個性の強い映画監督たちの中でも、より際立った異能ぶりで知られているのが井口昇監督だ。
昭和特撮ドラマの世界をリブートした『電人ザボーガー』(11)や中川翔子主演のSFアクション映画『ヌイグルマーZ』(14)も、井口昇監督ならではの作品だった。身体や心の一部を欠損した主人公たちが現実社会に懸命に向き合おうとする姿が、井口作品では繰り返し描かれてきた。
押見修造原作の同名コミックを実写映画化した『惡の華』(19)も充分にマニアックな作品だったが、井口監督自身によるオリジナル脚本の新作『異端の純愛』はいつも以上に振り切った内容となっている。井口監督がプロデューサーも兼任し、自主規制することなく、自身のフェティッシュな指向性を赤裸々に映し出した3話構成のオムニバスものだ。
制作費・宣伝費ともにクラウドファンディングで募った『異端の純愛』は、これまでの井口昇作品を彩ってきたヒロインたちが集結している。
小さな職場で起きるパワハラを題材にした第1話「うずく影」は、『ライヴ』(14)や『キネマ純情』(16)に出演した山本愛莉。片腕の女性に高校生が想いを寄せる第2話「片腕の花」は、『片腕マシンガール』の八代みなせ。共に幼少期のトラウマに悩む恋人たちの行く末を描く第3話「バタイユの食卓」は、『楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女』(05)と『ゾンビアス』(12)に主演した中村有沙。
他にも『スレイブメン』(17)で正義のヒーローを演じたイケメン俳優・中村優一が意外な役で出演するなど、井口監督とゆかりのあるキャストが顔をそろえた。井口監督の想いにキャストやスタッフが賛同した、井口昇ワールドの集大成的作品だと言えるだろう。
「多様化」からもはみ出した愛の形を真摯に描く
近年は若手人気キャストを配した『マジで航海してます。』や『覚悟はいいかそこの女子。』(ともに毎日放送)などの青春ドラマのチーフ監督を務めるなど、作風を広げつつ順調なキャリアを歩んでいた井口昇監督が、なぜこのタイミングで自主映画スタイルでの創作に挑むことにしたのだろうか。井口監督が2時間にわたり、『異端の純愛』に込めた想いを語ってくれた。
井口「映画監督として、自分は恵まれてきたと思っています。でも、コロナ禍になった頃から、『自分を丸裸にして晒すような作品をまだ撮ってないんじゃないか』と考えるようになったんです。監督は撮影する度に『カット。
それにコロナや戦争などで僕が死んでしまったら、僕の想いは何も残らなくなってしまうと思う気持ちが強くなってきたのもありました。
今回、井口監督が商業映画とは異なる形での制作を決断したのには、もうひとつ大きな理由があった。3つのエピソードは井口監督の実体験をベースに、本人が抱えているフェティシズムの世界が描かれている。どれもナイーブかつマニアックな題材であり、また世間的なモラルからは逸脱したものばかりだ。井口監督はプロデューサーを兼任することで、一種のカミングアウトを行なっている。
井口「最近はLGBT、性の多様化への理解が広まりつつありますが、そこにも入らない性的嗜好、フェチズム(フェティシズム)もあるわけです。
僕はアダルトビデオの監督をしていた頃にスカトロビデオを撮ってた時期もあったのですが、『井口さんはウンコを食べるのが好きなんですよね?』とよく誤解されました。僕が関心あるのは、排泄を我慢している人のリアクションやフォルム、恥じらっている心理状態なんです。
それゆえに今回の作品は『フェティシズムに惹かれてしまう人々』を外野の人からの見世物的な視点で描くのではなく、『どうして惹かれるようになったのか』という生い立ちと心理を主観的に描くことにこだわりました。僕の幼少期や思春期を正直に物語に取り込んでいるので、他人に見せることには勇気もいりました」
