夏が来れば思い出す…背筋も凍る、あの頃の怖い話を。昭和が去って既に34年。

誰もがスマホやネットで気軽に発信できるようなったおかげで、怪談は多彩に、膨大に増殖したものの、昭和の怖い話はやっぱり別格。いつまでも忘れ難い。

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■私にも聞かせて…お小遣いで買えた呪物と、伝説のかぐや姫コンサート

 人気歌手のレコード盤に録音された謎の声は、昭和を代表する怖い話のひとつ。今や心霊動画で幽霊の声など聞き放題だが、かつてはお小遣いで入手でき、不気味な声を何度も再生・検証できるレコード盤は貴重だった。岩崎宏美の「万華鏡」、レベッカの「MOON」、オフコースの「YES‐YES‐YES」。幽霊の声が入っていると騒がれたヒット曲は数多く、それが人為的なミスや演出効果だったと後に明かされた事例も多い。


 ただ、かぐや姫の解散コンサートに刻み込まれた伝説の「声」は例外だ。まず、音源がラジオで放送された「非売品」であり、製作過程で生じたノイズではなく、一発録りのライブ現場に確実に存在した「声」であることが特筆される。

 1975年4月12日、神田共立講堂で行われた解散ツアーの最終日。その「声」は冒頭のメンバーの挨拶部分に紛れ込む。満場の観衆を前にギターの伊勢正三が「最高に幸せです……今日は盛り上げていきましょう」と語りかけた直後、割れんばかりの拍手のなかに絞り出すような若い女の呟きが混じる。「私にも聞かせて」と。


 この音源は同年6月5日深夜、『南こうせつのオールナイトニッポン』で放送され、驚いたリスナーから問い合わせが殺到。会場に行けずに亡くなった女性ファンの無念の囁きではないかと噂が流れた。

 筆者は小学生の頃、母の実家に泊まりに行った夏休み、年上の従兄弟たちの怪談トークで初めてこの話を耳にした。南こうせつのファンだったお姉ちゃんを囲み、皆が口をそろえて「あれは恐かった」と騒ぐので、「僕にも聞かせて」と頼んだが、録音はないとあっさり断られた。

 その悔しさも忘れかけた1991年、テレビ朝日の深夜番組『こだわりTV PRE★STAGE』の心霊特集でその「声」が流れた。出演者の誰もが完全に絶句。
しかも同じ声を逆再生すると「私もそこに行きたかった」と聞こえることも実証された。すると、ゲストの池田貴族が「絶対、吊り上げマイク1本だから。これ」と録音環境を指摘。コンサート会場の天井にある集音マイクに、至近距離から呟き声が収録されたと不条理な尾ひれがついた。

 かぐや姫サイドの見解により、実際には観客の反応を拾うマイクが複数、会場に設置されていたと判明したものの、「謎の声」は不自然にマイクに近く、トーンも異質であり、更には逆回転してなぜ別の言葉になるのか、理由は謎のままだ。その異様さはJホラーの達人、清水崇監督の心を射抜き、新作『ミンナのウタ』の着想源となって、劇中でもその逸話が語られている。


 もちろん、このコンサート自体はとても素晴らしい。ナイーブな若者に寄り添って絶大な支持を集めたかぐや姫と、その新しい旅立ちに心から声援を送るファンの熱い連帯が随所にほとばしる。姿なき悲しい存在が、どこからか「私にも聞かせて」と哀願するほどに。

■巧みな筆遣いに神秘が宿る? 曰くつきの生首の絵

 昭和の夏の風物詩といえば、お盆のテレビ怪奇特集。1973年7月末から8月にかけて、日本テレビ系列『お昼のワイドショー』で納涼企画「あなたの知らない世界」がスタート。初年度は「だれでも超能力者になれる」「幽霊は本当にいるのか」「日本のミステリーゾーン」と3つのトピックを各2週ずつ放送。
大きな反響を集めて名物コーナーとなった。

 テレビ生放送中に起きた怪現象として語り草になっているのが「開眼した生首の掛け軸」だ。1976年8月20日、日テレ系列の『あなたのワイドショー』内で、青森県弘前市にある正伝寺所蔵の掛け軸にまつわる怪談を紹介。元々はNHK「みんなのうた」で知られる童謡「雪の音」を作詞した地元の詩人、蘭繁之が京都の古書店で入手したもので、保管した箪笥の中から唸り声がすると気味悪がって寄贈した品だという。

 本番中のスタジオでレポーターを務める落語家の三笑亭夢八(初代・三笑亭夢丸)が不気味な由来を熱弁するなか、背後に写し出された掛け軸2本のうち、幕末に暗殺された侍の渡邊金三郎の断首図に異変が起きた。細密な筆遣いで描かれた死に顔、その閉じられていた瞼が開き、右側の黒目がカメラを睨むように動いたのだ。


