「乃木坂46 11th YEAR BIRTHDAY LIVE」Day1
グループ全体での直近のライブとなると昨年の「乃木坂46 真夏の全国ツアー2022」ファイナルとなる8月31日明治神宮野球場公演でありそこは8月29,30,31という3デイズの公演であり、おっさんは3デイズ全部観ていてそしてそれを全部記事にしてその内容を読み返してみるにやはり、一言一句嘘も誇張もなく何なら職業ライターとしての体裁を整える事すらもしていない、とてもとても素直で興奮していて支離滅裂でジュディオングの魅せられてな内容であった事はマジでどうでもいい訳ではないがやっぱりどうでもいい訳でもないがやっぱりど(無限ループ)
ぐれえの初日だったんだよ。昨日は。
山下美月が影ナレで奇跡を起こした乃木坂46『真夏の全国ツアー2022』初日※本記事には、ライブ内容への言及があります。 DAY1 乃木坂46、神宮へ帰還。 約3年ぶりの"聖地"への帰還との事で、これ思えばその3年前のライブにたまたま...
おっさんは泣きそうだった。
1曲目に「乃木坂の詩」は(いつもは決まってオーラス)アカンて。
おっさんは泣きそうだった。
1~5期生が揃い踏む最後のライブ(バスラ最終日の26日は乃木坂46のライブではなく、秋元真夏の卒業公演と言う名目)がファン投票TOP20の楽曲を20位から披露するという粋の過ぎた演目である事をここで言うのはアカンて。
おっさんは泣きそうだった。
からのOVERTUREの歓声、いや、怒号はアカンて(本公演より約3年振りの声出し解禁)。
おっさんは泣いた。
山下美月センターの「Sing Out!」はアカン(齋藤飛鳥のセンターを継承)て。
おっさんは泣きそうだった。
遠藤さくらセンターの「ここにはないもの」はアカン(齋藤飛鳥の卒業シングル表題曲の継承)て。
おっさんは泣きそうだった。
梅澤美波グループ3代目キャプテン就任はアカン(桜井玲香、秋元真夏からの継承)て。
何つうかおっさんはこの一連の流れ、そして随所にメンバーの口より出て来る1期2期生即ち諸先輩方への感謝と畏怖と、そして継承された「バトン」に対する重圧と責任を当事者では勿論ないながらナイアガラ(どうでもいい文章)目の当たりにすると、これ前から思ってたんだけど、
先輩→先代
バトン→盃(さかずき)
と脳内変換されてしまい、壮大なマフィア映画、ヤクザ映画を観ている気分になってしまうのだ。
冒頭に戻ると昨年の全ツファイナルからもそらまあ大きな大きな事態が立て続けにグループに起こった。皆まで言うななお話ではあるが昨年末の齋藤飛鳥卒業により1期生も秋元真夏1人になり、そんな秋元真夏も今バスラ最終日で卒業、続けて先日発表があった通り最後の2期生鈴木絢音も3月28日のセレモニーをもってグループを卒業、今後は3期、4期、5期のみのメンバー構成でもってグループの活動が存続されていく訳であるのだが、知れば知るほど推せば推すほど最早そこに至る1幕1幕のドラマ性が高すぎて、眼前で繰り広げられる上記先輩からのバトンの継承が勝手に重厚で壮大なマフィア、ヤクザ映画の先代と盃を酌み交わす画に脳内変換され、それは言わば民族その他の社会集団(乃木坂46)の歴史的事件(世界エンタメ史で他に類を見ない”アイドル・乃木坂46″という文化史的事件)、ことに英雄(メンバー)の事跡を客観的に述べた韻文の作品(コトバンクからの引用で括弧の中身はおっさんのこじつけです)。
即ち叙事詩が眼前で現実に繰り広げられているかの様な心持ちになるからおっさんは推すし泣くのだよ。
もう一度言う。
“叙事詩”が”眼前”で”現実”に繰り広げられるもんだからおっさんは(ry
この言葉を用いるのは些か定石がすぎるきらいはあるもののネット社会やコロナ禍を経て偶然か必然かより凄みを増してしまった「Sing Out!」のセンターを務めるメンバーはその歌詞の象徴として、更に中間部では観客の視線を一手に引き受けなければならないソロダンスが存在するというグループ屈指の難曲であると考えるのだが、そのかつてのセンターである齋藤飛鳥の後任が本人をして「乃木坂丸の船長となって舵を切って欲しい」と言わしめた山下美月であった事。
その楽曲は当該記事にて言及した通りおっさんにとっては泥臭く、そして血生臭くすらあった齋藤飛鳥卒業シングル「ここにはないもの」をグループ加入初期より我が子の様に面倒を見ていた末に「あすかの子」とラベリングされた遠藤さくらが新たなセンターを引き継ぎ、受け継いだと言う事。
2代目キャプテンとしてグループ激動期(無論初代キャプテン桜井玲香の時期が激動でなかった訳では決してないのだが)の旗手を務め、その任を遂に解かれようとしている秋元真夏が副キャプテン梅澤美波に3代目キャプテン、それは単なる3代目ではない、言わば3期生が最古参になると言う新生乃木坂46のキャプテンを冠した事。
その他北野日奈子の代名詞であったとも言える「日常」を同じ2期生である鈴木絢音が受け継いで、去り行く自身の演者としての生き様を刻みつけんとするかの様な気迫(最早それは気迫ではなく鬼迫であった)の1幕や、1期生メンバーのみのユニット楽曲であった「やさしさとは」を5期生が受け継ぐ形でパフォーマンスされた1幕など、もうこの日はとにかく先輩後輩が盃を交わす場面の連々続々。
先輩である先代、後輩である当代と、交わされた中身の味と盃の重みをずしりと感じつつ様々な思いをそれぞれの背負い方や向き合い方でもって時に涙しながらそれでも力強くパフォーマンスするその姿に、おっさんはマジ卍でマジ叙事詩だと思って打ち震えたり泣いたりしていたのであった。
盃交わしまくりの仁義切りまくりでもう何か聞こえてきたもんね。「姉さん、アンタの生き様、アタシが継がせて頂きやんす」というメンバーそれぞれの心の声が(行き過ぎた妄想)。
何が言いたいかっていうと、とすればこと乃木坂46に於いて続く言葉は「僕が手を叩く方へ」の歌詞にある”君は一人じゃない 頑張れ”になるのだがこれはおっさんの戯言であるので続く言葉はこれではない。
何が言いたいかっていうと、
初日からこれはアカンて。
※乃木坂46 “11th YEAR BIRTHDAY LIVEレビューはこちら
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