44年連続、東大合格者数日本一。開成生は勉強ばかりしている? とんでもない! 部活に学校行事、ボランティアなどなど、在学中、勉強以外のことに熱中した生徒ほど、各界で異彩を放って活躍している。
探究心と好奇心が旺盛な彼らの目線は、日本を飛び出し海外にも。開成OBでもある野水校長に、そんな彼らが持つ力を語ってもらいました。
■バンカラだった母校がワールドワイドに!
2020年、私が校長として赴任した開成学園は、実は卒業以来50年ぶりに戻ってきた母校でもあります。半世紀も経つと母校の様変わりも劇的で、千葉県の柏市から通っていた坊主頭の私にとって“下町のバンカラ校”だった開成は、ネイティブの先生方が大勢いて、日本人の先生方も流暢(りゅうちょう)な発音で英語を教える、実に国際化の進んだ学校へと変貌しています。
東大合格者数が44年連続日本一ということで、どうしても「開成=東大」という世間のイメージはあると思いますが、最近では海外の大学に直接進学する卒業生の数が増加傾向にあります。13年ごろから少しずつ増え始め、20年に11人とピークを迎えます。その後、コロナ禍で減少したものの、25年には4人と復調してきています。そして、こうした海外大学進学組の中からは、さまざまな分野で若いうちから活躍する人材が出ています。
13年に卒業し、米国ミシガン大学工学部に進学した塩野皓士さんは、23年に同大学の教授と共同で立ち上げたKidou Systems社のCEOとして、自動運転技術の多彩な分野での運用を提案しています。同じく13年卒の笠井淳吾さんは、米国イエール大学に進学後、ワシントン州立大学で博士号を取得、23年に豊田工業大学シカゴ校の研究助教授に就任しました。そしてほぼ同時に、米国で博士号を取得したもう一人の日本人研究者とKotoba Technologies社を設立し、スーパーコンピュータ富岳を使った日本語版生成AIの支援と教育ソフトの開発を手掛けています。14年卒の大柴行人さんは、米国ハーバード大学に進学して、コンピュータサイエンスと統計学を学び、19年にシリコンバレーで同大教授とRobust Intelligence社を設立。
フォーブス・ジャパンの「世界を変える30歳未満」サイエンス部門の30人に選出されています。
卒業生たちの活躍ぶりも実にワールドワイドになってきて、それもまた隔世の感がありますね。
■マイノリティーを経験して教育者として痛感したこと
さて、半世紀以上前、開成に在学中の私はというと、理化学部に所属して、主に銅やスズ、ニッケルなどの金属を電気メッキする研究を行っていました。
子供のころから実験が好きだった私は、将来は化学の研究者になりたいと思い、卒業後は東大工学部に進学。その後、同大大学院工学系研究科で工業化学専攻修士課程を修了しました。そのまま大学院に残り、博士課程に進む計画だったのですが、いろいろと迷いもあり、結局、動力炉・核燃料開発事業団に就職。研究員として東海村の研究室で1年9カ月勤務した後、プロジェクトマネジャーとして東京本社に移りました。
周囲からは栄転だと言われましたが、研究開発の現場で一人前になりたかった私にとっては不本意でした。ただ、東京本社での4年間は、その後の自分のキャリアにとって貴重な経験でした。結局、その後、大学の指導教官から名古屋大学工学部の助手の仕事を紹介されたときに飛びついて、助手として働きながら博士号を取得しました。その直後、研究室の教授が留学していたハーバード大学の教授が来日され、研究留学に誘っていただき、1990年に同大医学部客員研究員として家族とともに渡米したのです。
正直言って、ハーバードでの日々は苦労の連続でした。
まず、英語力が絶対的に足りません。そもそも工学部分野の研究者が医学部に留学したわけですから、専門用語がまったく違います。同僚が話していることもなかなか正確に聞き取ることができません。最初のころ、同僚が研究の手順を説明しているときに、話を聞いている態度を示そうとして「ふんふん」とあいづちを打っていました。すると、「おまえは本当に私の話を理解しているのか? 説明してみろ」と言われて、本当に恥ずかしい思いをしました。
米国では、あいづちを打つことは、十分に理解したと受け取られるのですね。理解もしていないのに、調子を合わせるようなことをしてはいけなかったのです。ものごとを曖昧にしてお茶を濁すという日本的なやり方は、ここでは通用しないのだと、カルチャーショックを受けました。その後、彼とはいい仕事仲間になりましたが。
これが語学留学か何かであれば、それこそ適当にお茶を濁すこともできたのですが、私は仕事でハーバードに来ているので、成果を出さなければなりません。しかも家族も一緒ですから、日常生活でも苦労とカルチャーショックの連続でした。
そこで痛感したことがあります。

