どんなにヒットし、どんなに長く続いたシリーズにも必ず「第1回」が存在する。長く続いたシリーズであればあるほど、紆余曲折を経て今の姿があるはず。

長い歴史をまだ知らない第1回は、いったいどんな形でスタートを切ったのか? 知られざる第1回を振り返る「第1回はこうだった」。今回は2008年に開催されたコント日本一を決める『キングオブコント』(TBS系、以下『KOC』)第1回大会をプレイバック!

【写真】今夜16代王者が決定『キングオブコント2023』決勝進出の10組

 今年の開催で16回目を迎える『キングオブコント』は、漫才の頂点を決める『M‐1グランプリ』(テレビ朝日・ABCテレビ系、以下『M‐1』)スタートから7年後に始まった。優勝者には賞金1000万円が授与され、その日を境に文字通り芸人人生が変わる。毎年秋にTBSが生放送し、第13回(2020年)以降は、長時間特番『お笑いの日』のクライマックスを飾っている。今年は史上最多の3036組がエントリー。そんな『KOC』の第1回大会はどうだったのか?

■ ベテランから結成わずか半年の若手まで 出場者がバラエティ豊か!

 2146組がエントリーし、8組が決勝に勝ち進んだ第1回。
現在は司会をダウンタウン浜田雅功が務め、審査員の1人として相方の松本人志が名を連ねれているが、当時は司会を2人が担当し、進行は当時TBSアナウンサー小林麻耶が務めた。

 “漫才コンビ”として認知されるダウンタウンだが、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)などコント番組でも十分な実績を持つ。大物コンビをキャスティングしたことに『M‐1』と双璧を成す大会にする、というTBSの強い思いが感じられる。以後、役割は変わりながらも2人は全大会に出演し、これまで15組全王者の誕生を見届けている。

 さて、現在も「結成年」を問わない『KOC』だが、第1回の決勝進出者には実にバラエティー豊かな面々が集まった。1989年結成のバッファロー吾郎や、1991年結成のTKO、1993年結成のバナナマンと、西と東のベテラン・中堅勢がいれば、結成わずか5年の天竺鼠、3年のチョコレートプラネット、さらに結成してたった半年の2700も。
当時ほぼ無名だった2700は『M‐1』でいうところの「麒麟枠」、「KOCに見出されたコンビ」と言えるかもしれない。

 当時の『M‐1』はまだ結成10年以内(現在は15年)でしか出られない大会で、毎年ギラギラした若手漫才師たちが顔をそろえていた。そういう意味で、『KOC』は出場者に多様性があり、ネタもバラエティに富んでいた。バッファロー吾郎が少年誌のギャグ漫画のような持ち前のバカバカしいネタを繰り出せば、バナナマンはあの名作「朝礼」を披露。一方、若手出場者らはそれぞれ斬新な発想のネタでそれに対抗していった。

第1回でしか採用されなかった幻の“優勝者決定方法”とは

■ 審査員は“準決勝敗退者”!

 さまざまなお笑いの賞レースが今も試行錯誤し、ブラッシュアップし続けているのが審査方法だが、初期の『KOC』は特に斬新。
準決勝で敗退した出場者らが客席に陣取り、審査する仕組みだった。第1回は100人が1人5点を持ち、合計500満点で採点していた。ただでさえネタを審査されるという緊迫した状況、さらに審査するのは自分たちの勝ち上がりを見届けた同業の敗退者たち…。決勝進出者にとって、これ以上にやりにくい状況も中々ないだろう。

 そうした側面がある一方、この方法には多くのプロのコント師らのシビアな評価が受け取れる、というメリットがあると言えるかもしれない。

 第1回は出場8組をAリーグとBリーグに分け、各リーグから最高点の1組が最終決戦に勝ち上がる仕組みで、敗退が決まると敗退者はコメントも一言二言で驚くほどあっさりと退場していく。
『M‐1』第1回を見直したときにも感じたことだが、回を重ねて大会がスケールアップしていくうちに、「敗退が決まった者」に対して設けられる時間の尺が長くなっている印象がある。

■ 最も斬新だった最終決戦の“口頭発表”

 最終決戦はAリーグをバッファロー吾郎、Bリーグをバナナマンが勝ち上がり、まさに西と東のコントの雄が激突した。決戦前、緊張を口にする2組だが、相まみえると早速ヤンキーのようにメンチを切り合う即興コントをしてみせ、ダウンタウンに「からみがベテランやねん」「フレッシュじゃない」とツッコまれるなど、緊張感の中にもやはりベテランの余裕が感じられた。

 前述したように、予選は準決勝敗退者らが審査員だったが、第6回まで続いたため覚えている視聴者も少なくないだろう。長い『KOC』の歴史の中でも第1回しか採用されていない、もはや“幻”といえる審査方法が、実は最終決戦で行われた。2組がそれぞれ自分たちで審査し、「勝ったと思う方を口頭発表する」という審査方法だったのだ。
この“審査方法”が発表されると、スタジオでもどよめきが起こっていた。

 この方法では、当然どちらも優勝したいがために自分たちの名前をあげる可能性が高く、現にバッファロー吾郎が「バッファロー吾郎」、バナナマンが「バナナマン」をあげて引き分け。続く敗退したファイナリスト6組による投票の結果、バッファロー吾郎が初代王者に輝いた。

 かつて松本は自身のラジオ番組で好きな格闘技を話題をした際、試合が判定にもつれ込んだ場合は自分たちでどちらが勝ったかを決めればいい、手を合わせた者同士、内心ではどちらが強いか分かっているはずで、それが潔いのではないか、という旨の発言をしていた。「ファイナリストによる口頭発表」は第2回以降、採用されていない。しかし、「日本一のコント師を決める大会」の最終決戦という舞台で、「自分たちが負けた」と感じた場合に正直に負けを認めることができるコント師の潔さに賭けたこの決定方法は、あまりに斬新だったが、今でも評価できるかもしれない。
(文・前田祐介)