ブロンドヘアにブルーアイズ、身長は175cm。六本木にある外国人バーでホステスとして働いていたルーシー・ブラックマンさん(当時21歳)が行方不明になる事件が、2000年7月に起きた。
ルーシーさんは日本に来るまでは英国航空の客室乗務員だったことから、日本のマスコミは「元スチュワーデス失踪事件」と大々的に報じる。ルーシーさんの父親ティム・ブラックマン氏をはじめ、ルーシーさんの家族も次々と来日し、マスコミを通じてルーシーさんに関する情報提供を求めた。沖縄サミットに出席していたトニー・ブレア英国首相(当時)からの要請もあり、国際問題として異例の大規模捜査が進められた。長引く捜査の結果、2001年2月に三浦半島にある小さな洞窟で、バラバラ死体となったルーシーさんが発見される。
逮捕された織原城二(おばら・じょうじ)の犯行手口も、大きな波紋を呼んだ。織原は高級車を乗り回し、バーなどで知り合った女性を葉山のリゾートマンションへと連れ込み、睡眠薬やクロロホルムを使って昏睡状態にした上で、陵辱していたのだ。しかも、その様子をビデオテープに収めていた。織原の性犯罪の犠牲者数は200人以上に及ぶ。
日本最大の性犯罪事件と称される「ルーシー・ブラックマン事件」の捜査の全貌に迫ったのが、7月26日(水)よりNetflixにて独占配信されるドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』。髙尾昌司氏のノンフィクション小説『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』(文春文庫)を原案に、事件解決に尽力した捜査官たちを取材し、23年前に起きた猟奇的殺人事件が今なお日本社会に大きな課題を残していることを明かしている。
現場を知る捜査官の視点から描いたドキュメンタリー
本作を撮ったのは山本兵衛監督。ニューヨーク大学で映画制作について学んだ山本監督は、世界的な大企業・オリンパス社で起きた不祥事を題材にしたドキュメンタリー映画『サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌』(18)で劇場デビューを果たした。Netflixドキュメンタリー『逃亡者 カルロス・ゴーン 数奇な人生』(22)ではプロデューサーを務めており、日本と異文化との軋轢をテーマにした作品で注目されている。山本監督に、企画の経緯やルーシー・ブラックマン事件の特異性について語ってもらった。
山本「事件当時の僕は、まだニューヨーク大学の学生でした。夏休みで日本に戻っていたこともあり、ルーシーさんの父親であるティムさんが連日のように日本のマスコミに出ていたことが印象に残っています。
英国紙「タイムズ」の東京支局長リチャード・ロイド・パリー氏が執筆した『黒い迷宮』は、ルーシーさんの生い立ちから始まって、事件の詳細を記述した内容となっている。
山本「ルーシーさん一家の視点が中心となっていたので、『黒い迷宮』を読んだときはドキュメンタリーではなく、劇映画にしたほうがいいだろうなと思いました。でも調べてみると、すでにメジャー系の映画会社が権利を持っていると分かったんです。そんなときに出会ったのが、2013年に刊行された髙尾昌司さんの『刑事たちの挽歌』でした。こちらは捜査官たちの視点で描いたもの。
英国では『黒い迷宮』のドラマ化が進んでいるが、山本監督による本作は、当時の捜査官たちやティム・ブラックマン氏らが事件を振り返る日本独自のドキュメンタリー作品となっている。
治安がよく、礼儀正しく、安全な国というクリーンなイメージで語られがちな日本で起きた「ルーシー・ブラックマン事件」。ルーシーさんの母国・イギリスでもセンセーショナルな話題となった。
山本「ルーシーさんが六本木の外国人バーでホステスとして働いていたことが、事件当初の英国では大きく取り上げられていたようです。ホステスという職業が欧米にはないため、いかがわしい性風俗ではないのかという関心があったのでしょう。また、英国のタブロイド紙は憶測だけで書かれた記事が多く、『ルーシーさんは性奴隷として売られた』など、ルーシーさん一家の気分を害するような記事も出回っていました」
日本ではルーシーさんの安否を気遣うティム・ブラックマン氏の言動をテレビカメラが追い、マスコミ報道は加熱していった。
山本「ルーシーさんは観光ビザで日本に入国し、六本木で働いていました。当時の警察は不法就労している外国人にそれほど厳しくなかったのですが、逆に外国人をめぐるトラブルは事件化もされにくかったんです。それもあってティムさんたち家族は、日本の警察が本気で捜査をしているのかどうかが気がかりだったようです。日本の警察は捜査の進行状況を教えてくれないため、ティムさんは自分がマスコミに出続けることで、警察にプレッシャーを与え、世間が事件を忘れてしまうことを防ごうとしたんです。ティムさんの目立つ行動は、日本の警察との間に軋轢を生むことにもなりましたが、娘の無事を願う父親の心情としては理解できるものがあります」
