2002年に防衛庁長官、07年に防衛相を歴任し、防衛政策通でも知られる石破茂議員に、北朝鮮や中国の挑発行動への対応、PKO日報問題に端を発した防衛省スキャンダルの真相、防衛相の資質など、日本の防衛の問題点について余すことなく語ってもらった。(聞き手/『週刊ダイヤモンド』編集部 千本木啓文)
――稲田朋美前防衛相は、部下から信頼されていないように見えました。
まず、防衛関連の法律と日米安全保障条約の基本が頭に入っていることです。法律を知らないと船も戦車も飛行機も使いようがない。使用説明書を知らないでどうやって使うのということです。
もう一つは、自衛隊に限りない愛情を持っていることですよ。自営隊が好きだというのと戦争が好きだっていうのは違う。
私が防衛庁長官(現防衛相)のときにイラクに自衛隊を派遣しました。もちろん戦争は終わっている、人道復興支援にいく、国連からの要請に基づく派遣である、法律も作ってある――何の庇護もないのだけど、危険な外国に初めて出すことは間違いないわけです。
最初の派遣ということで、小泉純一郎総理大臣(当時)が部隊編成完結式に来た。そのとき福田康夫官房長官(当時)から、小泉さんの訓示はこれでいいかと文章の確認を促された。立派な訓示だったけど一カ所だけ直してくださいと言った。それは、「諸君は自ら望んでイラクに赴く」という箇所だった。
「色んな理由があって行きたくない者は手を挙げろ」と私が言ったのは確かですが、皆が「ぜひ行きたい」と志願したわけじゃない。「国家の命によりイラクに赴く」と変えてくださいと言ったらすぐに変えてくれました。
そして、彼らが日本を離れる前には必ず壮行会というのをやる。私は可能な限り行きました。国会答弁があるときは副長官に代わってもらい、必ず私か副長官が行くようにしました。
そこで、家族が「長官、一人息子です。生きて帰ってこられるようにしてくださいね」とか「お父さん行っちゃうの」というような場面が展開されます。もう全ての家族と写真を撮り、全員と握手をし、そしてなぜ君たちはイラクに行くのだっていう話を政治家がする。そういうものだと思う。
星をいっぱい付けた(階級の高い)陸将、海将、空将じゃなくて、二等陸士とか、陸曹長とか、二等海士とか、そういう人たちとその家族が自衛隊を支えている。
そういう人たちから、自分たちのことを分かってくれている、大好きでいてくれている大臣だと信用してもらえることが大事だと考えます。
政治家が防衛の問題に首を突っ込むことにあまり旨味はない
――しかし、近年、防衛相が軽んじられたポストになってはいませんか。
そうでしょうか。かつてこの人は立派だといわれる防衛庁長官がいた。中曽根康弘さん、三原朝雄さん、坂田道太さんとか総理大臣や衆院議長をやるような立派な人が就いたポストです。ただし、「大臣にはなれないけど長官クラスならば」という経緯で就任したケースが過去になかったとは言いません。
私が長官に就任する前、小泉内閣で中谷元さんを指名した。あれはいい人事でした。中谷さんはただの元自衛官じゃなくてレンジャー出身ですから。レンジャーはヘビなんかを食べたり、30キロの後嚢を背負って1週間行軍したり、ハードな訓練を積んできた人。
その後の林芳正さん、浜田靖一さん、(今回の内閣改造で防衛相に就いた)小野寺五典さんなど、立派な大臣だと思います。
これは一般論ですが、政治家にとって、防衛の問題に首を突っ込むことにあまり旨味はないのです。
まず、票にならない。地元の利益にほとんど結び付かないからです。
おまけに防衛の専門家というと戦争が好きなんじゃないかと言われてしまう。私はいまだに軍事オタク、軍事マニアと言われる。だけど厚労相が医学に詳しくて、あれは医学マニアって言われますか(笑)。
