判で認定されたのである。

 少々グロテスクだが、この裁判で真実と認められた、性虐待に関する文春の記事を一部抜粋しておこう。

《(前略)まずは、一つの証言を取り上げたい。証言してくれたのは、現在は、高校に通う元ジュニアで、数回にわたり、ジャニー喜多川のセクハラ行為を受けたという。

「ジャニーさんは、腹から声を出す感じで、ユーって呼びかけてくるんだけど、『ユー、来なよ』と、合宿所に誘われて食事をとると、今度は、『ユー、寝ちゃいなよ』。この一言が恐ろしかった。

 寝たら寝たで、部屋にいきなり入ってきて、俺が一人で寝ているとその横に入り込んでくるんですよ。どこかにいって変なものを持ってきたなあ、と思ったら、ヌルヌルしたものを●に塗られて、そこに最初は指を、それから●●を入れてきましたからね。いや、怖くて後ろは見られませんでしたけど。痛い、痛い、ものすごく痛いですよ。

 終わって『何が欲しい?』と聞かれたので、『何もいらない』と答えました。そうしたら、『何かあるでしょ』って。で、朝、起きたら五万円が置いてあったんです。他のジュニアがいた場所でも、同様の行為を受けていますし、その場にいたジュニアの名前も挙げられますよ……」》(※伏せ字は弊社編集部によるものです)

 これは証言のほんの一部に過ぎない。

帝国の成長は性癖があってこそ

 だが、それでも、ジャニー氏の行為が社会的に非難されることはなかった。ジャニー氏はその罪を問われることもなく、この判決後も日本中から集めた少年たちに囲まれて過ごし、その一生を終えている。

「大金持ちなのに派手なことを好まなかったジャニーさんにとっての最優先事項は、少年たちに囲まれ、彼らを育てていくという日常でした。ジャニー氏と生前に交流があったというマイケル・ジャクソンにもネバーランドでの性虐待疑惑がありましたが、ジャニーさんにとってのネバーランドが『ジュニア』という聖域だったんでしょうね。そして、その聖域を守ってくれる唯一の味方が姉のメリー氏だった」(芸能ジャーナリスト)

 ジャニー氏の才能は、その“性癖”と無関係ではないだろう。だからこそメリー氏は、弟を守り続けたのだ。

 ジャニー氏による少年への性的虐待がいつ頃まで行われていたのか、また誰に対して行われたのかも今となっては定かではない。裁判で認定された事例以外は、すべて“疑惑”でしかないのだ。だが、この先、ジャニーズがどのような事務所になっていくにせよ、ジャニー喜多川の呪いは永遠に消えることはないだろう。

「キーマンを失ったジャニーズ事務所は、この先、普通の事務所になるのかもしれません。後を託された滝沢秀明はジャニーさんの薫陶を受けた“スペオキ”(「スペシャルお気に入り」の略)でしたが、だからといって同じようにできる保証はどこにもない」(前出・芸能ジャーナリスト)

 最後に前出の元ジュニア・木山将吾が著書に書いた一文を引用しておこう。

「決して名誉を抱えたままでは死なせない。あなたに2年間、おもちゃにされた人間だからこそ、今、僕が真実を語る」

初出/実話BUNKA超タブーvol48