あまりにも意外だった裁判の判決結果
外国人バーに通う常連客たちの身元調査、薬物を使ったレイプ被害に遭った外国人女性がメモしていた携帯番号などを手掛かりに、高級マンションで暮らす資産家の織原城二が2000年10月に逮捕される。
山本「六本木で、ここまで大きな事件が起きたことはかつてなかったんじゃないでしょうか。外国人女性たちへの聞き込みも多く、英語に慣れない捜査官はかなり苦労したようです。それでも、『もしも、自分の娘が被害者だったら』という気持ちや、『日本に来たばかりで事件に巻き込まれたルーシーさんを早く見つけたい』という思いで、捜査官たちは懸命に捜査に当たりました。女性捜査官や警視庁初の科学捜査官の活躍なしでは、事件解決には至らなかったでしょう」
捜査官たちの熱心な捜索によって、バラバラになった姿でルーシーさんは発見された。ルーシーさんだけでなく、織原によって1992年に同じ手口でオーストラリア人女性カリタ・リッジウェイさんが亡くなっていたことも分かった。裁判の結果、織原には有罪判決が下る。
ルーシーさんの失踪事件が表面化したことで日本の警察が動き、長年にわたる織原の凶行は終わりを告げることになった。もしこの事件が発覚していなければ、織原による犠牲者数はもっと増えていたに違いない。織原はカリタさんら9人の女性に対する準強姦致死罪、準強姦罪、強制わいせつ罪などによって無期懲役となった。だが、ルーシーさんに対する殺人罪は問われないという予想外の判決だった。
山本「裁判の結果に、捜査官はみんな驚いたそうです。ルーシーさんの切断死体が見つかり、織原がチェンソーを購入した記録も残っていたのですが、ルーシーさんのことも撮っていただろうビデオテープは見つかりませんでした。決定的な証拠がないことから、肝心のルーシーさんの事件に関しては無罪になったんです。この事件に関わった捜査官たちは、性犯罪を立件化することの難しさを痛感したそうです。200人以上の性被害者がいながら、立件に同意した被害者女性は8人。性犯罪を立件する難しさは、今もほとんど変わっていない状況です。マスコミで大きく取り上げられただけでなく、いろんな意味で当時の捜査官たちにとって忘れられない事件になっているんです」
山本兵衛監督が「ルーシー・ブラックマン事件」に強い関心を持つようになった『黒い迷宮』では、犯人・織原城二は裕福な「在日韓国人」一家に生まれ、21歳で日本に帰化したことについても触れている。だが、本作では織原の生い立ちには言及しない形でまとめてある。
山本「複雑なアイデンティティーが犯人の人格形成に影響を与えたであろうことは、容易に推測することはできます。しかし、そこを掘り下げていくと事件の本筋から大きく離れていくことになるので、本作ではあえて触れていません。あくまでも事件に向き合った捜査官たちの視点から描いたドキュメンタリーとしてまとめています」
英国人社長が理不尽な理由で解任されたオリンパス事件の真相を追った『サムライと愚か者』、カルロス・ゴーン元日産会長の栄光の日々と逃亡劇の裏側を描いた『逃亡者 カルロス・ゴーン』などのドキュメンタリーを手掛けてきた山本監督は、今回の取材を通して「ルーシー・ブラックマン事件」をどのように受け止めているのだろうか。
山本「グローバル化が進み、日本社会の転換期にあたる時代に起きた事件だったんじゃないでしょうか。当時の六本木には、ITバブルで潤っていた人たちが群がっていました。お金さえあれば何でもできるという風潮が強かった。また、1990年代後半からゼロ年代は、凶悪犯罪が多発した時代でもありました。日本社会の闇に、ルーシーさんは呑み込まれてしまったと言えるかもしれません。捜査官たちは生前のルーシーさんと面識があったわけではありませんが、7月になるとルーシーさんを偲んで線香を灯すそうです。ルーシーさんの遺体が見つかった三浦半島の洞窟まで、毎年2月に供養に向かう捜査官たちもいます。そうしたところも含め、日本で起きた事件なんだなと感じさせますね」
ルーシーさんが亡くなって23年の歳月が経つ。だが、性犯罪の被害者が加害者を訴えにくく、被害者数が水面下で増え続けるという状況は当時から変わっていない。ルーシー・ブラックマン事件が日本社会に残した問題点は、今も残されたままとなっている。
Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』
原案/髙尾昌司 監督/山本兵衛
7月26日(水)よりNetflixにて独占配信
https://www.netflix.com/title/81452288
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