 この怪事に視聴者は大騒ぎ。同番組内で映像を再放送して検証が行われ、広く知られるようになった。結果として「掛け軸に大きな蠅がとまった」説で一件落着したが、怨霊が虫を操り、何らかのメッセージを送ったと考えることもできる…かも。

■「わたし、きれい?」昭和を駆け抜けた怪人の思い出

 百鬼夜行の昭和を駆け抜けた怪人として、口裂け女はあまりにも有名だ。日本を席巻した噂の発生源を辿り、そのルーツを探る興味深い研究も進んでいるが、全盛期はその素性など知る由もない。学校帰りの夕刻に「わたし、きれい?」と問う通り魔が現れぬことをひたすら祈るばかりだった。

 正体不明の口裂け女は映画界も席巻。1979年8月公開のジョン・カーペンター監督の出世作『ハロウィン』は新聞広告に「この恐怖だけは口が裂けても話してはいけない!」と銘打ち、7月公開のイタリアンホラー『ザ・ショック』は割引券の裏面に、口裂け女のイラストを用いた保冷まくらの広告を掲載。夏休み興行の行方を話題の怪人の神通力に託した。

 そもそも1979年は映画館に謎の怪人・怪物が跋扈した年。3月に封切られた『ゾンビ』は惑星爆発の怪電波を受けて人食い死人が甦り、11月公開の『ファンタズム』では異次元から死神が出現。同年最大の話題作『エイリアン』と『スーパーマン』は共に人知を超えた異星人との遭遇譚で、その極めつけが目から殺人光線を放つ宇宙人が出現する怪作『ザ・ダーク』だった。年末には宇宙の異変が地球滅亡を告げる『ノストラダムスの大予言2』が出版され、世界を支配するミステリアスな存在のパワーは絶対的となった。デタラメの極みだが、ロマンがあったなぁ。

■「もう死なないで」ご当地怪奇スポットと恐怖の心霊写真

 今は日本全国、津々浦々の心霊スポットを検索一発でチェック可能だが、昭和の時代は各地にマイナーな穴場が数多く存在。筆者の地元では国道246号線の伊勢原市と秦野市を結ぶ善波峠にある奇妙な看板が有名だった。

 小さな看板に並ぶ文字は「もう死なないで、準一」。夜になるとぼんやり白く明かりが灯り、寂しい峠道の暗がりにポツンと看板が浮かび上がるのが何とも恐ろしかった。かつて、付近の山道で17歳の少年がバイクで事故死。その幽霊が走行中の車の前に現れるので、何度も死なないで欲しいと願いを込めて両親が設置したという。あるいは、この場所で事故が相次ぎ、亡くなった人はそろって「準一」という名前だったとも聞いた。

 実際には、無事故の祈りを被害者の名で掲げた文面が誤解を生んだわけだが、この準一くんが自分の親と親しかったと知ったのは最近のこと。母親が「準ちゃん」と呼んで話すので、怪異の詳細を聞こうとしたら口をつぐんでしまった。彼らにとって準ちゃんは怖ろしい幽霊ではなく、今も記憶のなかで生き続ける青年なのだ。

 この一件でふと、蘇った記憶がある。小学校の修学旅行で訪れた日光の華厳の滝で、心霊写真を撮った友達のことだ。オカルトっ子のバイブル、中岡俊哉著の『恐怖の心霊写真集』を愛読していた筆者は、その友達が宝くじを引き当てたように思えて悔しかった。

 しかし、暫くして彼は写真を封印した。親しい間柄だったので、見せてくれと頼んだら渋い顔をされた。どうにか口説き落として写真を手にすると、滝の風景に大きく女性の顔が浮かんでいる。ヤラセや錯覚の余地などない「本物」だった。言葉をなくしていると、彼は苦々しく「これは処分する」と写真を持ち去った。本当に不気味なものは世の中には出回らず、ひっそりと個人の胸に葬られている。そう実感した出来事だった。

 思い返せば、昭和の怪談は最新鋭の機器や最先端の場所で、常識では考えられない怪異が起こる話が多かった。一方、平成以降の怪談、例えば「杉沢村」は村民皆殺しで消滅した異界村の話だが、場所は特定できず、検証の術もない。その肝は封印された遠い過去にあり、昭和とそれ以降の時代の間には大きく深い溝を感じる。

 また、昭和の怪談は家族や知人、タレントや有名人ら、顔の分かる相手が発信源だった。対して、ネットの怪談は「恐さ」こそ共有できるが、相手の顔は見えない。ただ、住環境や生活習慣が大きく変化しても、怪談は思い込みや勘違いと背中合わせに存在する。不穏な光景を前に、怪しい物語を連想する想像力がある以上、恐怖の扉は常に開かれる時を待っているのだ。

(文:山崎圭司)