当選一回の頃、鳥取県の陸上自衛隊米子駐屯地などの行事に行ったことがあります。米子駐屯地司令にこう言われました。「選挙のときだけ来て『君たちは国の宝だ』とか、『自衛官の処遇改善に努めます』とか言うやつには絶対投票しない。もちろん、私が誰に入れろなんて強制することはないけど、隊員たちはよく見ている。行事に来て、自分の言葉で防衛を語れるなら、俺が何を言わなくても一票入れる。そういうものだよ」と。
ただ、当時は自民党の国防部会に出ると、海軍兵学校とか陸軍士官学校出身の人が「いまの日本はなっとらん」とか言って、軍艦マーチでも鳴りそうな雰囲気で、馴染めなかった。
本格的に防衛の仕事をやらなきゃいかんと思ったのは当選2回のとき、北朝鮮をこの目で見たのがきっかけです。徹底した反日、個人崇拝、マインドコントロール――。この国は何かやると。まだ拉致問題も表に出ていないし、核実験もミサイル実験もやってない頃の話です。
それで防衛の勉強をすることにした。防衛法の教科書は何十回と読みました。
なぜ政治家が文民統制の主体であるべきなのか
――頭の良い防衛省キャリアが大臣を補佐しているわけで、法律や政策を彼らに丸投げするというわけにはいかないのですか。
それは違う。文民統制(シビリアンコントロール)とは何なのかということ。文民統制であって、文官統制ではない。
つまり、背広組(文官)も制服組(自衛官)も、事務次官以下のすべての自衛隊員が統制の対象であって、統制の主体ではない。
なぜ政治家が文民統制の主体であるべきなのか。その理由はただ一つ、主権者に対して選挙で責任を負うからです。
日本では流行らない言葉だが、「警察は政府に隷属し、軍隊は国家に隷属する」というのは欧州では当たり前で、マックス・ウェーバーが言うように国家とは「軍と警察という暴力装置を合法的に独占する主体のこと」です。
同じ武器を持った集団でも、警察にはなぜ文民統制という概念がないのか。なぜ警察はクーデターを起こさないのか。それは政府に隷属しているからです。軍隊は時の政府が間違っていたらそれを倒す権限を持つと言われている。私はその考え方には立たないけれど、クーデターとはそういうものです。
しかし、仮にもそういうことがあってはならない。国家に隷属するのが軍隊だとすればコントロールが必要だ。その主体は、民主国家ならば政治家、共産主義国家ならば共産党なのです。
1990年に「レッドオクトーバーを追え」という映画があった。
日報問題の顛末
繰り返しになりますが、民主主義国家である日本では、統制の主体は政治家です。
歴代防衛庁長官、防衛大臣、副大臣、政務官で政治家でない人は(民主党政権権下で防衛相を務めた)森本敏さんだけです。森本さんは非常に見識が高いが、選挙で選ばれた人ではない。
統制の主体である政治家は、法律、人員、装備、運用のすべてを理解していないと、いざという時に責任を果たせない。
防衛省の中で常に葛藤があるのは事実です。防衛省幹部は、「そんなこと言っても大臣。あんたみたいに変なことを知ってる大臣ばっかりじゃないんだよ。誰が来てもちゃんと務まるようにするのが自分たちの仕事だ」と言う。
「あ、そう」と言ってやりたいね。「お前たちがそんなことを言うから、民主党時代の誰それみたいなやつが来ちまったんだろう」と。
――今回の国際平和維持活動(PKO)の日報問題の顛末を見ていると、本当に文民統制など機能しているのか甚だ疑問です。
防衛に限らずですが、政務官をやり、党の部会長をやり、当該委員会の理事をやり、そして副大臣をやった者――。これぐらいの経験を積まないと、防衛省キャリアや自衛隊幹部を相手に論陣を張るのは難しいと思いますね。
そんな大臣ならば、「日報がない?そんなことは在り得ないだろう」と反射的に思うはずですよ。
これは推測ですが、一度、「日報はない」と陸上自衛隊(陸自)が言ったのは、そうしないと具合が悪いことがあったのかもしれません。
日報に、「戦闘」という表現を使ってしまったのではないか。
