初ダウン直後、カウントが進む中でも井上は、冷静に己と向き合っていた。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext

 キャンバスで繰り広げられた信じがたい光景に、4万3000人で埋まった東京ドームも瞬間的に静寂が包み込んだ。

井上尚弥(大橋)がダウンする――。その予期せぬサプライズにスタンドからは「うわ。マジか」という声も聞こえた。大観衆もその現実を受け止め切れない様子だった。

【動画】東京ドームを騒然とさせた初ダウン…井上尚弥の8秒をチェック

 5月6日、東京ドームで日本が世界に誇るスーパーバンタム級4団体統一王者は、自身2年ぶりとなる防衛戦を実施。元世界2階級制覇王者の挑戦者、ルイス・ネリ(メキシコ)に6回1分22秒TKO勝ちを収めた。

 結果的には3度のダウンを奪い、豪快にネリを沈めるという幕切れで、夢舞台の決戦を制した井上。だが、パンテーラ(スペイン語でヒョウの意)の異名を持つメキシカンの強打が、東京ドームを、列島を、いや世界を騒然とさせたのは間違いない。

 互いに相手の出鼻をくじかんと積極果敢に打ち出した初回だった。井上が左アッパーを突き上げ、右からの一撃を見舞おうとした刹那、わずかに空いた隙からネリの左フックが炸裂。顎を捉えられた王者は、吹き飛ばされるようにキャンバスに落ちた。

 パンチの打ち終わりに死角から飛んできた一打に「軌道が読めなかった」。

それでも「ダメージはさほどなかった」という井上は、周囲が異様なムードとなる中で、一人冷静さを取り戻していた。

 この時、「ダウンはしたけど、引きずることはなかった」という王者のクレバーさは、直後の動作に現れた。片膝をキャンバスについた井上は、すぐには立ち上がらない。そして、陣営にアイコンタクトし、カウント8まで聞いてからゆっくり立ち上がった。

 人生初のダウンという緊急事態にも動じず、しっかりとダメージを回復させ、意識をハッキリとさせてから再開に臨んだ。本人が「瞬間に落ち着いて対処することができたので、普段のイメトレが、こうして出たと思います」と振り返った咄嗟の判断は、百戦錬磨のチャンピオンをも唸らせた。

 独占生配信された『Amazon プライム・ビデオ』で解説を務めた元世界3階級制覇王者・長谷川穂積氏は、「たぶん、人生初ダウンだと思うんですよ。初ダウンなのに8カウントまで片膝ついて座っていた。イメージトレーニングしてるんですよ。普通はすぐ立ち上がるんです」と指摘。「初ダウンであれができるというのは、彼はこういうピンチも来るかもしれないと思っていたということ。僕らが想像しているだけで、彼は彼なりにいろんなものと戦っているんだと思います」と絶賛した。

 再開後も攻勢を強めるネリの猛攻をクリンチやバックステップ、ダッキング、ブロッキングと磨き抜いた基礎技術でかわし切った危機管理能力はお見事。しかしながら、井上の怪物たる所以が垣間見える8秒間だった。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]