私はそれまでの人生において、研究者としてはいろいろな葛藤もありましたが、世間でいうエリート街道を歩んできたとも言えます。ところがハーバードでは、私はまったくのマイノリティーなのです。こうした感覚は、海外に出てみなければ、決して味わえなかったと思います。
そして、マイノリティーという立場で英語を学習し、同僚たちと相互理解を深め、米国の文化を理解し、仕事で少しずつ成果を出し、困難を克服したこの過程は、私にとって得難い学びの機会となりました。
このとき私はすでに30代の半ばを過ぎていましたけれど、もしもっと若いうちにこうした経験ができていれば、英語も早くに上達し、得られた刺激や知識はもっともっと多かったし、自分自身の視野もさらに広がったに違いない。よし、日本に戻ったら、名古屋大学の学生たちに海外留学を勧めよう。そう考えるようになりました。
1年半のハーバード生活を終え、名古屋大学に戻った私は、化学分野の研究と教育のほかに、留学生受け入れ、海外留学派遣など、国際交流の仕事を始めるようになりました。
実際、海外に送り出した学生たちは、その期間が半年であろうと1年であろうと、人間的に一回りも二回りも大きく成長して帰ってきました。積極的に異文化を受け入れる力、他者の立場を理解しながらも自分の意見をしっかりと述べるコミュニケーション力やリーダーシップ力。こうした力を短期間で身に付けて帰ってくる留学組の学生たちを見て、これからの若者は、日本に閉じこもっていてはいけないなと痛感したのです。
■開成の留学支援体制はなんと生徒発信!
開成の校長に就任することが決まったとき、まず真っ先に考えたのが、「若いうちに海外に出ることで得られる力は計り知れない。
だから、海外の大学に進学しても苦労しない、留学レベルの英語力を早く生徒たちに身に付けさせるため、開成の英語教育強化の手伝いをしよう!」ということでした。私が開成で学んでいたころの英語教育は、ご多分にもれず受験英語でしたから、使える英語教育に進化してほしいと思っていたわけです。ところが、久しぶりに開成に戻ってびっくりしました。英語教育のあり方は、すでに昔とはまるで変わり、進化していたのです。
ネイティブの教員は常勤が2人、非常勤が6人いて、日本人教員も英語ができる人ばかり。本格的に海外大学を希望する生徒に向けて、平日の放課後に「7・8限目英語特別講座」を高1から設けています。ネイティブの教員によるディスカッションや小論文(エッセイ)の書き方と添削、そして留学情報の提供なども行っています。
こうした体制になったきっかけが生徒発信だったと聞いて、さらにびっくりです。先ほど話した塩野さんや笠井さんたち、13年卒業の海外大学進学組の生徒たちが中学生のとき、「自分たちは将来海外に留学したいので協力してほしい」と申し出たそうで、「そういうことならば」と、学校側も支援体制をどんどん拡充していったとのこと。私の前任の、柳沢幸雄校長の時代です。
生徒たちが自主的に自分たちの夢や希望を表明し、それを実現させるべく学校が協力するというのが、いかにも開成らしく、さすがはわが母校、と誇らしく思いましたね。
具体的な海外留学支援としては、13年から始まった「カレッジフェア」があります。
イエールやスタンフォード、コロンビア大学といった海外の大学に留学経験のある開成卒業生や各大学の入試担当者を招いて、希望する生徒とその保護者に対し、説明会や個別相談をしてもらうのです。始めたころは50~100人程度でしたが、現在は200~300人も集まるようになりました。
こうした熱意の高まりを如実に表しているのが、海外のサマースクールに参加する生徒数の伸びです。学校主催の海外語学研修はまだないため、生徒は自主的に海外のサマースクールに出願して参加していますが、15年ごろから増え始め、コロナ禍の時期を除けば、1年に50~70人が参加しています。一定レベル以上のサマースクールに参加する生徒は、欠席扱いにしない制度もつくりました。また、参加者には、留学報告会で自分が経験したことを同級生や後輩に話してもらっています。このことがさらなる海外志向の高まりに寄与しているようですね。
※本稿は、『プレジデントFamily2025夏号』の一部を再編集したものです。

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野水 勉(のみず・つとむ)

開成中学校・高等学校校長

1954年福岡県生まれ。73年開成高校卒業。77年東京大学工学部卒業、同大学大学院工学系研究科工業化学専攻修士課程を修了後、79年動力炉・核燃料開発事業団研究員に。84年名古屋大学工学部助手、89年金属工学専攻で工学博士号取得。
90~91年ハーバード大学医学部客員研究員、96年名古屋大学教授等を経て、2020年4月より現職。

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(開成中学校・高等学校校長 野水 勉 構成=田中義厚 撮影=市来朋久(野水先生)、キッチンミノル(生徒))
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