俳優生活40年。役柄を問わず物語を彩り、バイプレーヤーとして確かな立ち位置を築いた光石研が、木ドラ25『デザイナー 渋井直人の休日』(テレビ東京/毎週木曜25時)で連ドラ単独初主演を務める。
「30代の真ん中くらいまでは、全然食えなくて」と明かす光石に、青年時代のエピソードや逆境に直面した30代、60代に向けての役者観などについて話を聞いた。

【写真】『デザイナー 渋井直人の休日』光石研インタビューフォト

 デザイナーの渋井直人(光石)が、仕事や恋に右往左往する姿を愉快に描く本作。渋井との共通点を「右往左往もするし、優柔不断(笑)」と明かす光石は「スタッフにすごい人たちがそろった」という本作に、多少のプレッシャーを感じているとのこと。「『俺たち、これだけ用意したぞ。さぁ光石、渋井を見せてくれよ』ということですから。気合を入れてやらないといけないです。でも、とにかく皆と楽しんでできれば一番だと思うんですけどね」。

 高校在学中の16歳のとき、映画『博多っ子純情』で初芝居にして初主演を務めた。福岡で生まれ育った青年は、大学進学に伴い18歳で上京。光石は当時を「都会に出てきたというのと、実家を出られること、親元を離れたのもうれしかったし、一人暮らしも、時間が自由に使えるのもうれしかった。もちろん大きく言えば、役者という夢がありましたからね」と振り返る。大学に行くよりも、役者業のことを考えてばかりいたという彼は、その頃に現在の事務所に入ったことに触れ「(将来が)本当に楽しみでしょうがなかったんです」と頬を緩める。


 ただ、その後の役者人生は順風満帆ではなかった。「30代の真ん中くらいまでは、全然食えなくて」と言い「2時間ドラマとか、いっぱいあったから、それで食ったり。あとは事務所に借金したり。そんなことで食いつないでいましたね」と回想。そんな中、光石は30歳頃に結婚する。将来が見えない。そんな思いも去来した。「結婚したのがね、やっぱり責任があるじゃないですか。俺はどうでもいいけど、妻を食べさせないとっていうので。30代に入ってからですかね…大変だったのは。役者は皆、そんな道をたどるんだと思うんですけど」。 役者以外の経験がなかったため、他の仕事は考えなかったという。
「大丈夫なのかなって。ものすごく不安でしたね。あの時は」と襟元を開く光石の転機となったのは、30代半ば頃の、青山真治や岩井俊二といった新世代の監督たちとの出会いだった。「若い監督が撮り始めた時期があるんですよ。そこの時期にちょうど僕も。『はまった』と言うとあれですけど…。たまたま、その界隈に居させていただいた。運が良かったんです」。

 その後、数々の作品に出演した光石は、今ではバイプレーヤーとして引っ張りだこ。多忙故に、音楽などの趣味には「本当に時間が取れない」と嘆くが、その多忙さを手放す気はない。「仕事・仕事って、どんどん事務所に入れていただいているのは、その時の思いがあるから。『あの思いを絶対したくない』っていうのがあるから『埋めてくれ、埋めてくれ』って。
まだまだ、貧乏性が抜けないんですかね(笑)」。

 現在は57歳。60代に向けての思いを聞くと「一つ一つ真面目にやっていけば、また次も来る」とのこと。そして、最近になって始めたインスタグラムを例に挙げながら「いろいろな、嘘か真か分からないようなことをこっちが提示していく」ことによって「いろいろな仕事の幅が出たら面白いかなと思っています」と考えを示す。

 逆境に直面しながらも、夢を諦めずに、芝居の世界に生き続けてきた光石。そのひたむきな姿勢があるからこそ、彼は40年という類稀なキャリアを積み上げることができたのだろう。(取材・文・写真:岸豊)

 木ドラ25『デザイナー 渋井直人の休日』は、テレビ東京にて1月17日より毎週木曜25時放送。
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