これはなにも欧米だけのことではなく、日本の不良たちも「液状化」し、族(グループ)に分かれて敵対・抗争する〈ヤンキー〉から、よりゆるやかにつながる〈マイルドヤンキー〉〈半グレ〉になり、いまやそのつながりすらなくなって、たまたま知り合った同士が即興的な関係をもつ〈ヤンチャな子ら〉になったのだろう。
だが知念氏によれば、そのなかでも「地元」に生まれ、「地元」のネットワークのなかで育った〈ヤンチャ〉には社会(関係)資本があり、高校を出た(中退した)あともそのコネクションを使って仕事を探し、貧しいながらも安定した家庭をつくっていく。それに対して「地元」のない〈ヤンチャ〉は、最初は夢をもって働きはじめても、やがて糸の切れた凧のように都会をさまよい、「グレイな仕事」に手を染め、いつしか音信不通になっていく。
だとしたら、ヤンキー(ヤンチャ)は、地元(共同体)があればやっていけるのだろうか。
社会学者打越正行氏の『ヤンキーと地元 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』(筑摩書房)は、このテーマを考えるうえで最適な研究成果だ。
沖縄のヤンキーの調査をはじめたきっかけ広島に生まれた打越氏は、1998年、大学進学を機に沖縄での生活を始めた。
ある日、友人たちと夜遅くまでドライブを楽しんだあと、大学構内の駐車場に自分の原付バイクを取りに行くと、そこで不良少年たちが酒盛りをしていた。そのなかの一人がバイクにまたがっていたため、打越氏は勇気を出して、「あっ、すみません」と声をかけ、バイクにカギをさそうとした。