暴力団が抗争でマシンガンを撃ちあってもそれは戦闘とは言わない。だけど、人口1万人の島国同士が棍棒でなぐり合うと、それは戦闘です。それは「国または国に準ずる組織の間における領土等をめぐる武力を用いた争い」というのが戦闘の定義だから。
日報を受け取る時に、陸上幕僚監部が、「ここは戦闘と書いてあるけど、法的には『武力衝突』と書くのが適切なんだ」と注意すればよかった。いつ誰が書き換えたという記録さえあれば、それで済んだ話なのではないか。
だけど、本来、現地に展開している自衛隊が危険を感じたら、戦闘が起きていなくても一時退避ですからね。
「自衛隊の退避は国のためにならない」なんていうことは自衛隊員が判断することじゃない。何度も言いますが政治が決めることです。
海上自衛隊で一番怖い任務を体験
――東京・市谷の防衛省や国会でごたごた内輪揉めをしている時でも、現場の自衛官のモチベーションは非常に高く、感心しました。
それは、最近、現場の自衛官たちが政治なんてそんなもんだと思っているからですよ。それはあまりいい現象じゃない。やはり「おれたちの総理だ、大臣だ」って思ってもらわないと。文官も含めて自衛隊員というのは「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって職務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と誓った人間です。政治の命令で彼らは危険な任務を行うのだから、「あの人の命令だった」というのがなければ成り立たない。
私は防衛庁の副長官と長官のとき、陸自の第1空挺団(習志野駐屯地)の飛び出し塔の11メートルの高さから2回飛び降りました。さあやるぞって登るけど、怖いんです。そして、自衛官が下で本当にやるのかなって顔で見てるんだよ。試されている。
海上自衛隊で、「一番怖い任務は何だ」って聞いたら、飛行艇で荒れた海で着水して、そこからゴムボートで護衛艦に乗り移るのが怖いということだった。じゃあやろうと。パフォーマンスだって言われりゃそうかもしれないけど、でも隊員や家族に「大臣が自分たちのことを分かろうとしている」と思ってもらうのは大事だと思う。
――3自衛隊のうち、歴史的に陸自が強い。本来はどこを強くすべきかという議論などなく、陸海空のパワーの強さが装備にもそのまま影響してしまいます。
だからこそ、防衛相は装備についてもちゃんと把握していないと話にならない。イージス艦と普通の護衛艦とは何が違うのか。同じ戦闘機でも、F−15とF−2は全然違う。F−15は迎撃戦闘機で、F−2は対地対艦攻撃機です。
どの兵器がどこにどれだけあって何を使うか。それでなくても厳しい予算なのだから考え抜かなければいけません。
陸・海・空自衛隊による予算のシェア争い
米国大統領は有事の際「わが航空母艦はどこにいる」というのが第一声だそうですよ。私が長官のときに北朝鮮にミサイル発射の兆候があったときも、最初に言ったのが「イージス艦はどこだ」ってことです。
私は長官になったときに2つの疑問を投げかけました。「北海道にこんなに戦車が要るのか」。「なぜ海兵隊(水陸両用戦の任務を遂行)が日本にないのか」と。
ロシアが本当に北海道に攻めてくるのか。北海道の大平原で戦車同士が撃ち合うのか――。違うだろうと。
「首都で有事があって、戦車が船で東京湾に駆け付けた時にはゲームセットでしょうね。それより装輪装甲車(タイヤ付き車輪で走行)のほうが有用ではないか」と意見した。
そしたら、自衛官は「大臣は戦車がお嫌いですか」と返してきた。いやいや、好きとか嫌いとかの問題じゃない。しかし、当の自衛官は「戦車をやめてこれにしましょう」とは絶対に言わなかった。
――なぜですか。
戦車に命を懸けているやつがいるからですよね。
――これまでの商習慣があり、陸自の論理が変えられない。
そういうことです。