『週刊ダイヤモンド』6月18日号の第1特集は「歴史入門 世界史・日本史・戦争・民族」です。長期化するウクライナ侵攻、急激に進む世界的なインフレ……。
その理由は歴史にあり
「高くても買うのは、食べなきゃ死ぬからだ」
「暴動が起きなきゃ庶民が苦しんでるって分かんないの?」
日本銀行の黒田東彦総裁が「家計が値上げを受け入れている」と講演で述べたのを受け、SNS上にはこの発言に反発する書き込みが相次いだ。「#値上げ受け入れてません」というハッシュタグが一時、ツイッターのトレンド入りまでした。
「値上げを受け入れている」発言を巡っては国会でも、その意図を問う質問が続出。黒田総裁は衆院財務金融委員会で「家計は苦渋の選択として値上げを受け入れている。表現は適切ではなかった」と、発言の撤回に追い込まれた。
だが黒田総裁が発言を撤回したからといって、「値上げを受け入れてなんかいない」と思う人は、溜飲を下げている場合ではない。物の値段が上がるインフレ局面はこれからまだ進むことが、“歴史を踏まえれば”かなり確実なのだ。一体どういうことか。
人類史学的にインフレは不可避
インフレに直面しているのは、日本だけではなく、主要国共通のことだ。
転換のメカニズムに人類史的な視点を交えてアプローチしているのが、英イングランド銀行(中央銀行)の元政策委員でエコノミストのチャールズ・グッドハート氏である。
グッドハート氏によると、過去約30年間にわたり世界経済が低インフレ基調だったのは、中国など新興国の人口ボーナスの結果だという。新興国で増えた人口が廉価な労働力となり、グローバル経済の拡大に寄与したという考え方だ。
ところが今、世界の人口動態は大きな転機を迎えている。世界的な出生率の低下により、今世紀末までにほぼ全ての国が人口減少に直面する可能性が浮上しているのだ。
特にここまでのグローバル化において重要な役割を担った中国は今後、生産年齢人口が急減することが確実である。
人口の減少は当然ながら、労働力の需給逼迫を招く。労働者の売り手市場になり、賃金上昇→物価上昇というドミノにつながり、インフレに至る。このグッドハート氏の主張が正しければ、世界の出生率が上昇に転じない限り、日本はインフレ局面にさらされ続ける可能性があるのだ
インフレが続くと思われる理由をもう一つ、歴史的な視点から挙げよう。グローバル化の終焉だ。
あらゆるコストは上昇する
「過去30年間のグローバル経済が終わる」。こう指摘しているのは、世界最大の資産運用会社、米ブラックロックのラリー・フィンクCEO(最高経営責任者)である。
数年に及ぶ米中対立と新型コロナの感染拡大を受け、世界の貿易は変調を来しまくってきた。それにとどめを刺したのが、ロシアによるウクライナ侵攻だ。世界経済は、欧米・日本による民主主義圏と、ロシア・中国の権威主義圏に分断されつつある。新冷戦やブロック経済の再来を懸念する向きも少なくない。
人・物・金が国境を越え、地球上を飛び交うグローバル経済は、一神教の神さながらに間違いないものと信じられてきた。この「神」が終わるなどあり得るのか?あり得る。なぜなら世界はすでに一度、グローバル経済が拡大し、そして衰退していく過程を経験しているからだ。
下図は「貿易開放度指数」(世界の国内総生産に占める貿易額の割合)の推移だ。世界経済のグローバル化の度合いを表している。青い線が示しているように、グローバル経済は19世紀後半から20世紀初めに拡大したが、1912~13年の約29%をピークに急下降している。
このグローバル経済の急後退期に起こったのは、2度にわたるバルカン戦争だ。バルカン諸国間の民族主義的な領土紛争で、これが第1次世界大戦への導火線ともなった。この硝煙ただよう時代の中で、グローバル経済は一度終焉したのだ。現在のグローバル化の水準は、第1次世界大戦前よりもはるかに高い。だが歴史を踏まえれば、この水準が高いままで推移するとは断言できないのだ。
そしてグローバル化が停滞すれば、あらゆる物の価格は上がる。グローバル化の本質は生産コストを下げることだから、これが停滞すれば自ずとコストは上昇し、消費者物価にも反映されるおそれがある。
人類史という超長期の視点から見ても、近代の歴史から見ても、インフレが今後さらに進む余地は大きい。であるならば「か弱き庶民」がやるべきは黒田総裁をやり込めることではなく、インフレ下における経済政策の議論を政治家に求めること、そして生活と資産の賢い防衛策を考えることではないだろうか。