映画製作をデザインする。そんなユニークなコンセプトから生まれたのが、映画『アイスクリームフィーバー』だ。
本作を企画したのは、広告、企業ブランディング、CDジャケット、装丁、テレビドラマなど多彩な分野でアートディレクターとして活躍する千原徹也監督。初めて映画製作に挑んだ千原監督は、従来の映画づくりの常識に縛られることなく、自由に映画を撮り上げている。その結果、コロナ禍から明け、活気を取り戻しつつある東京の街の雰囲気がリアルに伝わる作品に仕上がった。
舞台となるのは渋谷。美大を卒業した後、デザイン会社に就職した菜摘(吉岡里帆)だったが、職場にうまくなじむことができずに退職。
もう1人の主人公となるのは、アイスクリーム店の近くにある銭湯に通う会社員の優(松本まりか)。疎遠にしていた姉の愛(安達祐実)のひとり娘・美和(南琴奈)が突然上京し、優のマンションで居候を始める。
一見するとまったく関係なさそうな菜摘と優の日常生活だったが、意外なタイミングで2つの物語は軽妙にミックスすることに。見慣れていたはずの東京の景観がポップに切り取られ、甘くて淡いストーリーが奏でられる。
失敗に終わった最初の製作委員会
売れっ子アートディレクターである千原徹也監督に、彼が代表を務めるデザインオフィス「れもんらいふ」にて、映画製作の工程について語ってもらった。金髪姿の千原監督はいかにもクリエイターっぽいルックスだが、彼の話を聞くと『アイスクリームフィーバー』は単におしゃれなだけの映画ではないことが感じられるはずだ。
幼い頃から映画が好きだった千原監督は「映画製作をデザインする」というコンセプトで企画を立ち上げたものの、当初はうまく進まなかったという。
千原「映画監督であることを意識しすぎて、映画製作委員会に対して遠慮してしまっていたんです。アートディレクターの場合は、自分がいいなと思ったキャストや楽曲を自由に選び、自分からクライアントに連絡して、OKをもらっていたんです。でも、自分で動こうとすると、『それは映画監督の仕事じゃない』と言われるし、製作委員会からは『もう少し、今の客に寄せた楽曲のほうがいいのでは』とか『感動のポイントがあと2つは欲しい』などと言われました。製作委員会の方たちは映画業界のプロですから、僕もひとつひとつ許可をもらいながら進めようとしたんですが、それだと思うような映画づくりにはならなかった。そのうちコロナで中断することになり、1社が抜けると他の会社も抜けて、一度チームは解体することになったんです(苦笑)」
スタートにつまずいてしまった千原監督だが、そこで仕切り直し、「映画製作をデザインする」という最初のコンセプトに立ち戻った。映画監督という立場に囚われず、アートディレクターとして培ってきたスキルと人脈を活かして、独自の映画づくりを始める。
千原「川上未映子さんの著書の装丁をしたり、以前からお付き合いはあったのですが、僕が『ウンナナクール』のアートディレクションをするようになり、キャッチコピーを担当する川上さんと仲良くなりました。川上さんにとって、これが初めての映像化作品です。オファーはいろいろと来ていたはずですが、川上さんもこだわりがあって、安易な映像化は許可してこなかったんです。今回、川上さんは『アイスクリーム熱』を原案として提供してくれただけでなく、『千原くんの考えはいいと思うよ』とも言ってくれた。
海外での評価も高い川上未映子の小説だが、映像化されるのは短編集『愛の夢とか』(講談社)に収録された「アイスクリーム熱」が初となる。小説では、菜摘が恋する相手は年上の男性作家だ。映画化するにあたり、相手役はモトーラ世理奈となり、優と美和の共同生活のエピソードが加わるなど大きく変わった。
千原「僕は、多くの映画の内容がエンタメすぎることが疑問としてあったんです。登場人物の誰かが死なないと感動できないとか、それはどうなのかなと思うわけです。
劇中、「うまく言葉にできないということは、誰にも共有されないということ。つまり、その素敵さは今のところ私だけのものということだ」という菜摘の独白がある。千原監督との話し合いの中で、川上が考えた台詞だそうだ。
千原「菜摘が佐保のことを好きになる気持ちは、言葉ではうまく説明できないもの。でも、誰かを好きになったり、憧れ、嫉妬したりする感情って、理由もなくあると思うんです。そうした言葉にならないものを、僕は描きたかった。『これって、LGBTQ映画なの?』とか『恋愛映画なんでしょう?』といった問いに、明確に答えられる映画にはなっていません。僕自身も、菜摘と佐保の関係は今もよく分からないままなんです(笑)」
菜摘と佐保が出会うアイスクリーム店は、実は恵比寿駅近くにある猿田彦珈琲本店。こじんまりした、気取りのないコーヒーショップだ。また、優が通う銭湯は高円寺の「小杉湯」で撮影している。東京の最先端おしゃれスポットではなく、現代人がほっこりできるリラックススペースをロケ地に選んでいる。
