朝日新聞のマニラ支局長などを経て2009年に単身カンボジアに移住、現地のフリーペーパー編集長を務めた木村文記者が、カンボジアの観光資源についてレポートします。

「ポル・ポトの墓」がある町

 アンコール遺跡のあるカンボジア北西部のシェムリアップから、車でさらに3時間ほど北へ走ると、タイ国境の町アンロンベンに着く。

カンボジア北部のはじっこに位置するこの町は、1999年に、ポル・ポト派のタ・モク元参謀総長が逮捕されるまで、同派が最後に拠点とした場所だ。

 ポル・ポト氏を指導者とするポル・ポト派(クメール・ルージュ)は1975年に政権に就いた。1979年にベトナム軍の侵攻により崩壊するまで、都市住民の農村部への強制移住や強制労働、私有財産の没収、通貨の廃止などを強行。極端な政策を「革命」と称して遂行するために、政権の敵とみなした人々は次々に殺害した。また、飢えや強制労働などにより、4年弱の政権下で170万人以上の国民が命を落としたといわれる。

 アンロンベンには、そのポル・ポト元首相の「墓」がある。だが、「ポル・ポトの火葬地」という立て札があるだけで、墓碑も建っていない。さびついて、穴のあいたトタンの雨よけが簡単に作ってあるだけの場所。周囲には雑草が茂り、線香の燃えさしが残っていた。

「ポル・ポトの墓」のほかにも、ここにはさまざまな同派の史跡がある。組織内でも権力の座を追われたポル・ポト元首相が裁判にかけられた場所、ポル・ポト亡き後、同派を率いたタ・モク氏の邸宅、地雷を製造・貯蔵していた場所、貯水池、木材を切り出して加工した工場跡地などが散在する。

ポル・ポト派史跡を観光地化

 10年ほど前、初めてこの町に行ったとき、どろどろ、でこぼこの山道を四輪駆動車で何とか登り、これらの史跡を訪ねた。

アクセスが悪いだけでなく、史跡というにはあまりにも荒れ放題、木々に埋もれた建造物の残骸には何の案内板もなく、探すのに苦労したのを覚えている。

 それからしばらくして、アンロンベンの観光当局が、ポル・ポト派史跡の観光地化に取り組み始めた。史跡をリストアップし、見学コースを作る。各地点には簡単な説明を書いた案内板をたてて、入場料を取り、維持管理費に充てる。

 その話を聞いたときには、「人類史上最悪の犯罪」とまで呼ばれた悪名高きポル・ポト派とはいえ、決して風光明媚とまではいえないこの町に、荒れ果てた史跡だけを見にくる観光客がいるのだろうかーーと、思ったのだが、意外にも史跡を見にこの町を訪れる人々は後を絶たない。そして、その中心は外国人ではなく、カンボジア人だと知って、さらに驚いた。

 ポル・ポト派が1979年に崩壊して33年、内戦が1991年に終結して21年。日本の戦後と重ねれば、昭和50年代と重なる時期だ。経済成長とともに、カンボジアの人々には少しだけ、過去を振り返る余裕ができたのだろうか。私がアンロンベンで出会ったカンボジア人観光客は「ポル・ポト派に親類を殺された。いったいあの時代に何があったのかを考えたくてここへ来た」と話していた。

 負の歴史が観光資源となる例は、ドイツ・ナチス時代の強制収容所や、沖縄の沖縄戦関連の史跡など、ないわけではない。

そう考えると、「ポル・ポト観光」も、現代史を知る旅を求める人々や、若い世代の学習ツアー先としての需要は高いのかもしれない。自分たちの歴史を遺す取り組みがなされるのだから、観光資源化は歓迎すべきことなのだろう。

新たな観光資源は「カジノ」

 ところがこの町に、最近、別の開発の波が押し寄せている。

 今年1月、ポル・ポトの墓のある場所から、道路をはさんだ向かい側に、巨大なカジノ・リゾートが建設されたのだ。これまでも小さなカジノはあったようだが、この夏、久しぶりにアンロンベンを訪れてみて、その存在感にびっくりした。

 カジノはすでにオープンしており、1日500人程度の客がやってくるという。ほとんどが目の前の国境を陸路で越えてくるタイ人。現在は、カジノに加え、地上13階建て、900室を擁するホテルを建設している。

 タイとカンボジアの関係は2011年、国境にある世界遺産「プレアビヒア寺院」周辺の国境線をめぐって、双方の国軍がにらみあう事態にまで発展した。関係悪化は、国境貿易や観光にも影響したが、同年、カンボジアのフン・セン首相と親しいタクシン元首相の妹、インラック・シナワトラ首相が就任してからは改善し、国境を越えてやってくるタイ人観光客も増えているという。

 カンボジアの国境は、ベトナム側、タイ側に限らず、どこも隣接国の客を目当てとするカジノ・ビジネスのメッカとなっている。カンボジア側からアプローチすれば、車で半日以上かかる僻地であっても、道路事情のいいタイ国内やベトナム国内では、カンボジア国境に行くことはさほど苦にはならない。

送迎のバスを出しているカジノもあり、「国境地帯にカジノ」はごく当たり前の風景になっている。

 ほんの10年ちょっと前まで、アンロンベンは、携帯電話の電波も届かない、陸の孤島のような町だった。住民はポル・ポト派のシンパたちで、外国人やよそ者が気軽に立ち入るのは難しい場所だった。だが、ここも、いずれ「よくあるカンボジア国境の町」になっていくのだろうか、と思った。

 カジノとポル・ポト派観光、どちらもこの町では完成形には至っていない。しかし、場違いなほど華やかにきらめくカジノに比べ、いまだに立て看板ひとつのポル・ポト派史跡の方は、どこか放ったらかしにされている印象を受けた。こうした史跡の観光資源化には、目先の経済効果だけでは計り知れない価値があることに、地元当局が気づいていることを願いたい。

(文・撮影/木村文)

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