妥協することなく、自身が抱えるフェティッシュな世界観を映画として描きたい。そう思い立った井口昇監督に手を差し伸べたのは、今まで現場を共にしてきた女優たちだった。脚本を準備した井口監督が最初に相談したのは、第3話「バタイユの食卓」のヒロイン・珠子を演じることになる中村有沙だった。
井口「中村有沙さんが『まだらの少女』に出演したのは、12歳のときでした。当時から賢く、品があって、プロ意識の強い女優でした。その後も自分から名乗り出て『ゾンビアス』に主演してくれたんです。今回、多くの女優さんが怖れをなして逃げ出すような難しい役柄でしたが、中村さんならしっかり演じていただける気がして相談したところ、『バタイユって、ジョルジュ・バタイユ(フランスの作家・哲学者)のことですよね?』と答えて快諾してくれました。作品の世界観をしっかり理解した上で演じてくれたんです。中村さんと、僕のワークショップに参加してくれた九羽紅緒さんのお陰で、文学的な香りのするエピソードになりました」
第2話「片腕の恋」に主演したのは、『片腕マシンガール』で颯爽としたアクションを披露した八代みなせ。『片腕マシンガール』の主人公・日向アミを演じてから15年。すっかり大人の女性となって、井口昇ワールドへの帰還を果たした。
井口「八代さんとは、2021年に『片腕マシンガール』のHDリマスター版DVDのリリースの際に再会し、『またご一緒できればいいですね』と八代さんに言っていただいたので、いいタイミングだなと思って声を掛けさせてもらいました。再び片腕のヒロインを演じていただいてますが、あの作品の後日談とも、新たな謎めいた美女とも解釈できる、深みのある演技を八代さんは披露してくれています。
ほとんどの人は『片腕マシンガール』はアクション娯楽作と思っているでしょうが、僕としては体の一部と家族を失ったことで過去には戻ることができなくなった少女の青春映画という意識がありました。だから今回はアクション抜きで“片腕についての思春期物語”を改めて作りたかったのです。自主映画を撮っていた若い頃、先輩監督たちから『人を傷つける気持ちよさを知ったほうがいい』と言われたことがありました。毒のあるその言葉が正しいかどうかは別にして、若い頃にどんな人と出会うかによって、その人の人生は大きく変わることになります。年上の女性に憧れる高校生を軸にして、そうした体験を映像化しています」
妄想と現実が入り混じった実体験
第1話「うずく影」は15分ほどのショートムービーで、倒錯的な井口昇ワールドへの序章的な役割を果たしている。ヒロインの由美(山本愛莉)は、同僚の哲也(大野大輔)からのパワハラに悩まされていた。追い詰められた由美は、妄想上の恋人を具現化させ、哲也への逆襲を開始する。
井口「僕自身、子どもの頃はイマジナリーフレンドとよく遊んでいましたし、中学に入ってからも幻覚をたびたび見ていました。妄想と現実が一緒になっていたんです。第3話の拒食症という設定の主人公(九羽紅緒)も、僕自身がそうでした。高校までは食事するのが苦痛で、ひどく痩せていたんです」
パワハラを題材にした第1話だが、このエピソードの反応は男性客と女性客とではっきりと割れるそうだ。
井口「男性からは『シュールな話だね』という曖昧な感想がほとんどですが、女性は『いるいる、こういうパワハラ野郎は実際にいる!』とすごくリアルに反応してくれます。男がいかに職場でのハラスメント的な行為に無自覚なことが分かると思います。僕自身、パワハラ気質の監督が苦手で、若手時代には嫌な目にも遭いました。第1話は男性視点ではなく、女性からの視点で描いています。山本愛莉さんの美しい足とは対照的な、僕の汚い足をさらけ出しているので、すごく恥ずかしくもあるんです(照笑)」