千原「90年代に大ヒットしたウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』(94)が、僕は大好きなんです。それまでの香港はネオン看板が並んでいるイメージばかりでしたが、それって渋谷の109前のスクランブル交差点しか映していないようなものだったと思うんです。でも『恋する惑星』は何でもない日常的な景色が魅力的に撮られていました。僕も渋谷を舞台に、何気ない渋谷の街を魅力的に映し出したかったんです。猿田彦珈琲本店のこじんまりした感じは、4:3の画角で撮った本作に合っていました。僕の会社のスタッフが『銭湯を経営したい』と言っていたことがあり、そのエピソードも盛り込みました。渋谷にこんなコミュニティスポットがあればいいなと思ったんです」
映画製作をデザインしたように、千原監督は「理想の街」を映画の中にデザインしたらしい。
緊張した吉岡とモトーラのキスシーン
主演は『見えない目撃者』(19)や『ハケンアニメ!』(22)での熱演が評価された吉岡里帆。同じ京都出身の千原監督とは、レディスインナーブランド「ウンナナクール」でコラボ済みだ。モデル出身のモトーラ世理奈は、千原監督がチーフディレクターを務めた深夜ドラマ『東京デザインが生まれる日』(テレビ東京系)に主演している。
千原「吉岡里帆さんとは、8年前からカレンダーの撮影などでご一緒しています。映画の出演をオファーしたのが4年前。2022年に撮影が始まるまで、ずいぶん心配させたようです(笑)。モトーラさん主演の『東京デザインが生まれる日』を撮った頃は、映画制作がすでに決まっていたので、映画のテスト的なこともできました。映画の撮影はすごく楽しかったです。唯一、緊張したのは、吉岡さんとモトーラさんとのキスシーン。ポスタービジュアルにもなった重要なシーンで、どんな距離感で、どんな色調にするのか、撮影ギリギリまで悩んでしまった。僕が緊張していた影響なのか、吉岡さんの首が小刻みに動くのですが、演技だとしたらすごいです」
菜摘と共にアイスクリーム店で働く貴子には、「水曜日のカンパネラ」の2代目ボーカル・詩羽を起用している。
千原「詩羽さんがカンパネラに入る前から知り合いでした。当時から彼女は髪を赤く染めていて、吉岡さんとモトーラさんの間に彼女が入ると、デザイン的にいいなと思ったんです。最初は台詞も少しだけのつもりでしたが、貴子は菜摘と佐保の関係を唯一知るキャラクターでもあるので、脚本家の清水匡さんとも相談し『彼女にもアイデンティティを与えよう』となり、シーンが増えたんです。詩羽さんの出番が増えたことで、作品に奥行きが出たと思います」
菜摘と佐保の物語と並行して、優の姪である美和の「父親探し」の物語が紡がれていく。美和が暮らす実家から、父親は出ていったという設定だが、これは千原監督のアイデア。千原監督が自身の生い立ちから、アートディレクターになるまでを振り返った著書『これはデザインではない 「勝てない」僕の人生〈徹〉学』(CCCメディアハウス)を読むと、千原監督が10代のときに父親が家を出ていったことが語られている。女性たちを主人公にした『アイスクリームフィーバー』だが、千原監督自身の実体験も投影されている。
千原「僕が高校生のときに父親は家を出て行きましたが、その後も僕は父とはちょくちょく会っているので、美和と同じではありません。でも、子どもの頃の僕は、父のことが好きになれなかった。父はたまにしか家に帰らず、母が懸命に働きながら僕と弟を育ててくれたんです。そんな父ですが、僕が小さい頃にはよく映画館に連れていってくれ、僕が描いた漫画も読んでくれたんです。僕のクリエイティブな面は父からの影響が大きい。母から『子どもなんか産まなきゃよかった』という言葉を聞いたことがあります。それを聞いたときはつらかったけど、母はそれ以上にしんどかったと思うんです。家族って難しい。いちばん厄介かもしれない。今は父、母、弟それぞれと僕は仲良くやっています。意識したわけではありませんが、僕がこれまでに体験したことが、映画には否応なく反映されていると思います」
自分の生き方を、誰よりもまず自分自身が認めることで人生は動き出す。映画『アイスクリームフィーバー』は、自己肯定感をめぐる物語だと言えそうだ。自己肯定感を手に入れた主人公たちは、これからどんな人生をデザインしていくのだろうか。
『アイスクリームフィーバー』
原案/川上未映子 監督/千原徹也 脚本/清水匡
音楽/田中知之 主題歌/吉澤嘉代子 エンディングテーマ/小沢健二
出演/吉岡里帆、モトーラ世理奈、松本まりか、詩羽(水曜日のカンパネラ)、安達祐実、南琴奈、後藤淳平(ジャルジャル)、はっとり(マカロニえんぴつ)、コムアイ、新井郁、もも(チャラン・ポ・ランタン)、藤原麻里菜、ナツ・サマー、MEGUMI、片桐はいり
配給/パルコ 7月14日(金)よりTOHOシネマズ日比谷、渋谷シネクイント、渋谷パルコ8F WHITE CINE QUINTほか全国ロードショー
©2023「アイスクリームフィーバー」製作委員会
icecreamfever-movie.com
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