どんなに過酷で悲惨な状況設定でも、女優たちを美しく撮り上げるのが井口昇作品の大きな特徴だ。赤いペディキュアが印象に残る第1話の山本愛莉、大人の女性の魅力を漂わせる第2話の八代みなせ、恋人の前で悶え苦しむ表情がセクシーな第3話の中村有沙。ヒロインたちを美しく撮り上げることで、本作への協力を惜しまない女優たちへの感謝の気持ちを井口監督は表している。
3つのエピソードはそれぞれ少しずつ関わり合っており、井口監督流マルチバース(多元宇宙)な世界となっている。初期代表作『クルシメさん』の公開から25年、大林宣彦監督や鈴木則文監督らを敬愛してきた井口監督の映画作家としての成熟ぶりを感じさせる。クラウドファンディング出資者たちを招いた上映会や知人を集めた試写会は、熱い盛り上がりを見せたそうだ。
井口「特に第3話で中村有沙さん演じるヒロインの秘密が明らかになるクライマックスは、会場全体が異様な熱気を帯びていました。劇場の支配人が室温モニターを調べたところ、その瞬間に劇場の室温が2度上昇したそうです。2回目の上映では湿度もアップしたそうです。もちろんキャストとは綿密に演技内容を確認し合い、お互いに納得した形で撮影を行なっています。映倫の審査はまったく問題なく、PG12指定になっています。お子さんでも保護者と一緒なら、劇場で観ることが可能です。
僕は高校を卒業するまで落ち着ける居場所がどこにもなかったんですが、卒業したその日に団鬼六のSM映画の特集上映を観に行って、『こんなに面白い世界があるんだ』と感激したんです。それ以来、拒食症が治り、もりもりご飯を食べるようになりました。きっと、子どもは見てはいけないとされていたイマジネーションに触れて、初めて開放感を感じたんでしょうね。いかがしいイメージがあったけど、実際のSM映画を観てみたら、ロマンティックでとても丁寧に撮られた世界観で、何よりもモラルを大切に生きるべきだというメッセージが感じられて感銘を受けました。だから現在、自分の性癖や心の居場所がないと悩んでいる人たちに、『異端の純愛』が届けばいいなと思っています。僕が団鬼六のSM映画に勇気づけられたみたいに、若い人に勇気を与える作品になれればいいですよね」
映画監督として見えない壁にぶつかっていたと語る井口監督だが、本作を完成させたことで、そうした行き詰まり感からも解放されたそうだ。AV男優とその妻を主人公にした家族の物語などのオリジナル脚本を、現在は快調に書き進めているという。若い頃にアダルトビデオ業界を経験している井口監督ならではの、リアルかつユニークなホームドラマになるに違いない。
純粋すぎるがゆえに傷つくことも多かった井口昇監督は、そうした体験と妄想を創作へと昇華させることで数々の愛すべき作品を残してきた。井口昇という監督の名前を聞くだけでも、きっと生きる勇気が湧いてくる人もいるはずだ。『異端の純愛』は、ある人にとっては危険な劇薬だが、別のある人にとっては孤独さを癒してくれる最高の妙薬となるだろう。
『異端の純愛』
脚本・監督/井口昇 プロデューサー・音楽/福田裕彦
出演/八代みなせ、中村有沙、山本愛莉、岡田佳大、九羽紅緒、大野大輔、井上智春、まお(せのしすたぁ)、中村優一
配給/大頭 PG12 5月27日(土)よりK’s cinemaほか全国順次公開
※5月28日(土)~6月7日(水)K’s cinema、6月12日(月)~21日(水)高円寺シアターバッカスにて「異端の映画監督 井口昇 純愛の世界」を開催。『クルシメさん』『わびしゃび』『恋する幼虫』『片腕マシンガール』『ラブレター』『キネマ純情』『ゴーストスクワッド』『変態団』『ゲスに至る病』『自傷戦士ダメージャー』『おばあちゃんキス』を上映
©2022 Noboru Iguchi/WONDER HEAD
itannojunai.wixsite.com/official
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